
映画『国宝』の大ヒットで、歌舞伎があらためて注目を集めている。この映画で使われた衣裳を手掛けているのが、歌舞伎界を装束の面から支えてきた松竹衣裳である。400年の歴史を持つ歌舞伎の世界において、衣裳のつくり手が担ってきた役割とは──。

松竹衣裳
しょうちくいしょう
1957年に松竹の衣裳部から独立。歌舞伎舞台の衣裳を一手に引き受けるだけではなく、その他の演劇、映画、テレビ番組、舞踊、各種イベントの衣裳や小道具の製作、レンタル、販売を手掛ける。現在、全国4カ所に拠点を構えている。
松竹衣裳インスタグラム
@shochiku_cos

小笠原 和美
松竹衣裳
縫製職人
おがさわら・かずみ
和裁を学んだのち、2000年に松竹衣裳に入社。歌舞伎の他、映像や演劇などの縫製を手掛ける。映画『国宝』の衣裳も担当。
※注:本記事の制作に際しては、小笠原様に加え、松竹衣裳株式会社の複数のご担当者様にもご協力をいただき、お話を伺いました。
「日本文化に少しでも興味を持っている者ならば、歌舞伎を見なければ、という思いに駆られることは珍しくない。そして、何よりも好奇心だけを抱いて見にいった多くの者が夢中になってしまうのだ。あの華麗な色彩と響き、卓越した演技が歌舞伎の広い舞台で繰り広げられていくさまは演劇を愛好する者なら誰でも抗しがたいものであろう」
アメリカ人でありながら、日本人よりも日本文化に精通していると言われた文学研究者のドナルド・キーンは、『能・文楽・歌舞伎』でそう書いている。
「歌舞伎の舞台はどこから見ても美の粋と言えるだろう。見事な舞台装置や華麗な装束、意匠に富んだ仕種、それらのすべてが舞台を盛り上げ、時に、息を飲むような美に彩られる」
舞台における「美の粋」、とりわけ衣裳のきらびやかさという点で、歌舞伎はほかの伝統芸能を大きく凌ぐ。その「息を飲むような美」を見るために劇場に足を運ぶ歌舞伎ファンは少なくない。

全体に金糸の刺繍を施したきらびやかな衣裳。数十年にわたって古典演目で使われ続けている
歌舞伎の発祥は江戸幕府の開幕とほぼ同時期だったと言われる。時代とともに大衆芸能として発展し、舞台衣裳に工夫が凝らされるようになると、当時の呉服商が歌舞伎衣裳をつくることになった。
双子の兄弟、白井松次郎と大谷竹次郎が19世紀末に設立した松竹が歌舞伎の興行を一手に引き受けるようになってからは、衣裳づくりも松竹の担当となり、現代につながる歌舞伎衣裳の歴史がスタートした。
現在、歌舞伎の全公演の衣裳づくりを手掛ける松竹衣裳が、松竹の衣裳部から独立して一企業となったのは、1957年のことである。日本でテレビ放送が始まったのは1953年で、テレビ番組の衣裳づくりのニーズも徐々に高まってきていた。歌舞伎だけではなく、映像、演劇、日本舞踊やイベントの衣裳をつくり続け、わが国の装いの文化を支えてきた松竹衣裳。その歴史は70年になろうとしている。

総勢30人ほどの衣裳縫製のプロたちが、いくつかのチームに分かれて、ひと部屋で縫製作業に当たる
歌舞伎の衣裳づくりは、いくつかの専門分野に分かれている。演目ごとに必要な衣裳をリストアップし、社内制作側に発注するのは衣裳方の仕事である。公演での着付けを担うのも衣裳方の役割だ。
制作サイドは、「着物・特殊装束」「襦袢」「小裂(こぎれ)」「着肉」といった担当部署に分かれる。襦袢は着物の下に着る肌着類、小裂は、頭巾、手拭、足袋、紐、たすき、鉢巻き、腰帯、ふんどしなど、舞台で使われる布小物類全般のことである。着肉は衣裳の下に着用するもので、彫物を施した「彫物着肉」、ふくよかな体型を表現する「綿入着肉」などの種類がある。
小笠原和美氏は2000年に松竹衣裳に入社し、縫製ひと筋でキャリアを積んできたベテランである。和裁の技能を身につけたのちに就いた仕事だったが、当初はかなり苦労したと振り返る。

