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幸福学の前野教授に教わる いまこそ知りたいウェルビーイング

LESSON 1 ウェルビーイングって何でしょう|前野 隆司

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正しくはどういう意味?どんなことが期待できる?まずはウェルビーイングの基礎知識を身につけます。

※本記事は2023年8月に掲載されたものです。
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    前野 隆司(まえの たかし)

    慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授

    1962年、山口県生まれ、広島県育ち。86年、東京工業大学修士課程修了後、キヤノン株式会社に入社してカメラの開発に携わる。その後、米国カリフォルニア大学バークレー校客員研究員、慶應義塾大学理工学部教授、米国ハーバード大学客員教授などを経て、2008年から慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント(SDM)研究科教授。17年から慶應義塾大学ウェルビーイングリサーチセンター長を兼任している。24年から武蔵野大学ウェルビーイング学部長を兼任予定。一般社団法人ウェルビーイングデザイン代表理事、ウェルビーイング学会会長。『脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説』(筑摩書房)、『幸せのメカニズム 実践・幸福学入門』(講談社)、『幸せな職場の経営学』(小学館)、『ウェルビーイング』(共著/日本経済新聞出版)など著書多数。

ウェルビーイングはSDGsの上位概念といえます。

最近よく耳にするウェルビーイングですが、前野教授によると、SDGsと密接な関係があるとのこと。サステナビリティについて考えるうえで欠かせないウェルビーイングの本質に迫ります。

ウェルビーイングを直訳すると「良好な状態」

――ウェルビーイングという言葉はいつ登場したのですか。

この言葉が初めて世の中に登場したのは、1946年に設立された世界保健機関(WHO)の憲章です。設立者の一人である施思明(スーミン・スー)氏の提案によるものでした。日本では訳語として「健康」「幸福」「福祉」「良いあり方」などが当てられてきました。
ウェルビーイングはWHOの憲章における、広い意味での健康の定義のなかで使われている単語です。その定義とはこのような内容です。
「健康とは、肉体的、精神的及び社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」(平成26年版厚生労働白書)。
そのなかの「良好な状態」がwell-beingという英単語です。「ウェル」と「ビーイング」ですから、直訳すると「良好な状態」です。最近は「満たされた状態」と訳されることもありますが、「良好な状態」のほうが直訳的です。

――先生の研究ではウェルビーイングをどう捉えていますか。

まず、ウェルビーイングという言葉が日本の学問分野ではどのように使われているかを整理してみましょう。
例えば医療系の学会では「健康」と訳されていますし、心理学者は「幸せ」と訳します。福祉関係の学会では「福祉」と訳されています。SDGsの目標の3番目「Good Health and Well-Being」は「すべての人に健康と福祉を」と訳されていますから、ここでも「福祉」ですね。
私たちの研究では、ウェルビーイングをもっと大きなものと考えています。「健康」と「幸せ」と「福祉」のすべてを包む概念として捉え、なかでも「幸せ」という要素を中心に考え、「幸福学」という言葉を使っています。英語ではwell-being and happinesss studyと呼ばれます。

ウェルビーイングとは何か
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個人を幸せにする方法があるなら、世界を幸せにできる

――「幸福学」とはどのような研究をする学問なのでしょう。

心理学による幸せな状態に関する分析研究のことを幸福学、英語ではsubjective well-being(主観的ウェルビーイング)studyと呼ぶ場合がありますが、私たちの研究は心理学に限定したものではありません。
私たちの「幸福学」は広い分野にまたがっています。幸せなものづくりや、人々を幸せにする家づくり・町づくり、あるいは人々を幸せにする新しいサービスや会社の組織、幸せな教育などといった領域、さらには心理計測とは別に脳神経科学や情報科学に基づくAI(人工知能)や脳計測、バイタルデータの計測なども含めて「幸福学」の対象と考えています。
つまり、心理学的な基礎研究から、脳科学や工学、教育学や地域活性化、創造性といったあらゆる分野で、人々のよりよい生き方や働き方に関する研究まで、すべてを含めて「幸福学」ないしはウェルビーイングの学術研究と定義しています。

――研究の領域がずいぶんと大きく広がっていますね。

ウェルビーイングというと、個人の心のコントロール手法みたいなものにとどまりがちなのですが、私たちの研究には学問の境界がありません。私はもともと工学系のエンジニアだったので、個人を幸せにする方法があるなら、それを使ってコミュニティ、国、世界を幸せにすることができるんじゃないかと思ったわけです。
工学から、経営学、地域活性学みたいなものまですべて活用しながら、世界のあらゆる人、動植物を含めてみんなが幸せになることがウェルビーイングではないかと私は思います。そこまで広げて考えてみると、ウェルビーイングはサステナビリティと同じような意味合いを持つと言ってもいいと思います。

