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幸福学の前野教授に教わる いまこそ知りたいウェルビーイング

LESSON 2 ウェルビーイングで仕事はどう変わりますか|前野 隆司

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幸福度が高まると創造性も高まるという相関関係に注目。ウェルビーイング視点の新しい働き方について考えます。

※本記事は2023年9月に掲載されたものです。
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    前野 隆司(まえの たかし)

    慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授

    1962年、山口県生まれ、広島県育ち。86年、東京工業大学修士課程修了後、キヤノン株式会社に入社してカメラの開発に携わる。その後、米国カリフォルニア大学バークレー校客員研究員、慶應義塾大学理工学部教授、米国ハーバード大学客員教授などを経て、2008年から慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント(SDM)研究科教授。17年から慶應義塾大学ウェルビーイングリサーチセンター長を兼任している。24年から武蔵野大学ウェルビーイング学部長を兼任予定。一般社団法人ウェルビーイングデザイン代表理事、ウェルビーイング学会会長。『脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説』(筑摩書房)、『幸せのメカニズム 実践・幸福学入門』(講談社)、『幸せな職場の経営学』(小学館)、『ウェルビーイング』(共著/日本経済新聞出版)など著書多数。

すべての産業はウェルビーイング産業になるべき。

「ほとんどの仕事は、世の中をより幸せにすることと関わりがある」というのが前野教授の見解。ウェルビーイングを高めていくと私たちの仕事はどう変わっていくのか、詳しくお聞きしました。

健康経営や働き方改革にウェルビーイングの視点を

――健康経営について、ウェルビーイングの観点からはどう思われますか。

いま日本でも職場のウェルビーイングが注目されるようになりましたが、そのきっかけとなったのが健康経営と働き方改革だと思います。
経済産業省が掲げる健康経営は、従業員の活力向上や生産性の向上、組織の活性化や業績向上、さらには株価向上など、単なる身体的健康のみならず、幸せに踏み込んだことを謳っています。しかし、その狙いはあまり浸透していないように感じます。
最近、健康経営に関する会に呼ばれて話をする機会が増えましたが、多くの企業が経営産業省の通達を見て「従業員の身体が健康であれば、無理が利くから生産性が上がる」いう狭い意味での健康と理解しているように思えました。
そうした場面に出くわすたびに、ただ身体の健康だけではなく、ウェルビーイング、すなわち幸せも含めて広義の健康が大切なのだと説いてきました。

――働き方改革については、どう捉えていますか。

働き方改革は、当時の安倍首相が一億総活躍社会を実現するための一環として導入したものでした。この政策の文章にはウェルビーイングという単語は出てきません。経済の話に力点が置かれているので、従業員の幸せについては主要なテーマになっていないのです。
前回もお話をしましたが、幸せな従業員は生産性も創造性も高いわけですから、ウェルビーイングを高める働き方改革をめざすべきではないでしょうか。実際、最近では企業や政府の担当者の方たちも、これまで行ってきた施策にウェルビーイングの視点を付け加えて、健康経営や働き方改革を促進することが増えています。
最近では経済産業省で人的資本経営を推進する動きがありますが、やはりここでもウェルビーイングの視点が重要になってくると思います。

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従業員の幸福度が高いと企業価値も高まる

――幸せな人は、生産性も創造性も高い。こうした研究は進んでいるのでしょうか。

心理学や経営学の分野で、かなり多くの研究があります。よく知られているところでは『ハーバード・ビジネス・レビュー』(ダイヤモンド社)の2012年5月号に発表された特集記事があります。「幸福の戦略」という特集で著名な研究結果が紹介されていますが、そのなかで幸福度の高い従業員の創造性はそうでない従業員の3倍、生産性は31%、売上は37%高いという研究データが掲載されています。
最近では今年(2023年)オックスフォード大学のウェルビーイング・リサーチセンターから、従業員の幸福度が高いと生産性だけでなく企業価値も株価も利益も上がるという研究が発表されています。他にもさまざまな研究がありますが、ウェルビーイングの効能としては、かなりのエビデンス(科学的根拠)がそろってきたという状況です。

――日本ではまだ一部の企業を除いて、浸透していないように思われますがいかがでしょうか。

そうかもしれません。健康経営、働き方改革、人的資本経営、いずれを実現するのにも、ウェルビーイングを高めることが有効なのですが、理解が足りていないと思います。政府が音頭をとっていることから「やらされ感」というか、仕方なくやっているという姿勢ではなかなかうまくいきませんよね。
早くからウェルビーイングを実践してきた企業からすると、「健康経営?それ、うちの会社ではとっくにやってます」というような感じで、政府からお達しが来る前に、いろいろな施策を積極的に行っています。やらされるのではなく、率先してやる。そんな意識の転換が必要だと思います。効果については具体的なエビデンスがありますので、これを経営層の方たちにもっと知ってもらえれば、ウェルビーイングがより早く広まるのではないかと思います。

