※本記事は2020年10月に掲載されたものです
マッチングプラットフォームをつくれば、多くの人を助けることができるのでは。
1986年トルコ生まれ。2006年に初来日。2013年、東京大学大学院工学系研究科を卒業後、ボストン コンサルティング グループに入社。17年、株式会社Oyraaを創業し、遠隔通訳サービスの提供を始める。英語、トルコ語、日本語に堪能。コチュが姓でオヤが名。 |
日本に住む外国人の数は2019年末時点でおよそ293万人。出身地は195カ国・地域に及ぶ。昨年(2019年)1年間に日本を訪れた外国人の数は3100万人を超えた。2020年に入り、新型コロナウイルスの影響で海外との往来は途絶えたが、コロナショックが去れば、再び多くの外国人が日本を訪れることになるだろう。
日本に住む外国人、日本を訪れる外国人にとっての大きな悩みは「言葉」である。簡単な日常会話ならAI通訳を使えば済むが、病院で医師に健康状態を伝える時、不動産契約で交渉が必要な時、あるいは不意の事故に遭った時などには、込み入った複雑な対話が必要になる。
その悩みは、日本人側のものでもある。外国人と賃貸契約を結ぶ際に、不動産会社のスタッフが説明に苦労する場面は珍しくないだろう。もちろん、日本人が外国を訪れた場合も、言葉の悩みに直面することになる。
問題は、そのような込み入ったコミュニケーションが必要とされる場面で使えるサービスやツールがなかったことだ。ボストン コンサルティング グループの日本オフィスで働いていたトルコ出身のコチュ・オヤ氏は、日本に住む外国人の友人とのやり取りの中で、そのことに気づいたという。
「仕事の最中に、大学時代の友だちからよく電話がかかってきたんです。市役所の職員の話がよく分からない。病院で症状が伝えられずに困っている。そんな用件でした。日本語が話せる私を頼ってきたんですね」
どうしてこんな時に使える通訳サービスがないのだろうか。その疑問が新しいビジネスの発火点となった。
「調べてみると、通訳サービスはすべて法人向けのもので、使うには契約が必要でした。必要な時に手軽に使えるサービスは全くありませんでした。一方、通訳者側の事情を調査してみると、8割以上がフリーランスとして働いていることが分かったんです」
通訳を必要としている人と通訳ができる人。その両者を結びつけるマッチングプラットフォームをつくれば、多くの人を助けることができる──。その直感に従って、仕事をしながら半年ほどの間ビジネスプランを練り、アイデアに共鳴してくれたスイス人のビジネスパートナーと共に会社を立ち上げた。会社登記をスイスで行ったのは、日本語のできないパートナーが日本での手続きを不安に感じたからだ。「Oyraa」という社名は、創業者2人の名前を組み合わせた造語である。
好きなものは変化 嫌いなものはモノトーン
コチュ氏が最初に来日したのは、2006年のことだった。トルコの大学で電子通信工学を専攻していた彼女は、半導体に興味を持ち、研修生を受け入れてくれる半導体メーカーを探した。欧米にも数多くの企業があったが、コチュ氏が選んだのは日本のメーカーだった。
「学校で日本の歴史や文化について学んだこともあって、日本に興味があったんです。日本のメーカーのインターンプログラムも面白そうでした」
日本語が全くできない状態で向かったのは、滋賀県の水口町(現・甲賀市)にある半導体工場だった。トルコの首都アンカラで生まれ、イスタンブールで育った都会っ子であるコチュ氏にとって、それは人生で初めて体験する田舎暮らしだった。
「高層ビルが立つような都会でないことは分かっていましたが、ここまで何もないとは思いませんでしたね。食事ができるところはお好み焼き屋さんだけでした」
14年前を振り返ってそう彼女は笑う。しかし、メーカーの人たちはみな優しかったという。日本語ができない彼女を丁寧にサポートし、週末になると京都などの観光スポットを案内してくれた。
「日本人は何て優しいんだろうと思いました。みんな天使のようでしたね」
初来日は大学2年生の夏だったが、翌年の夏も再び研修に訪れ、大学卒業後は東京大学の研究員となった。1年半の研究員生活とその後の修士課程の中で、彼女の興味は工学から経済学や経営学に移っていった。卒業後、コンサルティングファームに就職。コンサルタントはハードな仕事だったが、自分には天職に思えたと話す。
