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人財不足を補え -魏呉蜀の人財獲得法-

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テーマは「魏・呉・蜀の三国がいかにして人材を集めたか」。曹操は「唯才主義」、孫権は「地縁血縁」、劉備は「情義と志」といわれる。それぞれの特徴を浮き彫りにしながら、組織を強化する人財獲得について検証する。

古今東西を問わず、人財が組織の基盤

古今東西を問わず、人財が組織の基盤

急速なデジタル化によるAIの普及、少子高齢化に伴う労働人口の減少などで、ビジネス環境は激変し、日本の企業経営は変革を迫られている。そこであらためて重要性を増しているのが人材マネジメントだ。

「HR=ヒューマンリソース」という概念が日本に紹介されて久しいが、人が財産であるという認識は、ようやく日本のビジネス社会にも根づいてきた。HRマネジメント戦略と経営戦略はいまや不可分で密接なものになっている。

三国志の時代は、人も社会も流動化し、秩序や権力が再編成された時代であり、さまざまな変革が起こっている現代と共通点がある。優秀な人材を集めたところが競争優位を獲得することがわかるケース・スタディともいえるだろう。

三国志演義(一)訳:井波律子 講談社
三国志演義(一)訳:井波律子 講談社

厳密にいうと三国志はふたつある。ひとつは約1700年前に蜀と西晋に仕えた陳寿によって書かれた歴史書としての正史『三国志』。もうひとつが今から約600年前に書かれた小説『三国志演義』だ。

世の中で広く親しまれているのは蜀の劉備を主人公にした『三国志演義』のほうである。エンタテインメント性を重視しているため脚色も多いとされ、正史の『三国志』とは異なる部分がある。劉備を主役にしていることから、曹操はどちらかというと悪役として描かれている。

『三国志』のほうは歴史書のスタイルをとっているので、なかなか読みこなしにくいという点もある。ここでは双方のバランスをとりながら話を進めていきたい。

今回のテーマは「魏・呉・蜀の三国がいかにして人材を集めたか」である。いずれの国も最初から存在していたわけでなく、後漢が滅びていく動乱に乗じて国が形成されていく。いわばスタートアップ企業の成長ストーリーとも似ている。

最終的には魏の曹操が天下を制したわけだが、結果の是非よりも人材を集める過程に注目するのが主眼である。それぞれの国柄やトップの考え方によって、その方法はまるで違う。日本を代表する三国志の研究者である渡邉義浩氏によると、曹操は「唯才主義」、孫権は「地縁血縁」、劉備は「情義と志」だという。あなたなら、どの国で働きたいと思うだろうか。

ヘッドハンティングを多用した曹操

曹操肖像
曹操肖像
(Pen 2019年8月1日号
CCCメディアハウス イラスト:阿部伸二)

曹操が生まれたのは宦官の家系である。祖父の曹騰(そうとう)はまだ幼い桓帝(かんてい)を擁立して権力を握り、朝廷で大きな影響力をもっていた人だ。父の曹崇(そうすう)は曹騰に請われて養子になり、漢王朝で軍事の最高責任者である大尉にまで上りつめた。孫権、劉備に比べて、曹操は極めて恵まれたスタートラインに立っていたといえる。

動乱の中で急速に勢力を拡大していった曹操にとって、優秀な人材獲得は極めて重要な関心事だった。彼が多用したのが辟召(へきしょう)という制度である。すでに朝廷にいる人材を採用するのではなく外部から人を登用できるもので、いわばヘッドハンティングである。辟召した者は故君(こくん)という上司、辟召された者は故吏(こり)という部下になる暗黙の隷属関係が生まれ、この関係は所属する部署が異動しても変わらない。この制度によって自分が望む通りのドリームチームを形成することが可能になる。

ただし、自分よりも格上の人物を辟召するのはむずかしい場合もある。そうしたときは徴召(ちょうしょう)という手を使った。曹操が漢の皇帝として擁立した献帝(けんてい)の名のもとに人材を登用するのである。軍師として曹操の知恵袋となった荀攸(じゅんゆう)は、この徴召によって曹操の配下となった。

呂布肖像
呂布肖像
(Pen 2019年8月1日号
CCCメディアハウス イラスト:阿部伸二)

丞相(じょうしょう)から魏公、魏王とステップアップするにつれ、曹操はますます人材が必要になる。一時期は劉備を左将軍に任命して味方にしていた。呉の周瑜(しゅうゆ)や蜀の関羽を引き抜こうとするなど、ライバル関係にある組織の人材にも目を付けていた。あの悪名高い呂布(りょふ)を捕えたときも、武将としての強さを見込んで家臣にしようとしたほどである。せっかく招き入れたものの、途中で逃げられる、あるいは裏切られる、というのも曹操の陣営によくあるできごとだった。

優秀な人が長期にわたり働き続ける環境を整えることは待遇面だけではなく精神面でも必要である。組織のビジョンと自分との一体感を維持できるのか、といった問題を考えさせられるのが曹操の人材活用のおもしろさである。

曹操は唯才主義、すなわち才能を重んじる人であった。当時の道徳観に影響を与えていた儒教にとらわれることなく、少しぐらい人格に問題があっても才能があればよしとする考えの持ち主だった。そうした姿勢を強く批判したのが、儒教の創始者である孔子の子孫、孔融だった。