松竹衣裳で縫製の仕事を始めて25年以上になる小笠原氏
「歌舞伎の衣裳は、以前に舞台で使ったものを修繕したり、サイズを調整したりして使うことが少なくありません。サイズを変える際に布をほどきやすくするよう、縫い目は普通の和裁よりも粗めになっています。運針の仕方が和裁とは違うので、歌舞伎衣裳用の縫い方を一から学ばなければなりませんでした」
歌舞伎では、衣裳の種類も多岐にわたる。「時代物」と呼ばれる江戸時代より前を舞台にした歴史物語、江戸時代の現代劇である「世話物」、能や狂言の演目を題材とした「松羽目物」といったジャンルがあり、さらに近年では、『ヤマトタケル』などのスーパー歌舞伎や、『風の谷のナウシカ』『NARUTO -ナルト-』などのアニメを原作とした新作歌舞伎の公演も増えている。また、伝統的な歌舞伎には、立役、敵役、女方といった役のそれぞれの衣裳がある。各々の演目や役柄に求められる衣裳を、衣裳方からの指示に応じてつくり直し、必要があれば一からつくるのが縫製担当の仕事である。
衣裳方からの指示は、荷札に書いた指示書と呼ばれる一種の指定書によって行われる。これは、舞台の場面ごとに必要な衣裳を手書きで書きこんだもので、すべて伝統的な「衣裳用語」で書かれている。その内容を正確に読み取るのも、縫製担当に求められるスキルだ。指示書に書かれていることを把握して、縫製作業を一人でこなせるようになるまで10年はかかるという。
衣裳の詳細は、「附帳(つけちょう)」と呼ばれる和紙製の帳面にやはり手書きで記録されている。附帳の中には、古くは昭和初期のものもあるという。歌舞伎衣裳に関する「知」を記録した貴重な資産である。

演目の場面ごとに必要な衣裳をすべて手書きで書いた「附帳」。過去から未来に引き継がれる歌舞伎舞台の貴重な資産だ
歌舞伎の世界の中心にいるのは俳優だ。ドナルド・キーンは書いている。
「歌舞伎では、主役は脚本ではなく、あくまでも役者である。劇的効果を高めたり、あるいはそれぞれの特技を十分見せようとするだけでも、役者はセリフを変えることに躊躇しない」
衣裳づくりもまた、俳優に合わせることが何より大切である。サイズを俳優の体型にフィットさせる必要があるのはもちろんのこと、俳優の好みも最大限尊重されなければならない。例えば、同じ演目の同じ役柄であっても、それを演じる俳優や一門によって衣裳の色味や形状の好みが異なる。その細かな要望に応えるのも、縫製担当の重要な役割である。

帯、たすき、紐、頭巾、膝当てなどの小物の総称が「小裂」。過去に舞台で使用した大量の小裂が種類ごとに棚に並ぶ

専門スタッフが小裂用の附帳を見て、ストックから正確にピックアップしていく。新たに製作するケースも少なくない
「舞台では、衣裳替えが何度もあることがあります。見栄えだけでなく、着やすさ、着替えやすさも、歌舞伎衣裳にとっては大切な要素です」
そう小笠原氏は話す。公演初日のリハーサル時に俳優から修繕依頼が寄せられ、迅速に対応しなければならないこともあるという。
縫製のプロにとっての大きな喜びの一つは、俳優から衣裳づくりや修繕を指名されることだ。俳優にとっても、自分の好みや体つきの特徴をよく理解してくれている縫製担当がいることはありがたいことだろう。「ぜひ、小笠原さんにお願いしたい」と名指しで依頼があれば、どれだけ緊急の修繕であっても全力で応じようと思えると小笠原氏は言う。

