Hitachi
EnglishEnglish お問い合わせお問い合わせ
メインビジュアル メインビジュアル
幸福学の前野教授に教わる いまこそ知りたいウェルビーイング

LESSON 5 ウェルビーイング研究の現状を教えてください|前野 隆司

2259回表示しました

どんな分野の人たちがどんな研究をしてきたのか。そのはじまりから、現在に至るウェルビーイング研究の大まかな全体像を捉えます。

※本記事は2023年12月に掲載されたものです。
  • fea_wellbeing_profile_maeno.png

    前野 隆司(まえの たかし)

    慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授

    1962年、山口県生まれ、広島県育ち。86年、東京工業大学修士課程修了後、キヤノン株式会社に入社してカメラの開発に携わる。その後、米国カリフォルニア大学バークレー校客員研究員、慶應義塾大学理工学部教授、米国ハーバード大学客員教授などを経て、2008年から慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント(SDM)研究科教授。17年から慶應義塾大学ウェルビーイングリサーチセンター長を兼任している。24年から武蔵野大学ウェルビーイング学部長を兼任予定。一般社団法人ウェルビーイングデザイン代表理事、ウェルビーイング学会会長。『脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説』(筑摩書房)、『幸せのメカニズム実践・幸福学入門』(講談社)、『幸せな職場の経営学』(小学館)、『ウェルビーイング』(共著/日本経済新聞出版)など著書多数。

幸せはうつる。そんな研究もあります。

前野教授は「心理学を中心に研究は多岐にわたる」と語ります。
ウェルビーイング研究について知っておきたい基本をお聞きしました。

あらゆる学問の対象になりうるウェルビーイング

――ウェルビーイング研究はどんな学問から成り立っていますか。

実に多種多様です。幸福学、いわゆる主観的ウェルビーイング研究という分野では心理学者が中心に進めています。ウェルビーイングには健康とか福祉という意味もあるので、医学の研究者も取り組んでいます。また働く幸せの研究という分野になると、経営学や組織論を専門とする人たちも関わっています。哲学者もいますね。教育、政治、看護学もあるし、最近では脳計測とバイタルデータなど、医学とテクノロジーを組み合わせた研究も行われています。さらには、ウェルビーイングと遺伝の関係を調べる分子生物学の研究もあります。
「すべての人の幸せ」がテーマなので、どんな学問にも関係するのではないでしょうか。なかでも最も研究者が多いのはやはり心理学だと思います。

――心理学でウェルビーイング研究の先駆者はどんな方でしょうか。

主観的ウェルビーイングについては、心理学をはじめ、さまざまな分野で研究が行われてきました。なかでも「ドクター・ハピネス」の異名を持つ米国の心理学者、エド・ディーナー氏は先駆的な研究者といえるでしょう。ディーナー氏は2021年にこの世を去りましたが、1980年代から約30年にかけて多くの研究を行いました。なかでも「人生満足度尺度」の開発が有名です。
それは幸せを測るためのアンケートで、5つの質問に対して7段階の答えを選んでもらう形式になっています。

fea_wellbeing05_img01_570_380.png

――「人生満足度尺度」はどんな成果をもたらしたのですか。

「人生満足度尺度」は幸福度を測る研究で広く使われています。あくまで自己評価なので個人差の影響が出ます。楽観的な人は「7非常によく当てはまる」が多いかもしれない。慎重な人は「3あまり当てはまらない」がほとんどかもしれない。でも、このアンケートを多数の人に実施し、コンピュータで統計的に処理すると個人差の影響が薄められ、全体として何が幸せにどれくらい影響するかを明確にできるのです。
これまで心理学といえば、フロイトやユング、マズロー、アドラーにしても、じっくり考えた末に心理学者自身が答えを導き出す、哲学のような側面が強かった。それが1980年代頃からコンピュータで統計処理ができるようになり、心理学の一部がサイエンスになったのです。こうした統計的分析法が、後世のウェルビーイング研究に大きな功績をもたらしたといえます。
私の研究でもこのアンケートを実際にやっています。15歳から79歳までの日本人1500人に対してウェブ調査を行いました。ちなみに平均は18.9点でした。

fea_wellbeing05_img02_570_380.jpg

ウェルビーイング研究で重要なポジティブ心理学

――ほかにも心理学で代表的な研究者はいますか。

ウェルビーイング研究を語るうえで欠かせないのが、「ポジティブ心理学の父」と呼ばれるペンシルバニア大学教授のマーティン・セリグマン氏です。LESSON2でも「PERMA」という理論とともに少しだけ紹介しました。
もともとポジティブ心理学というものはなく、うつ病の研究をしていたセリグマン氏が命名し、はじめたものです。従来の心理学が病気や悩みなど人のネガティブな心理状態にフォーカスしていたのに対し、ポジティブ心理学は生活をより前向きに生き生きとしたものにすることをめざしています。

