※本記事は2022年12月に掲載されたものです
小学5年生の時男女の区別で性別に違和感を覚えた
2003年島根県生まれ。第31回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストにて「DDセルフプロデュース賞」を受賞。「可愛すぎるジュノンボーイ」として注目を集め、「行列のできる法律相談所」やサカナクションのミュージックビデオ「モス」など多数出演。2022年春夏よりジェンダーレスファッションブランド「BAAKU(バーク)」を始動。 |
※黒字= 井手上漠 氏
──まず井手上さんご自身について教えてください。
自己紹介では、いつも「井手上漠です。性別はないです」と答えています。生物学的な性別や、LGBTQ+(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー・クエスチョニング/クィア)という言葉など、ジェンダーは枠に当てはめられがちです。もちろんそこに当てはまる生き方も尊重しますが、私はその枠に当てはめたくないので「ジェンダーはない」が今のベストマイセルフアンサーです。
──いつ頃から性別に対する違和感を覚えていたのですか。
かわいいものを好むようになったのは、3歳の時に祖父母に連れていってもらった結婚式で花嫁さんのウエディングドレス姿を見てからです。そこからキラキラしたものやかわいいものが好きになりました。遊ぶ玩具も女の子向けのものばかりで、一緒に遊ぶのも女の子だし、髪も長くて女の子になじんでいる自分がずっと普通でした。
そんな私が自分の性別に違和感と戸惑いを覚えたのが、小学5年生の時です。小学5年生って、男女が別れて体育の着替えをするようになるなど、男女を区別し始める時期じゃないですか。そうやって区別されるようになると、周囲から気持ち悪いと言われることが増えて、自分でも周りの男の子たちとは少し違うのかなと思うようになって......。
──周囲からの心ない言葉に傷つかれたのですね。
その頃から私に向けられる目や声が否定的なものばかりになって、それが悔しくてつらくて、髪をバッサリ切り、服装も男性的なものにしました。好きなこともできないし、周りに自分のことを打ち明けられないし、人生の主役が「自分」ではなく「周り」になっていって何もかもが楽しくなくなりました。
──その頃に「自分には性別はない」と自覚したのですか。
いいえ、まだ性別がないなんていう意識はありませんでした。ただ、小学5年生の時に初めて自分を客観視してから、学校の保健室で隠れてジェンダーやLGBTQ+の本を読んで、自分は何なんだろう、性別って何だろうということを深く考えるようになりました。
右側の黒いスーツはパンツとスカートのミックススタイル。
「正装の正解を壊したかった」 |
──性別の問題を外に向けて発信するようになったきっかけは。
もともと人前に出るような性格ではなかったんですが、中学3年生の時に弁論大会に出場しました。「カラフル」というタイトルで当時の自分の気持ちを発表したところ全国第2位になることができました。個性を色に例えて、いろんな色があった方が世界は虹色になるという内容でした。
──人前で自分のことを話すのは勇気がいりますよね。
背中を押してくれたのは、中学校で唯一私のことを肯定してくれた国語の先生です。弁論文を書くという授業で、大好きなその先生だけが読むならと、性別の悩みや当事者にしか分からない性別の壁などを全て文章にして打ち明けたんです。
その文章を読んだ先生から「全校生徒の前で発表してみないか」と言われた時は、もちろん全力で拒否しました(笑)。それでも家に帰って母に相談したら「何かが変わるかもしれないから、やってみたら」と勧めてくれて。それならばと発表したら、初めて知る本当の私の姿に感動してくれた人がたくさんいたんですよね。その経験からジェンダーについて前向きに発信することをいとわなくなったのだと思います。
──お母さんにはそれより前に告白していたそうですね。
母は以前から心配して専門書などを熟読して知識を得ていて、ある日優しく私の本音を聞いてくれ「漠は漠のままでいいんだよ」と全て認めてくれました。それ以来全てから解放され、私も自分自身を肯定できるようになることができ、自由に自分らしく生きようと歩み始めることができました。
男性も女性も着られるジェンダーレスな洋服をプロデュース
──芸能活動を始めたきっかけは。
子どもの頃からお世話になっているお医者さんが昔からなぜかずっと「ジュノン・スーパーボーイ・コンテストに出てみたら」と言ってくれていたので、高校1年生になるタイミングでチャレンジしてみました。弁論大会を通じて人前に出る勇気も出たし、本当にノリで受けたところ最終審査まで残ったことが芸能活動を始めるきっかけになりました。
──多方面で活躍されていますが、現在の活動を一言で言うとなんでしょう。
モデル・タレントとして主に活動させていただいていますが最近はドラマのお仕事も少しずつ増えてきました。コメンテーターとしてテレビに出ることもありますが、みんなで拳を振り上げてジェンダー平等を実現するぞ、という形にはしたくないんです。社会が「性別はこだわらない」という形が理想で、私自身がジェンダー平等の組織をつくることは違うと感じています。
