
救急医、総合診療医としての臨床経験から医療格差に着目し、AIを活用することで医療格差を解消しようと自ら起業したアイリスの沖山翔氏。数々のハードルがある中、AI搭載医療機器の承認、保険適用に至った経緯、理想の医療に向けた思いなどを聞いた。

沖山 翔
アイリス株式会社
代表取締役社長、医師
おきやま・しょう
アイリス株式会社 代表取締役社長、医師。2010年東京大学医学部卒業。日本赤十字社医療センター救命救急科を経て、ドクターヘリ添乗医、離島医、船医として救急医療、総合診療に従事。救急科専門医。17年アイリス株式会社創業。国立研究開発法人産業技術総合研究所 AI技術コンソーシアム医用画像ワーキンググループ発起人、日本救急医学会救急AI研究活性化特別委員なども務める。
-東京の病院で救急医として働いていた沖山さんが、AI搭載医療機器を開発するベンチャーを立ち上げることになったきっかけを教えてください。
救急医として東京の大病院で働いていた頃は、すべてが整っている充実した環境でした。しかし、医療資源が十分ではない、都市部以外の場所でも医師としてやっていけるのかという不安があり、それまでとは正反対ともいえる石垣島の病院で働くと決めたのです。最初はコネクションも何もありませんから、直接病院に電話して、人事課の人に自ら「医師、募集したりしていませんか」と問い合わせをしました。
その後多くの離島などで働きましたが、東京と離島の医療はあまりにも違いました。南鳥島では看護師もいなくて、医師は私1人でした。島では検診を勧めるのも自分だし、診察の中で病気を見つけるのも自分、治療するのも自分です。医療機器も揃っていない中で、私ができるレベルの医療、専門領域しか提供できません。それは医者としてあまりにも責任が重く、医療格差の現実を突きつけられました。
-格差解消のためにAI搭載医療機器の開発を決めたのですか。
そこに至る前に、厚生労働省の医系技官、国境なき医師団、戦略コンサルなど、いろんな説明会に参加してみて、キャリアを模索した時期もありました。しかし、自分が考えるものとは違うように感じ、起業しようと決めました。今のように生成AIを使いこなす時代ではなかったですが、医学生の頃から人間の意識や脳の研究には興味があったので、脳科学から発展したAIのことは身近に感じていたんです。AIは標準化にとても優れているので、AIによって医療の格差を埋めようと考えました。

-AIで埋めたい医療の格差とはどういうものですか。
医療にも匠の技のようなものがあります。例えば、熟練した専門医は心音などから病気を見つけられますが、その技術はそう簡単には身につきません。一方で、都会では熟練医がいなくてもCTやMRIなどで数値化・可視化して診断につなげられます。しかし、それが使えないへき地では聴診や触診、問診の情報から診断して治療につなげなければいけません。私も診断機器が充実していないへき地では、長い時間をかけて必死に患者さんの心音を聞き、じっくりと口腔内を観察しました。
これが地域、技術力、専門性の格差であり、不信感を抱いた患者さんに「医者ガチャ」と映ってしまう一因です。こうした格差を補填するのに、AIはとても向いています。
-起業を思い立ってから医療機器開発・承認取得までのプロセスを教えてください。
AIを使った医療機器をつくると最初から決めていました。ただし、アイリスを起業した2017年当時、AIを搭載した医療機器は存在していませんでした。そもそも日本においては医療機器開発のハードルがとても高く、医療機器として承認されるのは年間数件程度しかありません。それくらい医療機器承認を得るのは大変なのです。
それでも医療現場で普及させることを考え、厚生労働省出身で法律に詳しい現副社長と一緒に会社を立ち上げました。そこから、咽頭部を観察するカメラをつくり、そのカメラを使ってたくさんの咽頭部画像を撮影してデータをつくり、そのデータを使ってAIに解析させるというステップを踏んでいきました。そうしてできあがったのが「nodoca(ノドカ)」という診断支援機器です。