――「PERMA」とは、どういうものですか。

「PERMA」は5つの単語の頭文字を取ったもので、この5つを満たしていると幸福度が高いというものです。以前は少しお話をしただけなので、あらためて紹介したいと思います。

P:ポジティブ感情(Positive Emotion)
うれしい、面白い、楽しい、感動、感謝など、ポジティブな感情を持つ人は幸せです。

E:何かへの没頭(Engagement)
時間を忘れて何かにのめり込んで没頭している状態のことです。幸せかどうかの判断はしませんが、ウェルビーイングな心理状態の一種と捉えています。

R:人との関係(Relationship)
人間は独りだと「ロンリネス(孤独)」の状態になります。孤独状態では幸福度は低い傾向があります。「ソリチュード(孤高・孤立)」という概念もありますが、この状態では幸福度は特に低くないので分けて考える必要があります。ロンリネスを感じている人は、人とつながりを持つことが大事で、利他的な関係、人と助け合う関係を持っている人は幸せだということも明らかにされています。

M:生きる意味(Meaning)
生きる目的を自覚すること。自分よりも大きいものとの関係を意識することが大事と言われています。「大きいもの」とは社会や地球でもよいでしょう。社会に対して、地球や環境に対して、自分には何ができるかを考えながら取り組むことで、充実感が生まれるはずです。もう少し大きなものとして、やや宗教的になりますが、神や宇宙との関わりを考えることも幸福度に関係するようです。

A:達成(Accomplishment)
何かを成し遂げる、あるいはそのために一所懸命がんばっている状態の人は幸せということです。

「生きる意味(Meaning)」や「達成(Accomplishment)」は欧米的な個人主義の要素が多分に含まれていると思います。このため私たち日本人には少し強すぎるメッセージかもしれません。私の個人的な見解では、平穏無事な日常を送ることも幸せだと思っていますので、生きる意味を考えたり、目標を達成したりすることにこだわりすぎるあまり、日々のささやかな幸せをおろそかにしないでほしいという思いもあります。

幸せの条件を科学的に解き明かす因子分析

――先生は「幸せの4つの因子」を提唱されています。因子分析について教えてください。

「幸せの4つの因子」については、LESSON2で紹介しましたので、因子分析について簡単な解説をします。
因子分析とは「多変量解析」の一つです。多変量解析はたくさんの量的データの間に存在する関係を解析するものですが、この手法を用いることで、データに潜んでいる構造を明らかにすることができます。
よく「因子に分類する方法ですね」と言われるのですが、少し違います。物事を分類するのではなく、物事の要因をいくつか求め、それら複数の要因がその物事にそれぞれどのくらい寄与しているかを数値化する方法です。

――具体的にはどのような方法でしょうか。

専門的な話は省略するとして、因子分析のやり方を説明します。まず知りたい対象に関係する多くの項目について多くの人にアンケート調査を行います。次にその結果をコンピュータにかけて、いくつかの因子を求めます。さらに、それぞれの因子に関係深いアンケート結果をもとに因子に名前を付けます。これで因子分析の処理は終わりです。
あとは分析結果を見て、知りたかった対象が、どんな因子軸で表されているか、それぞれの質問と因子軸の関係はどいうなっているか、などを考察します。

――因子分析の意義はどんなところにありますか。

「幸せの4つの因子」は、幸せに寄与する心的因子はたぶんこの4つだろう、と単なる思いつきで言っているわけではありません。過去の研究から、幸せに関連する項目を徹底的に洗い出し、それをアンケートにして、1500人の日本人に回答してもらい、その結果をコンピュータによる多変量解析で4つの因子を求めたものです。
ポジティブ心理学では、幸福の心理学について熟知した心理学者たちが、幸福の要因を導き出し、それをもとに幸せになるコツを解いています。しかし幸福の要因を導く方法は、熟練したエキスパートの知識と直感に基づかざるをえない。私の研究で行った因子分析では、全体を数学的にモデル化する手法を用いているので、人々の思考の構造を明確に可視化できます。わずか4つの因子にシンプルに要約できたのも有益だと考えています。

fea_wellbeing05_img03_570_380.jpg

――海外ではどんな因子分析の研究が知られていますか。

ウイスコンシン大学の心理学者、キャロル・リフ教授による研究が有名です。因子分析によってさまざまなアンケートの結果をコンピュータで分析した結果、人が幸せを感じるためには、6つの要素が重要であることを導き出しました。
1989年に発表されたもので「6軸モデル」と呼ばれています。簡単に紹介しましょう。