幸せな人は創造性が3倍、生産性が1.3倍高いというデータも

――なぜ今ウェルビーイングが注目されているのでしょうか。

それには学問的理由と社会的な理由があります。学問的理由はウェルビーイングついての研究が盛んに行われるようになり、理解が深まってきたことにあります。
1980年代以来、心理学者を中心としてさまざまな研究が行われてきましたが、最近では研究論文の数も急激に増えています。
例えば幸せな人は創造性が3倍高い、生産性が1.3倍高い、寿命が7年から10年長くしかも健康であるなど、多くの研究データが発表されています。これらが社会に知られることによってウェルビーイングへの注目が集まってきたといえるでしょう。
社会的な理由としては、時代の変化とともに「地位財」から「非地位財」へと重要視する価値が移ってきたことにあります。地位財とは、カネ、モノ、地位のように他人と比べられる財産です。これに対して非地位財とは、幸せや健康など、他人と比べるものではない、自分のなかで昇華させる財産です。つまり、モノの豊かさから 心の豊かさへと時代の要請が変化してきたということです。

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――価値観の変化は以前からありましたよね。

そうですね。この価値観の変化は20世紀の終わりにはすでに起きていました。モノの豊かさをめざしていた右肩上がりの時代は高度成長期までで、日本では少子高齢化が進んでいます。世界的にも、環境問題や貧困・格差の問題など、単なる右肩上がりの成長をめざすべきではない理由がいろいろと生じています。気づいていながらも見過ごしてきたがゆえに事態が悪化してしましった。すでに成長の限界が来ているのです。
これまでのやり方ではだめだという議論や問題提起はずいぶん前からありましたが、いよいよもって危機感が高まってきたということでしょう。ちょっと逆説的な言い方ですが、世の中がウェルビーイングじゃないからこそ、ウェルビーイングが強く求められているということです。

――最近ウェルビーイングという言葉も浸透してきました。

少し前までは私がウェルビーイングの研究をしているという話をすると「変わった研究をしているね」といわれたものですが、最近は状況が大きく変わっています。同じ考えの人や、一緒に研究する仲間も増え、慶應義塾大学ではウェルビーイングリサーチセンター長というのをやっていますし、2021年にはウェルビーイング学会も設立しました。
Googleトレンドを見ても、ウェルビーイングという単語が検索される回数が年を追うごとに増加しています。ここ最近では「今年はウェルビーイング元年」と毎年いわれてきましたが、いよいよ本当の元年がやってきたという手応えを強く感じています。

SDGsの目標を包括する概念がウェルビーイング

――ウェルビーイングとSDGsの関係をどう捉えていますか。

SDGsの3番目の目標に「Good Health and Well-Being」、日本語では「すべての人に健康と福祉を」というものがあります。ここでは、ウェルビーイングが福祉と訳されています。この扱いからすると、ウェルビーイングはSDGsの一部と見ることができます。
一方で、私たちの研究で提唱しているウェルビーイングは「健康」「幸せ」「福祉」を包含した概念ですから、生きとし生けるもののウェルビーイングを考えることはSDGsの上位概念ということもできます。
SDGsには17の目標があります。貧困も飢餓もなく、健康で豊かな教育が受けられ、快適な環境での生活が維持されるなど、各目標が人類に限らず地球上のすべての生物がよりよく生きるためにあります。したがって、SDGsの目標全体を包括する概念がウェルビーイングであるというべきでしょう。

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――SDGsの上位概念のあたりをもう少し解説していただけますか。

SDGsは貧困、飢餓、教育、差別、食料、衛生、エネルギーや環境問題などに、世界規模で取り組もうというものです。アダム・スミス以来の資本主義の考え方の基本は、個人や国がそれぞれ自分の成長だけをめざして勝手に行動すれば、市場原理によって全体としての成長につながる、というものでした。
しかし、現代の地球は、個々の好き勝手を許す余裕がなくなっています。すなわち、貧困や飢餓、食料や環境の問題は、皆が勝手にやっていたのでは解けない段階まで来てしまっています。だから地球規模の観点から、SDGsが目標に定めたゴールをめざそうという機運が世界中で高まっているのです。
自分の豊かさだけを追い求めるという従来の価値観が通用しなくなり、地球規模でよりよい社会をつくるという規範を設けなければならない時代が来ている証左がSDGs活動といえます。
人々がより幸せに生きるためのよりよい社会をつくる。これこそ広い意味でのウェルビーイングであり、17の目標を包含する上位概念といってよいでしょう。もちろん、サステナビリティに相通じる考え方です。

