日米の野球界で20年間活躍し通算203勝を達成した大投手・黒田博樹氏と、40年近くにわたって営業畑を歩んできた日立ソリューションズ常務執行役員の香川尚彦。2人が考えるコミュニケーションの本質とは。
黒田 博樹
野球解説者
くろだ・ひろき/
1997年、広島東洋カープに入団。2008年からメジャーリーグのロサンゼルス・ドジャースとニューヨーク・ヤンキースで活躍し、15年にカープに復帰。16年のリーグ優勝に貢献する。同年引退後は、野球解説やカープの球団アドバイザーとして活動している。
香川 尚彦
日立ソリューションズ
常務執行役員
かがわ・なおひこ/
1987年、日立製作所に入社。関西支社産業情報システム営業部長。同副支社長などを経て、2019年に日立ソリューションズ営業統括本部副統括本部長に就任。23年4月から常務執行役員営業統括本部長兼チーフマーケティングオフィサーを務める。
香川:私は広島市生まれということもあって、子どものころから広島カープの試合をよく見ていました。カープがなかなか勝てなかった時代に黒田さんがエースとしてチームを引っ張っていた姿をよく覚えています。2008年からの7年間のメジャーリーガーとしての活躍ぶりも素晴らしかったと思います。
黒田:ロサンゼルス・ドジャースに入団したのは33歳の時でしたが、メジャーでは年齢よりもメジャーでの年数が重視されるんです。僕も10歳以上若い選手たちと一緒に1年目のルーキーとして扱われました。最初は戸惑いましたね。
香川:コミュニケーションの面でも苦労があったのではないですか。
黒田:ありましたね。やはり一番は言葉の問題です。僕は通訳を介してコーチやキャッチャーと話していたのですが、日本とアメリカでは野球用語がかなり違うんです。例えば「クイックモーション」という言葉はアメリカにはなくて、「スライドステップ」といいます。通訳がそのことを知らないと、キャッチャーが試合中に言った「スライドステップ」という言葉をそのまま僕に伝えるわけです。でも、僕は何を言われているかさっぱり分からない(笑)。そんなことがよくありました。
香川:日本の野球では、キャッチャーが出したサインにピッチャーが首を振って別のサインを要求する場面をよく見ます。メジャーでもそういうことはよくあるのですか。
黒田:メジャーでは、キャッチャーが主導するよりも、ピッチャーが投げたい球を投げるというイメージがありますね。コーチや監督がピッチャーに指示することもあまりなくて、自主性に任せるという感じです。
香川:場所やシチュエーションが変わるとコミュニケーションの流儀も変わるということですよね。営業で最も重要なのはお客様とのコミュニケーションですが、コロナ禍でコミュニケーションのスタイルがかなり変わりました。対面での商談が難しくなって、オンラインでやり取りをしなければならなくなったからです。現場の営業担当も最初は戸惑っていましたが、次第にコミュニケーションの方法を工夫するようになって、オンライン商談で大型案件を受注できるようにまでなりました。
黒田:どんな工夫をされたのですか。
香川:SFA(※1)/CRM(※2)などのデジタル基盤を活用して関係者の情報共有はもちろん、お客様とのコンタクトを通じて我々の理解に齟齬がないか、丁寧かつきめ細かな確認を心がけました。お客様にもこの姿勢が評価され、オンラインでもプロジェクトを実行できる、という信頼をいただくことができました。また、従来は1人の営業が対応をしていた営業プロセスを体系化、分業化し、デジタル基盤を通じてお客様対応を行う形に移行しました。お互いがデジタル基盤を活用して連携することで、お客様とのコミュニケーションも充実するように進めてきました。
黒田:コミュニケーションの本質は、いかに相手を理解するかということなのでしょうね。僕は日本に帰ってきてから、若いピッチャーにアドバイスをする機会が増えましたが、それぞれ求めるものが違うので自分から声をかけることは避けるようにしていました。質問したい、アドバイスが欲しいと考えて自分から僕のところに来る人に、何が知りたいのか、何に困っているのかを詳しく聞いた上で、できるだけ的確なアドバイスをする。そんなことを心がけていました。
香川:相手を理解しないままで、一方的にアドバイスをしたりはしないということですね。
黒田:そうです。一方通行のコミュニケーションには意味がないと思っていました。