先端のカメラで撮影した咽頭画像と体温、自覚症状などから、
AIがインフルエンザ/新型コロナウイルス感染症を判定する「nodoca」
-AI診断となると膨大な量の学習データが必要になりますね。
その通りです。試算では1万人の患者さんの協力が必要とのことでした。そこで、100の病院やクリニックに機器を貸し出して、100人の患者さんを撮影してもらいました。100人の院長のうち、知人だったのは1人か2人だけで、それ以外は全員面識のない人でした。それでも、医師として今も臨床現場に立ち続けている点や製品の強みを認めてもらい、計1万人分のデータが集まってAI開発が実現したわけです。
-「nodoca」の特徴を教えてください。
感染した細菌やウイルスによって咽頭部には特徴的な症状があらわれますので、小型カメラで撮影した喉の画像と体温や症状からAIが感染症を判定する機器です。2022年4月に医療機器として薬事承認され、同年12月にはnodocaを用いたインフルエンザ検査が保険適用となりました。2025年には新型コロナウイルス感染症の検査もインフルエンザと併せて行えるようになりました。
インフルエンザや新型コロナウイルスの検査を受けたことがある人はご存じでしょうが、細長い棒を鼻の奥まで入れる検査はつらく、子どもたちは泣いてしまうこともあります。nodocaは口を開けて数秒間撮影します。検査後すぐに結果が出るというメリットもあります。今では全国2000以上の医療施設に導入されています。

-薬事申請は大変だったのでは。
すごく大変でした。承認審査を行うPMDA(独立行政法人 医薬品医療機器総合機構)に私たちのプランを相談した時は「いいですね」と応援してくれるものの、前例のないAI診断支援機器ですから、そもそも評価のしかたが分からないと。なので海外の情報を集めるなどして丁寧に話し合いを重ねて、相手と私たちの情報のギャップを埋め、合意形成に至りました。
-nodoca開発により見えてきた課題はなんですか。
最初は医療者たちのAIに対する信頼感の低さが課題でした。しかし、AIは完全なものではなく、医師たちの判断を助けるもので、精度を説明すると理解してくれました。今や生成AIが身近な存在なので、AIに抵抗感をもつ人もほとんどいません。
-医療系ベンチャーを経営する上で大切なことはなんだと思いますか。
開発のコアメンバーに医師がいてほしいと思います。患者としてしか見たことがないAIの専門家と、医療の現場にどっぷり浸かって多くの患者さんと接してきた医師とでは、やはり違うと思うのです。
私は現在、金曜日から月曜日まで北海道の病院で診療にあたり、月曜日に羽田に戻ってきて東京でアイリスの仕事をするという生活を送っています。当社の中にも医師免許をもつ社員が何人かいて、彼らも週に何日か医療現場に立っています。また、救急医として多くの患者さんの命を救ってきた一方で、救えなかった命もたくさんあります。そういった医師としての気持ち、医療に関する多様な価値観、医療現場へのリスペクトを大切にしていることが、私がビジネスを進めるための推進力になっています。

-理想の医療として、どのような将来像を思い描いていますか。
どこにいても同じ質の医療が受けられるようになることに加えて、医療を受けた人が納得感や安心感を得られる、そんな医療ではないでしょうか。
すべての医療現場がAIにより最適化された情報にアクセスできるようにし、医者による当たり外れのような概念がなくなり、医療への信頼感がもたらされる世界をめざしたいと思います。

取材中、沖山さんは「医者としてあまりにも責任が重く、医療格差の現実を突きつけられた」と、離島医療での経験を振り返ってくださいました。今もへき地で医師として働き続ける姿勢そのものが、理想の医療を実現する原動力なのだと実感しました。現場に立ち続けるからこそ見える課題やニーズを起点に事業を推進する姿勢は、組織のマネジメントにおいても大きなヒントになるのではないでしょうか。
本記事は情報誌「プロワイズ」で掲載した記事の転載です。
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