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幸福学の前野教授に教わる いまこそ知りたいウェルビーイング

LESSON 6 これからウェルビーイングはサステナビリティにどんな役割を果たしますか|前野 隆司

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いよいよシリーズ最終章。まとめとして、さまざまな課題に向き合い、未来をサステナブルな方向に導くウェルビーイングについて考えます。

※本記事は2024年1月に掲載されたものです。
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    前野 隆司(まえの たかし)

    慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授

    1962年、山口県生まれ、広島県育ち。86年、東京工業大学修士課程修了後、キヤノン株式会社に入社してカメラの開発に携わる。その後、米国カリフォルニア大学バークレー校客員研究員、慶應義塾大学理工学部教授、米国ハーバード大学客員教授などを経て、2008年から慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント(SDM)研究科教授。17年から慶應義塾大学ウェルビーイングリサーチセンター長を兼任している。24年から武蔵野大学ウェルビーイング学部長を兼任予定。一般社団法人ウェルビーイングデザイン代表理事、ウェルビーイング学会会長。『脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説』(筑摩書房)、『幸せのメカニズム実践・幸福学入門』(講談社)、『幸せな職場の経営学』(小学館)、『ウェルビーイング』(共著/日本経済新聞出版)など著書多数。

一番大切なことを、一番大切にするべきです。

「人間の脳は、一番大切なことよりも、目の前のことを重視しがち」と前野教授は語ります。
未来のために私たちは何をすべきかをお聞きしました。

サステナブルな社会に欠かせない「利他の心」

――これまで仕事、組織、生活、研究の現状といったテーマごとにお話をお伺いしました。このほかに重要なテーマがあれば教えてください。

大体のことは語ってきましたが、ひとつテーマを加えるとするならば「教育」です。いま世の中には国際的な紛争をはじめ、さまざまな問題が生じています。身近なところでは、インターネットの掲示板やSNSでも偏った考え方や短絡的な発言があふれています。ウェルビーイングの視点から見ると、サステナブルな社会を実現するには「利他の心」が欠けているのではと感じています。この心を育てるような教育ができればと考えています。

――「利他の心」について詳しく教えてください。

「自利利他円満」という言葉があります。自分の利益と他人の利益がどちらも満たされたときに、全体として欠けることがなく丸く満ち足りるという意味です。自分を愛し自分を大切に扱うことと、他人を愛し他人を大切に扱うことは別の概念ではなく、合わせてひとつの円になる。
これと関連する言葉で「自他非分離」というものがありますが、自利イコール利他であり、自利という円と、利他という円がぴったり重なり合えば円満になる。すなわち「利己=利他=円満」ということです。

世俗的な話になりますが、お金を稼ぐために仕事をしていると思えば100%自利かもしれません。一方で、世の中を良くするために仕事をしていると思えば100%利他になります。利己と利他は対立概念ではなく、表と裏であり同じことであると解釈しています。
みんなのために仕事をし、同時にお金を得るからこそ世界がまわっていく。わかりやすく言えば「自利利他円満」とは、そういうことです。

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現代社会に「サイエンスとしての倫理学」を

――「利他の心」を育てる教育とは、どのようなものでしょう。

現代は倫理が失われた時代になっていて、私は「サイエンスとしての倫理学」のようなものが必要だと考えています。たとえば「利他的な人は幸せである」というような幸福学のエビデンス(科学的根拠)がこれに該当します。
従来は哲学や思想、宗教が倫理観を醸成する役割を担っていました。大乗仏教では、一人ひとりが勝手に振る舞うのではなく、みんなの幸せを祈ることを説いています。ほかの宗教もほとんどがそうした利他の側面を持っていると思います。しかし現代では、「神様・仏様がいうように、利他的になろう」では響かない人が増えていると感じています。
そんな世の中だからこそ、「あなたの幸せのために利他的になろう」という幸福学の知見を用いた科学的な倫理学教育をすればいいと考えています。

――具体的にはどんな例が考えられますか。

たとえばですが、「お金は自分のために使うよりも、他人のために使ったほうが幸せになる」という研究結果があります。カナダのブリティッシュ・コロンビア大学のエリザベス・ダン教授らによって2008年にサイエンス誌に発表されたものです。実験では「自分のために使うように」とお金を渡された被験者よりも、「慈善事業など他人のために使うように」とお金を渡された被験者のほうが幸福度が高まったと報告されています。
心からそう思って他人のためにお金を使った人も、この実験のように、たまたま他人のためにお金を使った人も幸せになる。かたちだけで心が伴っていないとしても、他人に親切にしたり誠実に振る舞ったりすることで人は幸せになるということです。

――科学的な客観的事実を利用するということでしょうか。

そう考えています。科学によって検証された客観的事実を、倫理教育の材料として子どもにも大人にも教えるべきではないでしょうか。簡単に言うと、伝えたいのは「幸せになりたいなら、いい人になればいい」ということです。いい人というのは、利他的で誠実な人という意味です。
「根拠はないけれど、いい人になりましょう」よりも、エビデンスに基づいた「あなたが幸せになるために、いい人になりましょう」という言い方のほうが感性に響き、人々の実感や行動につながりやすいと思います。