(1)自律性(Autonomy)
  自律して自己決定していること。

(2)状況をコントロールする力(EnvironmentMastery)
  複雑な環境を的確に制御できていると感じること。

(3)自己成長(PersonalGrowth)
  成長して発達し進歩を実感すること。

(4)ポジティブな他者関係(PositiveRelationswithothers)
  他者との愛情、信頼、共感といったポジティブな関係を築いていること。

(5)人生の目的の明確さ(PurposeinLife)
  人生の目的と自分の生きる方向性を自覚していること。

(6)自己受容(Self-Acceptance)
  自分のよいところ・悪いところを受け入れていること。

幸せはうつる?多岐に広がるウェルビーイング研究

――行動経済学でもウェルビーイングが研究されていると聞きました。

いちばん有名なのは、ノーベル経済学賞を受賞した米国の心理学者・行動経済学者のダニエル・カールマン教授の研究だと思います。経済学はもともと人の心に関与しない学問だったのですが、幸せになるのはどんなお金の使い方なのか、景気がよくなると人は幸せになるのか、こうした心の状態も含めた経済学の研究をはじめた人たちがいて行動経済学が生まれました。
行動経済学は「心理学×経済学」みたいな分野ですから幸福学と非常に近い。その代表的なものが、年収と幸せの関係についての研究です。年収が7万5千ドルに達するまでは年収が増えるほど人は幸せになるけれども、それを超えると幸福度はあまり上がらなくなるということを明らかにしました。
また、お金を購買のために使うよりも、何らかの体験のために使ったほうが幸福度は高まるという研究も発表しています。

――医療の分野でもウェルビーイング研究が進んでいるそうですね。

興味深い研究者としてはエール大学のニコラス・クリスタキス教授がいます。彼は公衆衛生や予防医学が専門で、ネットワークデータ分析の専門家でもあります。
もともと肥満や喫煙習慣はうつるといった研究をしていました。肥満や喫煙は病原菌を介してうつるわけではありませんが、生活習慣として友だちから友だちへうつることを実証しました。
そのクリスタキス教授が「幸せもうつる」という研究を発表したのです。友だち関係をネットワーク図に示し、人間を丸で示し、親しい人を線で結び、また、幸せな人と不幸せな人を色分けし、5年後、10年後を見ていくと、幸せと不幸せが細胞の増殖のように発展していくことが明らかになりました。

――遺伝子工学からウェルビーイングを研究する動きもあるとか。

遺伝子工学について言えば、1990年代に日本人は気質として心配性の人が多いという研究が鳥取大学医学部の村上文世氏らによって発表されました。
私たちには「セロトニン・トランスポーター」というセロトニンを運ぶ遺伝子があります。セロトニンは、レアルアドレナリン、ドーパミンと並ぶ3大神経物質で、これが不足すると、うつ病の原因にもなるとされています。
この遺伝子にはセロトニンが運ばれにくい「セロトニン・トランスポーターS型」というタイプがあります。日本人はこの「心配性遺伝子」といわれる「S型」を持っている割合が約8割に上ります。その一方で米国では「S型」の人の割合は約4割とほぼ半分です。
心配性の人は一般的には幸福度が低いといわれています。では、生まれつき心配性な人は不幸になりやすいのかというと、そうではないことがわかっています。心理学の多くの研究により、性格を構成する要素は先天的なものと後天的なものが半々といわれているので、遺伝子にあまりとらわれる必要はないでしょう。むしろ日本人は心配性の傾向があると自覚を持つことで、幸せな状態をうまくコントロールできるのではと思います。

ウェルビーイング研究を教育に活かしたい

――先生がいま重要と考える研究テーマは何でしょうか。

研究テーマについては、私の担当する学生たちが何十人もいて、それぞれ多様なテーマを掲げて研究を進めています。ですから、数ある研究テーマの中からどれか一つを選ぶのは難しいのですが、私のなかで最重要と言えるテーマは教育です。
LESSON1でもお話をしましたが、2024年に武蔵野大学に世界初のウェルビーイング学部が新設され、私は学部長を務めます。慶應義塾大学の教授もこれまで通り続けますので兼任となります。長年の取り組みから研究結果はかなりいいものが出てきているので、それをちゃんと教育に活かしていきたい。研究と教育をうまくつなげたい。そんな思いを強くしています。
これまでウェルビーイングをテーマにした企業内教育を行ってきましたが、これを大学教育に取り入れることで、ウェルビーイングの学びをさらに世の中に広く浸透させたいと考えています。

前の記事
記事一覧
次の記事
twitter facebook
その他のシリーズ
おすすめ・新着記事
PICKUP