一心不乱に運針に取り組む。歌舞伎衣裳は、サイズの変更やパーツの取り換えがしやすいよう、一般的な和裁よりも一つひとつの縫い目を大きめにして、ほどきやすくしている

指示書の内容を正確に読み取り、歌舞伎衣裳独自の縫製を一人でできるようになるまで10年はかかるという
もっとも、縫製担当は通常はあくまで縁の下の力持ちであり、一般に名前が知られることはほとんどない。歌舞伎の公演はもとより、映画『国宝』でも多くの衣裳を手掛けた小笠原氏の名前がエンドロールに出ることはなかった。
それでも、舞台や映像を見れば、どれが自分が担当した衣裳であるかはすべてわかる。よくできていると思えることもあれば、自分のイメージとは見え方が異なると感じることもある。それらはすべて、仕事の精度を高めていくための学びとなる。小笠原氏はそう話す。
過去の衣裳をアレンジすることの多い歌舞伎衣裳づくりだが、新作の歌舞伎では一から衣裳をつくることになる。現在の新作は、数十年後には古典になるかもしれない。衣裳ももちろん受け継がれていくことになるだろう。だから、何十年もの使用に耐えるしっかりしたものをつくる必要がある。縫製のひと針ひと針は、歌舞伎の歴史を縫う営みである──。そう言ってもいいかもしれない。
どれだけ数をこなしても、わからないことはたくさんあると小笠原氏は言う。だから、この仕事が続く限り勉強は続くのだと。衣裳のつくり手としての矜持が、そのモチベーションを支えている。
歌舞伎の歴史は400年を超えている。しかし400年の間、同じ芸能の形を保ってきたわけではない。
歌舞伎の始祖と言われている出雲阿国は女性芸人であり、ある時期まで歌舞伎は主に女性の俳優によって担われてきた。その後、男性俳優による「若衆歌舞伎」「野郎歌舞伎」が生まれ、歌舞伎は男女の俳優によって演じられることとなったが、女性俳優の存在が風紀を紊乱(びんらん)するという理由で幕府が歌舞伎を女人禁制としてからは、すべての役を男性が演じる芸能として定着した。
敗戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領政策下で存続が危ぶまれたこともあったが、いっときの停滞を経て戦前と変わらない形で復活したのは、歌舞伎という芸能の持つ底力であったと言っていいかもしれない。
「一般大衆の方では歌舞伎を捨て去るなどとは思いもしなかった。歌舞伎こそ、今日に至るまで、他の何よりも日本を代表する舞台芸術として、多くの人に愛されてきたのであった」(『能・文楽・歌舞伎』)
衣裳もまた、新しい素材や縫製法を導入するなど、時代の変化に対応しながら、歌舞伎の歴史を今日まで支えてきた。「伝統......そして新しい」という言葉で歌舞伎衣裳の本質を表現するのは、松竹衣裳の海老沢孝裕社長である。一方に、歌舞伎の歴史を学びながら格調高い衣裳を制作してきた誇りがあり、一方に、時代の変化を敏感に捉えて現代の感覚を織り込むチャレンジの気風がある。それが歌舞伎の衣裳づくりなのだと海老沢氏は言う。

俳優が衣裳の下に着用するのが「着肉」。刺青を表現したもの、白粉を塗ったように見せるものなど、種類は様々だ

服飾や縫製の専門家ではなく、美術大学などで絵画などを学んだスタッフが手描きで一つひとつ仕上げていく
歌舞伎の語源は「傾(かぶ)き」であり、これは新しさ、奇抜さ、自由さを意味する言葉だった。チャレンジする文化がもともと歌舞伎の根底にはある。
芸能の歴史は、伝統を守るだけでは続かない。伝統を尊重しながら、一方で新しいものに積極的に挑戦していくこと。その両方を大切にすることで、歌舞伎の400年の歴史は続いてきた。最近の若い俳優の中には、古典的な演目だけではなく、新しい作品に取り組むことで、これまで歌舞伎を知らなかった客層にアピールし、歌舞伎界を活性化させたいと考える人たちも増えている。果敢なチャレンジによって歌舞伎の歴史を未来につないでいきたい。その俳優たちの意気込みに、衣裳をつくる側も応えていかなければならない。
幸いと言うべきか。和裁のスキルを学び、かつ歌舞伎や舞台に深い関心を持つ若い層は多く、松竹衣裳にも毎年新しい仲間が入社してくるという。小笠原氏のような熟達のベテランが、自分が学んできた歌舞伎衣裳づくりの技法を若い世代に伝える。若い人たちは、新しい感覚をもたらし、歌舞伎衣裳の可能性を広げていく──。伝統を継承する理想的な形と言っていいだろう。古く新しい芸能。その歴史を縫う営みは、これからも続いていく。

歌舞伎衣裳には、一般的な着物よりも大きめの柄があしらわれている。
これは観客から柄が見やすいようにする工夫であり、
演じる男性俳優の体格に合わせたものでもある

首の後ろの中心から袖口までの長さを示すのが裄丈。これも男性俳優の体格に合わせ、一般的な着物と比べて長めになっている

俳優に合わせてサイズを調整したり、修繕したりしやすくするため、歌舞伎衣裳の縫い目は通常の和裁よりも粗めでほどきやすくなっている

襦袢の素材は一般にちりめんだが、歌舞伎用の襦袢は胴や裾の部分に木綿を使用している

それによって汗を吸いやすくなるだけでなく、丈夫になる

より舞台映えするよう、一般的な着物よりも広がりとボリュームを強調している

衣裳胴部の帯で隠れる部分には刺繍が施されていない。衣裳を少しでも軽くするためだ。帯締めは、舞台映えするよう太めにつくられている。扱は帯の下に締める小物
東京・東銀座の歌舞伎座近くの松竹衣裳の本社で取材をさせていただきました。強く印象に残ったのは、それぞれの領域のプロフェッショナルの皆さんが黙々と仕事を進められている姿でした。歌舞伎の華やかさの陰には、たくさんの専門家の日々の地道な努力があるということがよく分かりました。映画『国宝』が大ヒットし、新作歌舞伎やスーパー歌舞伎が人気を集めるなど、歌舞伎への注目がいよいよ高まっていると感じます。ときに「動く錦絵」とも呼ばれる歌舞伎。そのきらびやかな世界を衣裳面で支える松竹衣裳の皆さんのさらなるご活躍に期待しています。