「ウェルビーイング資本」主義という考え方

――サステナブルな社会実現の障壁は何でしょう。

いろいろあると思いますが、私が思う障壁のひとつは資本主義の限界です。環境問題、貧困問題、紛争問題、パンデミックの問題など、いま世界は多くの問題を抱えていますが、なかなか解決策が見いだせません。環境問題にしても、地球の危機を救おうという背後には、自国に有利になるようなルールをつくろうという動きも見え隠れします。
世界は進歩したように見えて、実は思考方法などに意外と古いものが残っています。近代型のシステムの根底にある合理的で分析的な考え方というのは、敵は敵、味方は味方というように、どうしても二項対立になりやすい。その弊害がいろんなところに出ているのだと思います。

――資本主義に取って代わるようなものはありますか。

個人的には仮に「ウェルビーイング資本」主義といったものを考えています。「ウェルビーイング+資本主義」ではなく、「ウェルビーイング資本+主義」で区切りに意味があります。ウェルビーイング資本に基づく社会を構築しよう、という考え方です。
資本主義は一般にお金を資本として社会を構築する考え方です。これに対し、アメリカの哲学者であるジョン・デューイやアメリカの政治学者であるロバート・パットナム氏は、社会関係資本「ソーシャル・キャピタル」という考え方を提示しました。信頼、規範、ネットワークなどの社会関係が資本になるというものです。これにならって、「みなのウェルビーイングを願う心」が資本になる社会を構築しようという主張です。

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地球全体でウェルビーイングを考える

――「ウェルビーイング資本」について詳しくお聞かせください。

お金や社会関係を資本と見なすのは理解しやすいですが、「みなのウェルビーイングを願う心」を資本とするのは、ちょっとわかりにくいかもしれません。
「○○があるほど豊かな社会」の「○○」に、「お金」「社会関係」「みなのウェルビーイングを願う心」を入れてみると理解しやすくなると思います。「お金があるほど豊かな社会」「社会関係があるほど豊かな社会」「みなのウェルビーイングを願う心があるほど豊かな社会」。こうすると3つの社会の関連性も見えてきます。
つまり私が提案したいのは「お金があるほど豊かな社会」をそろそろ卒業して、「社会関係があるほど豊かな社会」という考え方をさらに進めて、「みなのウェルビーイングを願う心があるほど豊かな社会」にしませんか、ということです。

――ウェルビーイングを最優先するということですね。

そうです。ウェルビーイング中心主義、あるいは幸せファーストでもいい。ひとことで言うと「すべての人のウェルビーイングを、すべての人が最優先に考えよう」というスローガンのようなものです。オーストリアの心理学者・精神科医アルフレッド・アドラーの「共同体感覚」を地球全体に拡張したような、地球共同体主義と言うこともできます。
個人主義と集団主義を統合して、地球全体を集団とみなします。分割主義や一部の集団の既得権を守るやり方もやめて、対立ではなく、みなが理解し合う方向に進みましょうという提案です。地球上に存在する多数の思想や価値観を分割し分断し、それぞれの小さな違いを指摘し合って互いに争うのではなく、すべての人間を「地球人」として大切にすることをめざします。

――世界では対立が激化しています。どう向き合えばいいのでしょう。

私たちは、それぞれの思想や価値観、宗教の影響のもとで暮らしています。それらを否定し合うのではなく、理解できないとあきらめるのでもなく、「アコモデーション」という方法によって第3の道を探り、すべての人間を包み込む思考や行動のあり方について合意するということが大切です。
アコモデーションとは紛争解決などの際に使われる考え方です。ディベートは自分と相手の意見を戦わせて、勝ち負けをつける分断型の考え方を反映しています。それに対してアコモデーションは、価値観が相容れない者同士が対話するときに、意見が異なることをわかったうえで、それでも互いを認め合う合意のことをさします。
その意味では、すぐに相手と論戦したがる人や、興味がないから話したがらない人と対話するのは難しい。それでも他者のことを想像し、許し、信じて対話することが、他者との生産的な関係を生み出すと考えています。

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なぜ理想を描こうとしないのか

――先生がイメージする理想の世界はどのようなものですか。

民主主義を基盤にしたものですが、まず、すべての国で民主化を進めたうえで、国民投票で軍隊を廃止する。そして互いに戦いを放棄します。世界政府、これは新しい国連のようなものですが、この組織だけが警察機能を持つ。各国の賢明な代表が世界政府で話し合い、すべて選挙で決める。これを「荒唐無稽な理想論だ」「理想はわかるけど、現実はそうはいかない」と多くの人が言うことでしょう。
私が理想論に対する「現実的な反論」に憤りにも似た違和感を抱くのは、「なぜ理想を描こうとしないのか」という点です。理想を描かない態度が、理想のない現実をかたちづくるのだ、と思います。たとえ何百年かかるとしても、「それが理想の世界だ」とみんなで合意してめざしている状態と、「理想は脇に置いて、現実的には戦わざるを得ない」と考えるのとでは、思考や行動に大きな差が出てきます。
わかりやすく言えば、原理的には、小学校で喧嘩している子がいたら「みんな仲良くしましょう」と教え、それをみんなで実現していくとの同じです。全世界の約80億人の人間たちが仲良くするというだけのことなのです。争い、軍備増強、国境警備などをすべて放棄し、それらの資金を貧困対策や環境対策など「地球人」のために使うだけで、世界はいまよりはるかに豊かな場所になるでしょう。