「担当するクライアントやチームが3カ月から4カ月で変わるので、全く飽きないんです。私が好きなものは変化、嫌いなものはモノトーン(単調)な生活です。変化と刺激が大好きだから、そのぶん失敗も多いんですよ」
コンサルタントの仕事を辞めて起業してからは、まさしく失敗の連続だった。パートナーと方向性の違いで決裂し、一人スイスから日本に戻ってアプリの開発を続けた。大学を卒業したばかりの2人のエンジニアにプログラミングを委ねたが、9カ月たってもアプリのプロトタイプもできなかった。結局そのプログラムを買い取り、別のソフトウェア会社に開発を委ねた。
「このプログラムは使いものにならないから、ゼロからつくった方がいいと言われました。ショックでしたね。それからインド人のエンジニアに開発を頼んだところ、2カ月でイメージ通りのアプリが完成しました。何で最初からこうしなかったんだろうと、本当に後悔しました」
紆余曲折はあったものの、アプリは2017年末に完成し、無事サービスをスタートさせることができた。アプリ上で通訳元の言語と通訳先の言語を選択し、専門分野などを選択すると、登録している通訳者がリストアップされる。そこから空いている人を選び、電話をかけて通訳を依頼するというシステムだ。料金は最初の1分間が無料で、以後は1分ごとの課金となる。分単価は、通訳者が自由に設定できる仕組みになっている。3カ所3者間での通話も可能だ。対話システム付きのUber型通訳フリーマーケット──。そう表現すれば、サービスのイメージが伝わるだろうか。
論理的な話ばかりでは相手に伝わらないよ
当初は個人ユーザーを想定したビジネスだったが、実際にサービスを始めてみると、法人ニーズが非常に多いことが分かったという。外国人スタッフが多い建築現場での利用から始まり、ニーズは次第に外国人を顧客とする企業、海外にビジネスパートナーがいる企業などに広がっていった。特に2020年に入ってのコロナ禍で、法人需要は一気に増えたとコチュ氏は話す。
「オンラインミーティングに通訳者を参加させたいという要望が非常に増えました。そのようなニーズに応えるには、Oyraaに登録している通訳者から適任者を探してアサインしなければなりません。それは非常に非効率的なので、ユーザーが自動的に通訳者を会議に参加させることができるOyraa版ウェブ会議システムの開発を現在進めています」
コロナショックは、期せずしてコミュニケーションの本質をあぶり出すことになった。仕事上のコミュニケーションはオンラインでも十分可能であること。移動時間がなく、通勤のストレスも減るので仕事の生産性が上がること。飲み会もオンラインでできること。その一方で、対面のコミュニケーションの価値が改めて見直されていること──。
「私は、コミュニケーションには2つの要素が欠かせないと感じてます。ロジックと共感力です。以前、ビジネスパートナーの日本人にこんなふうに言われたことがあります。コチュの言っていることは分かるけれど、もっと相手の気持ちを考えてものを言った方がいい。論理的なだけでは、相手に伝わらないよ、と。オンラインはロジックを伝えるには優れたツールだと思います。一方、感情的、情緒的な内容は、対面のコミュニケーションの方が伝わりやすいように感じますね」
通訳にも情緒的な内容の理解を求められる場面が少なくないとコチュ氏は言う。この人は何を伝えたいと思っているのか。この話をどう伝えれば相手はよく理解できるか──。それをくみ取れるところに通訳者の人間的スキルが現れるのだと。
「国籍、言語を問わず、相手の気持ちを受け止め、その人の立場に立って言葉を伝えることができる。そんなサービスをこれからも多くの人たちに提供していきたいですね」
取材と撮影を行ったのは品川区のレンタルスタジオ。お一人で現れたコチュ・オヤさんはモデルのようないでたちで、スタジオはまるでファッション雑誌の撮影のような雰囲気でした。14年前は日本語が全くできなかったというコチュさん。インタビューでは流暢な日本語で、一つひとつの質問に丁寧に答えてくださいました。日本への愛情に溢れたコチュさんの言葉に、取材陣一同、大いに元気づけられたのでした。