ケニアからフェアトレードでバラを輸入し、日本に紹介する企業Asante。その創業者が萩生田愛さんだ。1人で起業し六本木ヒルズ内にある「AFRIKA ROSE」とオンラインショップを展開し、年間取扱量は10万本超。生産地に約1500人の雇用を生み出している。ところが好調の最中に代表取締役を辞任。新たにスローフラワー協会を設立し、現在は代表理事を務めている。その真意、そしてめざす未来とは? そして常に前進を続ける萩生田氏のエネルギー源とは?
萩生田 愛
Asante 創業者 一般社団法人スローフラワー協会 代表理事
米国の大学を卒業後、製薬会社勤務を経てNGOスタッフとしてケニアに渡る。現地の雇用創出の重要性を感じ、バラのフェアトレードを行うAsanteを起業。2015年、アフリカのバラ専門店「AFRIKA ROSE」を東京都内にオープン。23年スローフラワー協会を設立。
―最初に、Asanteの事業内容を教えてください。
ケニアからバラをフェアトレードで輸入し、六本木ヒルズ内にある「AFRIKA ROSE」の店頭およびオンラインで販売しています。2012年に起業して、現在は年間約10万本を輸入しています。
―なぜこのお仕事を始められたのですか。
アメリカの大学に在学していた時、授業の一環で模擬国連に参加して、世界の貧困問題について議論する機会がありました。アフリカには1日1ドル以下で生活している人がいるとか、学校に行けない子どもがいるという話は本を読んで知っていましたが、同じ地球に住む自分の問題でもあるんだと認識しました。当時はまだ学生だったので、まずは経済的に自立し、何かしらスキルを身につけてからアフリカに行こうと考え、製薬会社に就職しました。
29歳の時、会社が薬剤をアフリカに無償提供するというプロジェクトを始めたんです。それでアフリカへの思いが再燃しました。プロジェクトに手を挙げたのですが、女性はリスクが大きいからとかなわず......。それなら自分で行こうと退職して、11年に国際NGOのボランティアスタッフとしてケニアに行きました。
―NGOでは、どのような活動をしていたのですか。
ムインギという貧困度が高い地域で、小学校を建設する活動です。それ自体はもちろん素晴らしい取り組みなのですが、次第に違和感を覚えるようになりました。
―どんな違和感でしょうか。
いろいろなNGOが来て支援をするので、人々が援助されることに慣れてしまっていると感じたのです。自分たちで動こうとせず、「今度は何をつくってくれるんですか?」というスタンス。私たちは自立を支援するために来ているのに、依存を生み出していると思いました。さらに、学校を建てても通えない子どもがいます。当時のケニアは失業率が40%でした。親が無職だと子どもが働かなければならず、目の前に学校があっても通えないわけです。一方的に与えるのではなく、雇用を増やすことこそ大事だと考えるようになりました。
―なぜバラのフェアトレードに着目したのでしょうか。
ある週末、ナイロビのショッピングモールでバラの花を見たんです。衝撃的でした。大輪で赤と黄色のグラデーションが鮮やかで。しかも出張で留守にしていた1週間、水を換えなかったのに元気に咲いている。素晴らしい生命力です。顔なじみになった花屋さんが、「ケニアは世界一のバラの輸出国だ」と、誇らしげに教えてくれました。
その時に降りてきたビジョンが、バラのフェアトレードです。このバラを日本に輸入したら、仕事が生まれて、ケニアの人々が自立的に貧困問題を解決していけるのではないかと。それに、日本人は感謝や愛情を示すことが苦手で、相手を思って花を買う文化が欧米ほど根づいていませんが、「ケニアの支援になる」を口実にすれば花を買いやすくなり、感謝や愛情の印として花を贈る文化が生まれるのではないか。ケニアの経済と日本人の心の豊かさを育む循環が生まれると思ったのです。
―どのように事業化したのですか。
小ロットで販売してくれる生産農家探しから始めました。最初は2500本輸入し、2日間の販売会を開いたのですが、半分近く売れ残ってしまい、廃棄する結果となりました。それが悔しくて在庫を持ちたくないと考え、以後3年ほど、オンラインで注文をとって月に1回輸入し、発送するスタイルにしました。でも、売り上げが伸びない。月1回の輸入だと、「この日にほしい」というニーズに応えられないのです。打開策を求めいろいろな人に相談する中で、店舗を持つことを決意しました。固定費や人件費を考えるとリスクはありますが、自分の人生だからやってみようと、15年に店舗を構えたという流れになります。
―売り上げが頭打ちになった時、他の商品を扱おうとは考えなかったのでしょうか。あるいは、フェアトレードにこだわらず、もっと安く輸入しようと思いませんでしたか。