私はただ笑って活動して、性別はなくても人生は楽しいんだよと、私の存在を見ることで、同じ悩みを持っている人が勇気づけられるような活動をしていきたいと考えています。
──今の活動の中で一番楽しいことは何ですか。
2022年の春夏シーズンから「BAAKU(バーク)」というジェンダーレスなアパレルブランドを立ち上げました。今はそのブランドでの洋服作りがすごく楽しいです。
洋服が男性用と女性用に分けられているのは、「差別」ではなく「区別」だと思っています。しかし、当事者からするとその「区別」がプチストレスになっている面があるんです。例えば、男性用と女性用でフロアが分かれているようなお店では、私は両方のフロアに行くのですが、男性フロアでじろじろと見られてしまうこともあります。私にはそういったことがすごくストレスで、男女関係なく着られる服もあればいいのにとずっと思っていたんです。
──大好きな洋服作りに関わってみてどうでしたか。
形にしたいものはあるのに、そこに到達するまでが予想以上に難しいという現実を突きつけられましたね。男女関係なく着られる服といいつつも、生物学的に骨格や肉付きが違う難しさがあります。どちらの体にもフィットしたものを作るために、ウエストにはゴムやひもを通したり、ボタンの合わせも左右どちらが上でも留められるよう真ん中にするとか、そういうことにこだわりました。それまで何となく身に着けていましたが、実際に自分で作ってみて、深く考えるきっかけになりましたね。
世の中は少しずつ良くなっている 変化はゆっくりでいい
──今のジェンダーを取り巻く環境をどう感じますか。
以前よりも良くなってはいますし、良くしていかなければならないと思っています。私は高校1年生の時に生物学的には女性だけれど心が男性の方から「スカートをはきたくない」という相談を受けて、制服改革を実現したことがあります。今は制服を見直す学校も増えていますし、ジェンダー平等を進めようとしているところも増えています。
こういうことは焦らずゆっくりでいいと思うんです。少しずつ変わってきていることは当事者である私も感じていて、すごくうれしいことだなと思っています。
──そのような変化についていけず、戸惑っている大人世代の人も多いように思います。
当事者ではない人から「どう声をかければいいか」「どんな気持ちで受け入れればいいか悩む」という相談をよく受けます。私はいつも「ただ否定しなければいい」と答えます。無理に理解しようとしないで、ただ認めてあげるだけでいいんです、と。
それどころか「理解」は危ういです。どん底に落ち込んでいる時に他人から「理解しているよ」などと言われても「分からないくせに」となってしまう場合もあると思うのです。悩みを打ち明けてきた人が来た時に受け入れてあげる、認めてあげるという心があればいいと思います。
──あまり身構えないでいいということですね。
否定しなければ何でもいいと思うので、例えば、カミングアウトされた時にも、軽く「そうなんだ」と流す。そんなフラットな感じがいいんじゃないでしょうか。たぶん多くの当事者もそれを願っていると思います。
──40代、50代の大人世代に伝えたいことはありますか。
自分の子どもがジェンダーの悩みを持っていたとしたら、認めてあげたいと思う半面、子どもの幸せを考えるからこそ普通の道を歩んでほしいと思いますよね。今はその気持ちも分かります。私が上京する時に母がくれた手紙にも「自分の育て方が間違っていたんじゃないかと悩んだことがある」と書かれていました。でも、母は「この子が笑っているならそれでいい」と気づいてから悩みがなくなったそうです。私はそれを読んですごくうれしかった。だから、親として、家族として普通になってほしいと思っても、本人が幸せだと思う気持ちを優先して支えてあげてほしいと思います。
──来年20歳になったらやってみたいことはありますか。
いろんなことを経験させてもらっているので忘れてしまいがちですが、私はまだ10代なんですよね(笑)。コロナが落ち着いていたら海外に行きたいです。海外留学して帰ってきた人たちって、無意識のうちに何かが変わるような体験をしているからか、価値観や考え方が人とは違っていて、とても輝いて見えるので......。私の10代後半は多くのことを制限されてきたので、日本の外には何があるのか見て、感じて、たくさんの刺激を受けたいです。
「かわいすぎるジュノンボーイ」としてメディアに登場し、今ではタレント、モデル、アパレルブランドのプロデューサーと活躍の幅を広げつつある井手上氏。ここまでにはたくさんの葛藤があったはずですが、「性別はないです」と言えるようになり、どんなときも自分らしさを見失わない強さを手に入れたようです。井手上氏の小学生の頃にはすでにLGBTQ+という言葉が存在していたと聞き、ジェネレーションギャップを感じましたが、それだけジェンダー意識が変わってきたということ。井手上氏たち若い世代なら、より良い社会を築いていくことでしょう。