Hitachi
EnglishEnglish お問い合わせお問い合わせ
メインビジュアル メインビジュアル

40歳を過ぎてなお成長をめざす アスリートとしての飽くなき向上心

360回表示しました

車いす陸上に出合って23年。チーム・アウローラ車いす陸上競技部をけん引してきた久保恒造は、42歳になった現在もアスリートとしての進化を続けている。2022年からは選手兼コーチという前例のないポジションで活動する久保に、車いす陸上、そしてチーム・アウローラにかける思いを聞いた。

※本記事は2024年2月に掲載されたものです。
  • collection24_profile_kubo_280_280.jpg

    久保 恒造

    チーム・アウローラ
    車いす陸上競技部

    北海道美幌町出身。高校時代は野球部で活躍。高校3年生の時に事故で脊髄を損傷し下半身まひとなる。その後車いすマラソンを始め、2008年にチーム・アウローラに所属してからスキーに転向する。14年から再び車いす陸上をメイン競技とし、国内外の大会で活躍を続けている。

2度のけがを経て近づいた「理想の走り」

2023年、久保恒造は好調だった。4月の日本パラ陸上競技選手権大会の5000mT53/54クラス※で優勝。7月にパリで開催された世界パラ陸上競技選手権大会のT54クラス5000mでは、見事7位入賞を果たした。

※障がいの種類や程度などで選手を区分し、そのクラスごとに競技を実施。久保選手のクラスはT54。T50番台(T51~54)は車いすのクラス。T54は車いすのクラスの中で一番障がいの程度が軽く、最もハイレベルなクラスである

18歳の時に交通事故で脊髄を損傷し、19歳で車いす陸上を始めた。それから23年。42歳になった現在も国内外の大会に挑み続け、好成績を残している。

「20代、30代の頃と比べれば体力は落ちていますが、技術的には今が頂点だと感じています」
そう久保は言う。現在の好調の要因として久保が挙げるのが、2度のけがの経験だ。19年に手首の靱帯を断裂して2カ月以上練習することができなかった。22年末には腰を痛め、やはり3カ月ほど練習から遠ざかった。その2度の小リタイア期間がうまく作用したのだと久保は話す。

「自分自身に向かい合ういい機会になりました。普段は考えないことを考えたり映像を見たりして、自分に足りないものに気づくことができたように思います。理想的な走りのイメージがいつも僕の中にはあるのですが、そのイメージになかなか近づけないもどかしさが以前はありました。でもけがで休んだ後は、思い描いていたイメージに近い走りができるようになりました。けがの功名という言葉がありますよね。けがをしていなかったら、今でももがき続けていたかもしれません」休養期間には、気持ちをリフレッシュさせる効果もあったという。

「久しぶりにレーサー(競技用車いす)に乗り込んだ時は本当に新鮮な気持ちでした。20年以上競技を続けてきて、あのような新鮮さを感じることができたことが自分でも驚きでしたね」

collection24_img01_570_380.jpg

選手兼コーチという新しいチャレンジ

22年末に大きな決断をした。選手活動を続けながら、アウローラ車いす陸上競技部のコーチを兼任するという決断である。

「21年のパラリンピック東京大会に出場して、世界との差をあらためて見せつけられました。僕が出場したT54のクラスは、僕も含めて世界に大きく後れをとっている。今から何とかしていかないと、このクラスには未来がない。そう強く感じました」

車いす陸上競技は、障がいの度合いによってクラスが分かれている。自分が出場しているT54クラスの現状に危機感を抱いた久保は、これまでの経験を若い世代に伝えて競技レベルの向上をめざしたいと考えるようになったという。「これからは選手兼コーチとして活動させてほしい」と自ら申し出て、部に所属する2人の選手、34歳の馬場達也と27歳の岸澤宏樹を指導しながら選手活動を続ける新しい取り組みをスタートさせた。