経営トップのウェルビーイング理解が不可欠

――仕事の現場で、ウェルビーイングをどのように高めるべきでしょう。

企業の人事部門では、かつて従業員満足度の調査が盛んでした。働くうえで仕事や環境に満足しているかを調べるものです。その後、モチベーション調査なども取り入れられ、最近では従業員エンゲージメント、いわゆる職場への貢献意欲や共同体意識、あるいはワーク・エンゲージメント、集中して熱中して働いているか、などの調査も盛んになっています。
従業員をただ満足させるのではなく、従業員が主体的に職場とのよい関係性を持っているか、仕事に対する高い熱中度を持っているか。こうしたことが重視される世の中の流れに対応しているものと思われます。
次に主流になるのは「従業員ウェルビーイング」ではないかと思っています。よりよい心の状態で働くことができているか、という方向に進んでいくと考えています。これまでのエンゲージメントは「従業員にはこの会社を気に入って働いてほしい」というような企業目線の考え方であるのに対し、ウェルビーイングは「そもそも人間は幸せに生きるべきだ」という人類目線です。
その方向に進むためには経営層、それも経営トップにウェルビーイングの理解が必要になります。個人でいかにウェルビーイングを高める試みをしても、会社としてウェルビーイング経営を志していなければ実現は難しいといえます。

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――ウェルビーイングを仕事にどのようにして取り入れたら良いでしょうか。

方法はいろいろあると思います。もっとも根本的なところからだと、経営理念とかパーパス(存在意義)にウェルビーイング的な内容を取り入れることでしょうか。経営理念は社会貢献がテーマになっていることが多いので、ウェルビーイングの方向性と親和性が高いものも多いですが、あらため見直します。内容によってはアップデートの必要があるかもしれません。
大切なのはそうした理念を従業員に浸透させることです。目先の利益ではなく、うちの会社は大きな視野のもとで社会や人類に貢献しているんだ、という理解が深まると、仕事に対する取り組み方が変わってきます。
もちろん上辺だけの理念や精神論ではだめですし、「やらされ感」が強いのもうまくいきません。経営トップがウェルビーイングの重要性を認識し、理念から派生する個別の施策や方針も同じ考え方が貫かれている必要があります。

「幸せの4つの因子」から仕事を見つめる

――先生の提唱されている「幸せの4つの因子」はどんな好影響をもたらすのでしょう。

ふだん仕事をしているなかで、自分は幸せなのか、ウェルビーイングな状態にあるのかを判断するヒントになります。まず4つの因子について簡単に説明します。
心の状態について多くの人にアンケート調査を行い、その結果をコンピュータにかけ、因子分析を行いました。その結果、導き出されたのが4つの因子です。分かりやすくするために次のような名前をつけました。
(1)「やってみよう」因子
(2)「ありがとう」因子
(3)「なんとかなる」因子
(4)「ありのままに」因子
これらの因子を満たしていると、幸福度が高いというものです

――それぞれの因子についてご説明いただけますか。

それでは順番に説明していきます。
(1)「やってみよう」因子
自己実現と成長です。やりがいや強みを持ち、主体性の高い人は幸せということを表します。
(2)「ありがとう」因子
つながりや感謝、あるいは利他性や思いやりを持つことが幸せである、ということです。
(3)「なんとかなる」因子
前向きかつ楽観的で、何事もなんとかなると思えるポジティブな人は幸せであり、チャレンジ精神が大事ということです。
(4)「ありのままに」因子
独立性と自分らしさを保つこと。自分を他者と比べすぎず、しっかりとした自分らしさを持っている人は幸せ。英語でいうと「authenticity」。心理学の領域で日本語では「本来感」と呼ばれます。本来の自分らしさを自覚している人は幸せという因子です。

例えば、「やってみよう」因子ですが、自分の強みがあるか、強みを社会で活かしているか、よりよい自分になるために努力してきたか、というような項目が並んでいます。ビジネスパーソンなら必ず意識するようなことだと思います。大きな目標があり、目の前にある身近な目標と方向が一致していて、そのために学習・成長しようといてしている。こうした人は幸せを感じることができます。逆にこれが満たされていないと、幸せだと感じられないのです。

幸せの4つの因子
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「ありのままに因子」が日本のビジネス社会では重要