香川:全く同感です。相手を知ろうとする心、関心を持とうとする気持ち、理解しようとする姿勢。それがあって初めて、本当に実のあるコミュニケーションが成立すると思います。若い選手に対して、そういった真摯な姿勢で臨めるのが、黒田さんの素晴らしいところですね。
黒田:40歳を過ぎたメジャー帰りのベテラン選手に対して、自分から質問をするのは大変だったでしょうね。自分から勇気を持って一歩を踏み出した選手に対しては、全力で向かい合って、相手を本気で理解して、自分が持っているものをすべて伝えたい。そう考えていました。
香川:企業においても年配者が自分の経験を若い人たちに伝えていくことは大事ですが、若い人たちが何を求めているのか、ということにも関心を寄せて、伝えるべきことをしっかりと伝えていく。そんなことを私自身も大切にしたいと思います。
黒田:僕は決して順風満帆な野球人生を歩んできたわけではないので、伝えられることも多いのではないかと思っています。マウンドに上がることが怖くて、泣きそうになったことも一度や二度ではありません。苦しみながら、ようやく200勝に到達することができました。若い選手の中にも伸び悩んでいる人がたくさんいると思います。そんな人たちには、心からエールを送りたいですね。
香川:プロ野球選手になって数年間はなかなか成績が上がらない時期が続いたと思います。良い成績が残せるようになったきっかけは何だったのでしょうか。
黒田:危機感が募ったことと、責任感が芽生えたこと。その2つが大きかったと思います。プロの世界には毎年才能のある選手が入ってきます。結果を残せなければユニホームを脱がなければならない。プロ5年目くらいから、そういった危機意識がとても強くなりました。責任感が芽生えたのは、01年にカープの監督に就任された山本浩二さんのおかげです。就任時に直接「期待しているぞ」と声をかけていただいて、その期待にしっかり応えて自分の責任を果たさなければならないと思うようになりました。
香川:人生や仕事は決断の連続です。選手生活の中で一番大きかった決断は何でしたか。
黒田:やはり、メジャーからカープへの復帰を決めた時ですね。メジャーの複数の球団からのオファーがある中で、自分はどの道を選ぶべきか、ものすごく悩みました。心が決まるまでは、本当に5分、10分くらいの間隔で気持ちが行ったり来たりしていましたね。最終的にカープへの復帰を決めたのは、全力で投げられるうちに日本の球界でもう一度プレーしたいという思いがあったからでした。戦力にならなくなってから復帰したとしても意味がないだろうと。
香川:私も立場上、毎日のように様々な決断を下さなければなりません。決断とは、黒田さんの本のタイトルにあるように「決めて断つ」ことです。しかしこの本を読むと、反省させられることがとても多いと感じます。何かを決めた後で、「ああすればよかった」「別の選択をすればよかった」と考えてしまうことが私自身少なくないからです。本当なら、決めたからには一切後ろを振り返らずに、過去を断って前に進んでいかなければならないわけですよね。振り返ってしまうような決断は、実は決断になっていないのではないか。そんなふうに思うんです。
黒田:決めた後が大事ということなのだと思います。一度決めたからには、その決断が最良だったと思えるように努力するしかありません。自分が決めたことを後悔しないために頑張る。それが結果として、「振り返らない」ということになるのではないでしょうか。
香川:日立グループはサステナビリティを非常に重視しています。営業という立場から考えると、お客様のビジネスを支えるサービスを継続的にご提供していくことが、お客様と私たち双方のビジネスをサステナブルなものにする。そう言えると思います。お客様としっかりとコミュニケーションを取り、お客様の事業環境や課題を深く理解し、最適なサービスやソリューションをご提供していく。そんな取り組みをこれからも続けていきたいと考えています。黒田さんの今後の目標をお聞かせいただけますか。
黒田:物心ついた時からずっと野球だけの人生を歩んできました。50歳近くなった今、これまでとは全く違うことをやってみたいという思いが芽生えています。もう一つ別の人生があってもいいのではないかと。それが何なのかまだ分かりませんが、アンテナを張って、視野を広げながら、次に進むべき道を見つけていきたいと考えています。
香川:黒田さんは現役最後の年に広島カープを25年ぶりの優勝に導かれました。あの優勝の瞬間は今も目に焼きついています。これからの人生でも、活躍するお姿をぜひ私たちに見せていただきたいと思います。
黒田:これからも、自分の決断を後悔しない人生を歩んでいきたいですね。