日立ソリューションズのパラスポーツチーム「チーム・アウローラ」車いす陸上競技部に新メンバーが加わりました。26 歳の岸澤宏樹です。車いす陸上を始めてまだ5年弱ですが、これまで様々な大会で好成績を収めてきました。この競技にかける思いを語ってもらいます。
※本記事は2023年5月に掲載されたものです。
岸澤 宏樹
日立ソリューションズ
人事総務本部 タレントマネジメント部 採用グループ所属
1996年大阪府生まれ。大阪体育大学在学中に脊椎を損傷。卒業後の2018年に車いす陸上競技を始める。22年9月に日立ソリューションズに入社。
─もともとスポーツは得意だったのですか。
小学生の頃は水泳や空手をやっていて、中学から陸上競技を始めました。競技は110mハードルです。その後、高校の体育学科、体育大学と進学して陸上を続けました。
─けがをしたきっかけをお聞かせいただけますか。
大学3年生の冬に、ウエートトレーニングをしている最中に背骨を脱臼骨折してしまいました。それが5年前のことです。これまでのような競技はもう続けられないだろうとすぐに思いましたが、歩くこと自体ができなくなってしまったのはやはりショックでしたね。
─車いす陸上にチャレンジしようと思ったのはいつでしたか。
ずっと陸上競技の世界で生きてきたので、それしか道はないとすぐに考えました。4カ月間入院して、その後まもなく車いす陸上を独学で始めました。
─同じ陸上競技とはいえ、全く別のスポーツですよね。
陸上競技は体一つで戦えるところが好きだったのですが、車いす陸上は体が5割、道具が5割という世界です。道具をうまく扱えなければ勝てません。その点でかなり難しい競技だと感じました。もちろん、これまでの競技経験や、スポーツについて学んだことを活かせる場面もたくさんあります。経験を糧にしながら新しいことに挑戦していける。そんなところに醍醐味を感じています。
─最初に出場した試合は。
けがをした翌年の18年のトラックレースでしたね。110mハードルは直線の勝負ですが、車いす陸上はレーンを回ったり、レース展開を考えたりしなければなりません。その違いを実感した試合でした。その後試合経験を重ねる中で、徐々にこの競技に慣れてきたという感じです。
─19年の大分国際車いすマラソン ハーフで新人賞、21年のジャパンパラ陸上競技大会800mでは3位になりましたね。
陸上を長く続けてきたといっても、車いす陸上に関しては、技術やレース運びの面で明らかに経験が不足しています。ですから、とにかく多くの試合に出て経験を積もうと考えてきました。その結果だと思います。
─どのようなモチベーションを持って競技に臨んでいるのですか。
陸上が好きというのがまずは一番ですね。それから、自分のためではなく、恩返しのために走りたいと考えています。けがをして挫折をして、それでも前向きになれたのは、周囲の皆さんのおかげです。今度は自分が頑張っている姿を見せて、皆さんに元気や力を届けたい。そんなふうに思っています。
─アウローラとの出合いについてお聞かせください。
この競技を始めてから、たくさんの合宿にビジターとして参加させていただいていたのですが、その中でアウローラの車いす陸上競技部の久保恒造選手と知り合いました。久保さんは、技術を深いところまで探求して結果を出している一流の選手です。それまでは基本的に一人で練習をしてきたのですが、身近にお手本がいる環境に身を置いて、自分をさらに成長させたいと考えて、アウローラに入部させていただくことにしました。今は、人事総務本部に所属しながら練習を続けています。
─入部しての感想をお聞かせいただけますか。
競技に専念できる環境が用意されていること、スキーと車いす陸上の2つの部があるので部員同士で切磋琢磨できること。その2点が特に素晴らしいと感じています。これからチームを引っ張っていけるような選手になりたいと思っています。
─現在の目標を教えてください。
一番の目標は、日本代表に選ばれることです。23年と24年は多くの国際大会が開かれます。そこでいい成績を残し、代表に選考されて、24年にパリで開催されるパラリンピック大会に出場することをめざしています。車いす陸上を始めた当初はスポーツを続けられる楽しさが勝っていましたが、現実を知る中で、自分と世界のギャップをはっきり感じるようになりました。そのギャップをいかに埋めていくか。それがこれからの勝負だと思っています。
2004年11月設立。スキー部と車いす陸上競技部の選手が所属。現在は6人の選手が現役で活動している。チーム名の「AURORA」はイタリア語で「夜明け」を意味する。