――日本特有の因子というのは、あるのでしょうか。

はい、存在します。ウェルビーイング研究を語るうえで欠かせない、ポジティブ心理学の創始者であるペンシルバニア大学教授のマーティン・セリグマン氏に質問したことがあります。
セリグマン氏は幸せの条件について「PERMA」という理論を発表しています。「PERMA」とは「ポジティブ感情(Positive Emotion)」「何かへの没頭(Engagement)」「人との関係(Relationship)」「生きる意味(Meaning)」「達成(Accomplishment)」の頭文字をとったもので、これらの5つを満たしている人が幸せなのだ、というものです。
セリグマン氏にお会いした時に、私の研究の「ありのままに」因子、英語でいうところの「authenticity」も幸せ因子として効果的なのに、なぜ「PERMA」に入れないのかと聞きました。答えは、アメリカでは自分らしさを持つことは当然のことだから入れなかった、ということでした。
日本は同調圧力が強く、「出る杭は打たれる」ということわざ通り、皆と同じようにしていないと冷淡な扱いを受ける傾向が根強く、どちらかというと自分らしさを発揮しにくい国です。アメリカでは当たり前すぎることも、日本では幸せに大きく影響すると考え、私は「ありのままに」因子を加えています。

――「ありのままに」因子について、もう少しお聞かせください。

前回「地位財」と「非地位財」のお話をしましたが、人はとかく「地位財」に目がいきがちで、「ありのままに」因子はこれを抑える役目を持っています。これがないと間違った方向にいってしまうというわけです。
例えば「やってみよう」因子の核となる「自己実現と成長」をめざす時、「あいつより出世する」と考える人がいるかもしれません。自己実現は、他人との比較ではなく自分自身との戦いであるべきなのに、他人との戦いをめざしてしまう。これはウェルビーイングの視点からすると間違いになります。「地位財」は長続きしない幸せであり、あなたらしく、他人の目を気にせず、自分のペースで幸せに向かうことが重要です。

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社会全体がウェルビーイングをめざす時代へ

――ウェルビーイングを高める仕事のあり方は、サステナビリティにどんな関わりがありますか。

私は地球上の生きとし生けるものすべてが良好な状態であることをウェルビーイングだと思っていて、ウェルビーイングはサステナビリティとほとんど同じ意味と捉えています。したがって世の中のウェルビーイングを高めることが、サステナビリティを向上させることだと考えています。
またウェルビーイングの注目が高まるにつれ、ウェルビーイング・ビジネスというのも大きな裾野を持っているのではないかと思います。予防医学の知識が深まり盛んになるに伴い、新たに健康産業というビジネスが生まれたように「幸せ」がビジネスのテーマになるということです。
実際、アメリカではポジティブ心理学の学会にはすでに多くのビジネスパーソンが参加していますので、日本にもこの波がやってくることでしょう。こうした流れが実際どのようにサステナビリティに関係するかは未知数ですが、良い方向にいくことを願っています。
健康経営や働き方改革のように政府が音頭を取って推進することも必要ですが、企業や市民社会に広くウェルビーイングが浸透することが重要だと思っています。
私はすべての産業がウェルビーイング産業になるべきだと思っています。日本国憲法の幸福追求権を参照するまでもなく、すべての人は生まれてきたからには幸せに生きるべきだと思うからです。

――日本の企業文化や社会はその方向にうまくいけるでしょうか。

企業におけるウェルビーイングを考える時、「近江商人の三方よし」という経営の視点がもともと日本にあったことを思い出します。自分よし、お客様よし、社会よしという総合的な視点です。もともと日本が持っていたウェルビーイング経営の思想といえるでしょう。
渋沢栄一氏も先駆者の1人です。渋沢氏は会社のあるべき姿として「合本主義(がっぽんしゅぎ)」を提唱しました。出資者が会社を支配するのではなく、多くの者が出資者として企業の設立に参加して、事業から生じる利益を分け合うという考え方です。企業が私益のみを追求するのではなく、社会の発展を実現するために必要な人材と資本を合わせて、事業を推進すべきであると。まさにウェルビーイング経営です。
日本の江戸時代後期は何でも再利用する高度な循環型社会でした。着物ひとつ見ても、とてもサステナブルです。長方形の反物を直線で裁断して衣服にするだけで、体型が変化してもほぼ問題がなく、身丈や裄丈の調整をすれば長く着用することができます。端切れもほとんどないから資源に無駄がありません。箪笥も、漆も、能も、浮世絵も、筆も、仏道も、柔道も、合気道も、茶道も、和菓子も、和のものには、計り知れない伝統の知恵と技術が込められています。
外国から学ぶことは欠かせませんが、日本古来の優れたものを見直すべきで、そこからも世界をよりよくするヒントが見つかるのではないでしょうか。

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