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ウェルビーイングが世の中をよりよい方向へ

――ウェルビーイングはどんな成長につながりますか。

ウェルビーイングは、個人を対象にするだけではなく、個人と社会と地球のよりよい状態を総合的に考えるものです。だからこそ、SDGsも包含する概念だといえるのです。この幸せを求める世界でのトレンドの1つは、人の感性や創造性に訴えかけ、他者とのつながりを大切にするという流れです。つまり経済成長から心の成長へ向かうということです。
心の成長という分野では、日本のなかによいものがあると私は考えています。過去から学べば、音楽や美術、武道、仏道、茶道、華道といった文化や芸術に寄り添ったものになるのではないでしょうか。伝統芸能や伝統工芸もここに含まれます。また、ここにAI(人工知能)やテクノロジーも介在すべきでしょうし、クールジャパンのような現代的な文化・芸術も一翼を担うでしょう。
こうした文化や芸術を金銭的な欲求を満たすためだけに展開するのではなく、それ以上に環境への配慮を含めた社会性や公共性、人々の生活の文化的な質を高める方向、すなわちウェルビーイングが高まるほうに価値がシフトして行くのではないかと思います。

――先生はウェルビーイング実践のための多彩な活動を行っていますね。

いくつかの自治体のプロジェクトに参画して、ウェルビーイングを社会に取り入れることを試みています。すでに多くの成果が出ているものもあります。
私はカメラを開発する技術者としてビジネスの世界を経験してから研究者になったので、いわゆる研究室にこもる学者タイプではなく、自分の研究成果をもとに、どうしたら世の中をよい方向にもっていけるかを実行に移したいという思いがあります。
ロボット工学からスタートして脳科学へ、そしてウェルビーイング研究に行き着いたのも、人類の苦しみを取り除きたい、抜本的な問題解決をしたいという動機があったからです。日本では研究分野を何度も変えると、周囲からあまりいい顔をされませんが、アメリカではそんな研究者がたくさんいました。理系と文系の学問を行き来する人も珍しくありません。ですので、ここはひとつ自分が先陣をきってやろうという思いもあります。

日本発信のウェルビーイング人材を育てたい

――問題を解決するには実践が大切ということですね。

そうですね。ウェルビーイングにしてもサステナビリティにしても、大きな視点から見ると、幸せや平和を追求するものです。私は15年前から幸福学、ウェルビーイングの研究を本格的に行っていますが、当時は何を現実離れした夢のような理想を語っているんだという目で見られました。しかし、これをやらなきゃ人類の先がないし、こんなにやりがいのある研究はないと思っていました。周囲に理解されにくいだけに、自らが積極的に動いて研究の意義を説いて回った結果、同じような考えを持つ人にたくさん出会うことができ、それが現在の活動の基盤となっています。
たとえば、とある南の島が地球温暖化で困っているという時、研究者と活動家が役割分担をしがちです。研究者は温度など環境の変化を測る、活動家は住民の生活改善に取り組むといった具合にです。しかし、実際にはあらゆる問題は全部つながっています。研究者や活動家といった垣根はなくし、皆がまとまって取り組まないと抜本的な解決にならないと思うわけです。

――先生は日本初のウェルビーイング学部を設立しましたね。

2024年に武蔵野大学にウェルビーイング学部が創設されます(設置申請中)。その学部長として私が就任します。武蔵野大学の学長である西本照真さんは僧侶でもあるのですが、古くからの知り合いで「日本にウェルビーイング専門の学部があるといいですね」というお話をしたら「一緒にやりましょう。あなたがぜひ新しい学部をつくってください」ということになりました。どんな講師を招くか、どんな授業を行うか、私が考えることになりました。

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武蔵野大学ウェルビーイング学部記者発表会 資料より

――なぜウェルビーイング学部が必要とお考えになったのでしょう。

幸せな人は創造性・生産性が高い、幸せな人はチャレンジ精神が高いなど、さまざまな研究データが発表されていますが、個人がウェルビーイングを高めることで社会問題も解決する、世界のウェルビーイングも高まる、もちろん経済成長にもつながる、という考えが出発点にあります。多くの課題を抱えたこれからの社会で必要とされる人材を輩出し、本当な意味でのウェルビーイングな社会を実現することに貢献したいという強い思いが、新しい学部をつくるというアクションに結びつきました。
ウェルビーイングは東洋思想と通じる部分も多く、西洋とは違ったウェルビーイングのあり方を日本から発信したい、という思いもあります。どんな化学反応が起こるか、楽しみにしています。

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