前例のないポジションへの果敢なチャレンジだった。しかしその新しい役割に対して、特に困難は感じていないと久保は言う。

「考えていることを言葉にして伝えることで、自分の思考が明確になったり、新しい気づきが得られたりします。逆に馬場や岸澤から学ばせてもらうことも少なくありません。僕が一方的に指導するのではなく、互いに学び合える関係がつくれていると思います。この1年ほどの間で、僕もすごく成長させてもらいました」

特別なコーチングの勉強をしたわけではない。23年間続けてきたセルフコーチングの経験を丁寧に伝えることが久保の流儀だ。それぞれに選手としての個性や障がいの度合いは異なるので、久保のこれまでのやり方がそのまま適合するわけではない。馬場と岸澤は、久保からのアドバイスを受け止め、咀嚼して、自分たちのフィーリングで練習に取り入れていく。

「僕が特に大事にしているのは、トレーニングメニューの一つひとつにしっかり理由づけをすることです。何のためにこのメニューに取り組むのか。この練習をすることでどのような課題を克服しようとしているのか──。その意識があるかないかで、トレーニングの効果が大きく変わるからです」

collection24_img02_570_380.jpg

アウローラに所属した当初、久保のメイン競技はスキーだった。車いす陸上競技部が新たに設立されたのは、車いす陸上でパラリンピック出場をめざしたいという久保の強い思いがあったからだ。わがままを受け入れてもらったという気持ちが常にあると久保は言う。そのことへの感謝の気持ちを一日たりとも忘れたことはない、と。

「自分だけではなく、車いす陸上競技部の成長のために力を発揮したいというのが僕の今の思いです。車いす陸上競技部の活動を通じて、アウローラ、そしてチームの活動を支えてくれている日立ソリューションズに貢献すること。それが僕の役割だと思っています」

体力と気力が続く限り走り続けたい

長い歴史を持つ健常者の陸上競技では、短期間で記録が劇的に伸びることはない。一方、歴史の浅い車いす陸上は、現在も大きな進歩を続けている。4年に1度のパラリンピック大会のたびにタイムが大きく塗り替えられることも珍しくない。競技自体が現在も成長の過程にあることが車いす陸上の一番の魅力だと久保は言う。それはまた、選手一人ひとりに大きな伸びしろがあることも意味する。

「試合に出るたびに自分の成長が感じられるし、逆に課題も見えてきます。明らかになった課題を次のレースで克服できても、また新しい課題が見えてくる。その繰り返しです」
やるべきことは常に山のようにある。だから試合でいい成績が残せたとしても、それで安堵することはないし、のんびり休む暇もない。次にやってくるレースの準備をすぐに始めなければならない。「この20年間、試合の余韻に浸ったことは一度もないですね」。そう言って久保は笑う。

collection24_img04_570_380.jpg

40歳を過ぎた今、一つひとつのレースをしっかり戦うことを一番の目標としている。目標を先に置きすぎても、そこまで体が持つかどうか分からないという気持ちがあるからだ。しかし、決して自分に限界を感じているわけではない。
「事故で下半身が動かなくなった時に車いす陸上に出合って、"これだ!"と思いました。この競技は僕にとって生きる希望です。今もそれは変わりません。体力と気力が続く限り走り続けたい。そう思っています」

collection24_img05_570_380.jpg

Team AURORA
チーム・アウローラ

2004年11月設立。スキー部と車いす陸上競技部の選手が所属。現在は6人の選手が現役で活動している。チーム名の「AURORA」はイタリア語で「夜明け」を意味する。

「チームAURORA(アウローラ)」ブログ
世界の頂点をめざし、パラスポーツの裾野を広げたい! 日立ソリューションズ「チームAURORA(アウローラ)」の選手・監督が、日常の素顔から大会日記までをお届けします。

前の記事
記事一覧
次の記事
twitter facebook
その他のシリーズ
おすすめ・新着記事
PICKUP