――まさにサステナブルな世界になりますね。

サステナブルな社会を築くためには、すべての人が「世界中の生きとし生けるものを愛すること」が理想ですが、原理的に不可能だと考える人は意外と多いものです。
たとえばですが、ある高名なアメリカの心理学者との公開対話の場で、ある日本人経営者が「人間の幸せを願うことは世界平和につながりますね」と質問したことがありました。するとその心理学者は次のような主旨の回答をしました。
「いや、幸せの話と世界平和の話は結びつかない。幸せを考えられる対象は、自分のモラルサークル内にいる人だけだ」
「モラルサークル」とは道徳的な関心を払う必要があると認識する対象で、要は仲間のことをさします。つまり同じ倫理観を共有する仲間の幸せは考えられるが、自分の敵や自分が理解できない人の幸せは考えることができないというのです。だから、仲間の幸せと世界平和は別の話だというわけです。もちろん、これは個人の話であり、アメリカ人の多くがそうではないと思いますが、その発言を聞いたときは、個人主義の限界というか、自分と他人を分けて考える合理主義的思考の限界を感じました。

中心に「無」がある日本だから、できることがある

――サステナブルな社会のために日本が果たせる役割はありますか。

私はさまざまな著書の中で、現代の日本には中心思想がないと述べてきました。たとえばアメリカには、つねに中心思想があります。「自由」と「愛」です。日本の中心には何もない。正確には何もないわけではなく「無」があります。「無常」「無我」「無私」といった概念が思想の真ん中にあります。ただ、わかりにくい概念であるし、日本の文化に無意識のうちに深く根づいているものなので、「無」が存在することに気づいていない人も多い。

「無常」は諸行無常。すべてのことは移ろいゆく。水の流れのように。だから常に正しいものはないし、常に栄えるものはない、という考え方です。
「無我」は仏教の「諸法無我」。すべての物事の原因は自分ではない。もしくは実体がない。「無私」は私心を捨てた献身の心。武士道や儒教における主君や上司に仕えるときの心がけの場合もあるし、現代の日本の道徳観にもつながります。

物事は移ろいゆくし、自分もない、私心もない、つまり中心がない。中心がないことこそよしとする。要するに、日本人は中心に「無」がある文化を持っていて、どんな新しいことも矛盾なく受け入れて、やがて日本化する。そんな特性を持っている、ということです。
中心が「無」であるがゆえに、混迷を極めた現代社会において、日本こそ世界に貢献できるのではと思っています。どんな思想や価値観に対しても、中立であり、寛容になれるからです。

――中心に「無」がある。その意義をもう少し教えてください。

かつて政治学者の丸山眞男は、日本の国の特徴を「無限抱擁」「無自覚的雑居」と表現しました。日本人はあらゆるものをまるで無限に抱擁するように受け入れ、そのまま無自覚に雑居させるということです。日本も近代西洋のように合理的に真偽や正誤を判断し、物事をもっと論理的に考えるべきという文脈でこれらの言葉を用いています。ユング心理学者の河合隼雄も『古事記』の神話の分析を通して、日本は「中空構造」の国であるとし、中空を何かで埋めなければならないという考え方を示しました。
私は現在の日本ではこの「無限抱擁」「無自覚的雑居」「中空構造」という言葉をもっと肯定的に再解釈してもいいのではと思っています。近代西洋の合理主義は、経済を成長させ社会を発展させるために役に立った。しかし、現代社会の多くの問題を解決するためには、合理的・分析的なやり方だけでは限界があることが明白になっています。
現代に求められるのは、あらゆる価値観を抱擁し、無自覚に雑居させ、そこから新しい可能性を見出していく、日本的な精神性ではないだろうかと考えています。

私がよく知る経営者の言葉に「一番大切なことを、一番大切にしよう」というものがあります。人間の脳は、一番大切なことよりも、目の前のことを重視しがちです。特に日本では戦後の成長を担ってきた社会経済システムが日本人の視野を狭くしてしまった。大きな視野で未来を見据えることは誰かに任せて、「木を見て森を見ない」社会になってしまった。現在も社会の多くの部分がその老朽化した制度疲労を起こしたシステムによって動いています。
いまこそ大きな視野に立って、古くから日本に根付いている利他の精神やサステナブルな考え方を、もっと自信をもって世界に発信していくべきではないでしょうか。

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