まず、日本で流通している商品に対抗できるものは、バラしか見当たらなかったんです。バラなら、1輪1000円出してもほしいと思ってもらえると確信していました。それに、もともと現地の人が誇りを持って取り組める仕事で雇用を創出したいという思いで始めたので、安く買おうとは全く考えませんでした。むしろストーリーを多くの方に伝えて、1000円払っても買いたくなるようブランディングを工夫しました。
―日本の消費者の反応はいかがでしたか。
やはり「こんな大きいバラを見たことがない」「鮮やかだね」「長持ちするね」という声を多くいただきます。「結婚20年目にして初めて妻に花を買う」という方もいました。ラジオで私たちの取り組みを知り、それなら買ってみようかと来店してくださったそうです。起業時の思いが形になった気がしてうれしいし、私も満たされた気持ちになりました。
―生産地も活気づいたのではないでしょうか。
はい。創業当初、委託先の農園の生産者は約200人でしたが、今は1500人に増えました。8割が女性です。ケニアはシングルマザーが多く、彼女たちが安定収入を得ることで子どもが学校に通えるわけです。マネジャーになると収入も増えるので、私立校で高水準の教育を受けさせている人もいます。
また、委託している生産農園は、環境に配慮した栽培方法で、福利厚生なども整っています。その状況を見ていただこうと、コロナ禍前はツアーを組んで日本からお客様を連れていっていました。そのお客様からの「すてきなバラをありがとう」といった声を聞くことで、現地の生産者がこれまで以上に張り合いを持って仕事に臨む様子も見られました。
―カーボンオフセットにも取り組んでいるとうかがいました。
コロナ禍により世界中で工場がストップしたことで、空気や川の水がきれいになったというニュースを聞き、環境問題について考えるようになったんです。私たちも環境貢献できないかと探し、バラの空輸で排出された二酸化炭素の量をケニアの植林活動支援でオフセット(埋め合わせ)する取り組みを20年6月に始めました。ケニアにおけるバラの生産は、ヨーロッパのハウス栽培に比べ二酸化炭素の排出量がはるかに低いのですが、それでも空輸で1・3㎏排出してしまう。それを、緑を増やす取り組みでオフセットするわけです。消費者の意識も高めたいので、バラ1本につき5円の任意の協力をお願いしています。ほとんどのお客様が快く協力してくれます。
―ビジネスをどんどん進化させていますね。そのエネルギー源はなんでしょう。
人と知り合うことが好きだし、思い立ったらリスクがあってもやらないと気が済まないんです。どんな光景が見られるのか、どんな人に会えるのか知りたい。その分飽きるのも早くて、バラの輸入を10年間続けてこられたのも奇跡です(笑)。
―21年に代表取締役を退き、23年9月には取締役も退任されましたね。
Asanteは、人でいうなら、思春期の子どもになったと思っています。創業者が手取り足取りするフェーズは過ぎ、今は自分で世界を広げる時期に来たと思うのです。だから私は、一歩引いて見守ろうと思っています。
私自身、以前はワクワク感が泉のように湧いていましたが、今は落ち着いています。でもスタッフはワクワクしながら働いてくれている。一番ワクワクしている人に手渡すことが会社にとってもいいこと。そう思い、最近ようやく距離を置くことができるようになりました。
―23年3月にスローフラワー協会を設立されましたね。今はそちらがワクワクすることでしょうか。
はい。スローフラワーは自然農法で栽培された花を地産地消させる取り組みです。食べ物に比べて花のオーガニック栽培はあまり関心が寄せられていませんが、農薬を使うと土壌の生態系を壊しますし、花の匂いを嗅ぐ時、一緒に農薬を吸い込むので、人体にも悪い影響があります。
一方、日本には耕作放棄地がたくさんある。そこにオーガニックな方法で花を咲かせ、地域に流通させれば、土地の活用になるだけではなく、花を介し、自然と人、生産者と消費者のつながりをつくることができ、心も豊かになると思います。バラを通じ、貧困国にお金をまわす仕組みをつくったので、今度は人の心にアプローチしたいのです。共感してくれる人を増やし、楽しく軽やかにみんなの心に花を咲かせ、世界を良くしたい。今は千葉の耕作放棄地を中心に、不耕起栽培で花を育てる準備をしています。
取材後、スタッフもバラを買わせていただきました。花を選ぶのは楽しいし、しかも社会貢献になるというのは、誇らしくもあります。アフリカローズの取り組みは、消費者がワクワクしながら世界の課題を解決する仕組みなのだと、改めて分かりました。スローフラワーの活動で、萩生田さんがどんなワクワクを体験させてくれるのか楽しみです。