朝廷の高官は人徳者がなるべきであるという考えを主張したが、曹操は孔融を処刑してしまう。この一件で、曹操は旧来の慣習を打破する変革者であることを世に宣言する。人徳の問題はさておき、才能で公平に人を評価する曹操の人材観は現代のグローバル経営にも通じる極めて合理的なものだったといえるだろう。

世の中の変革のスピードが速いと、企業の戦略が追いつかないこともある。企業戦略を立て、さらに人事戦略を立てるというやり方では変化の波に乗り遅れてしまうだろう。重要なのはどんな変化が起きても自発的に対応できるような人だ。曹操が好んだのはまさにそうした人材だったといえる。

地元の名士たちのコネを重視した孫権

兵法
兵法

呉の孫権は曹操のような実力者の家系ではない。『兵法』を書いた孫子の末裔と称していたが定かではなく、孫権の父である孫堅の頃は長江の東、江東の小さな豪族だった。呉には陸・顧・張・朱の「呉の四姓」といわれる地元の有力者がいたが、孫堅は彼らよりも規模の小さな存在だった。

孫権の父である孫堅は武勇に優れ、黄巾の乱の平定で武功をあげたのち、反董卓(とうたく)連合軍に参加し、董卓の都尉(部隊長に相当)である華雄(かゆう)を斬ったとされる。『三国志演義』で華雄は無類の豪傑として描かれ、彼を討ったのは関羽とされているが、正史『三国志』では孫堅の名が記されている。

孫堅は戦いで命を落とし、孫権の兄である孫策が継ぐが、地元の名士たちの関係をことごとく損ない、対立を深めてしまう。孫策もまた若くして命を落とし、その後を継いだのが弟の孫権である。

孫権肖像
孫権肖像
(Pen 2019年8月1日号
CCCメディアハウス イラスト:阿部伸二)

死の間際に孫策は孫権に次のような言葉を遺したという。

「軍勢を率いて勝機を見極め、天下と覇権を争うことにかけてお前は私にかなわないが、賢人を採用し才能のある者を任用して、それぞれ心を尽くさせて、この国を治めることにかけて、私はお前にかなわない」。この遺言を孫権は尊重する。

ビジネス社会でいうと、成り上がりの経営者が、これまでの功労者や経営者を軽んじたマネジメントを行ってきたのが、孫堅、孫策の呉である。この姿勢をあらため、功労者や経営者の考えや意見をよく聞き、その近親者も組織に招き入れたのが孫権だった。

こうした「地縁血縁」を重視した登用によって、孫権は名士たちとの関係修復に努め、組織の安定化に努めた。曹操が全国から広く才能を集めたグローバルな人材戦略をとったのと対照的に、孫権は徹底して地元密着型のローカルな人材戦略をとったわけである。

孫権の戦略が成功した要因としては、周瑜(しゅうゆ)と張紹(ちょうしょう)という先代から信用されていた地元を代表する二人の重臣をあらためて重用し、協力を得たことにある。影響力のある彼らが積極的に仕官を呼びかけることで、多くの優秀な人材が孫権のもとに集まった。

呂蒙肖像
呂蒙肖像
(「諸葛亮 図書(偉人伝叢書第1冊)」
杉浦重剛、猪狩又蔵著
(国立国会図書館蔵))

人材登用に関して、呉には有名な逸話が残されている。「男子三日会わざれば刮目して見よ」の故事の由来となった呂蒙(りょもう)の物語である。

周瑜、魯粛(ろしゅく)の後を継いで呉の最高司令官となった呂蒙は、若い頃、武力に優れていたが教養のない男だった。孫権が呂蒙の潜在力を見抜き、学問を勧めたところ、日夜勉学に励み、やがて卓越した知性を身につける。久しぶりに会った魯粛がその成長ぶりに驚き、この故事が生まれたという。

「刮目(かつもく)」とは目をこすることで、人間は3日も鍛錬すれば見違えるほどに成長するので、目をこするくらいしっかり見ておけという意味だ。

最近のビジネス社会では教育と就労のサイクルを繰り返す「リカレント教育」が注目されているが、こうした学び続ける姿勢をもった人を採用し、成長のサポートをすることは、人材戦略の重要なポイントのひとつだろう。新しいものを学習する能力、そして変化への対応をいとわない柔軟なマインドセット。こうした資質をもった人こそ、企業にとってかけがえのない「人財」になる。

みずから礼を尽くして賢人を得た劉備

劉備肖像
劉備肖像
(Pen 2019年8月1日号
CCCメディアハウス イラスト:阿部伸二)

人材獲得という視点で眺めれば、劉備の起点は関羽、張飛と義兄弟の契りを結んだ「桃園(とうえん)の誓い」にさかのぼる。漢王室の流れをくむ家柄でありながら低迷していた劉備に、志を同じくする2人のパートナーが加わったのである。

今風にいえば、小規模な状態から起業するリーンスタートアップと似ている。境遇としては有力な宦官の家系に生まれた曹操はもとより、小豪族出身の孫権よりも遥かに不遇である。

しかし、この3人が義勇兵を募集したところ、たちまち300人の若者が志願し、馬や軍資金の提供を申し出る商人も現れたという。英雄として評価が高まっていた劉備の人柄と、乱れた世を正したいという熱意が多くの若者を動かした。劉備の人材戦略の基本は、人情と義理、そして志である。人徳という人間力で人を集めるソフトパワー戦略ともいえる。

劉備たちは黄巾の乱の鎮圧で名をあげ、義勇軍として各地を転戦する。武名は広まったものの、一国の主として定着するようなチャンスはなかなか訪れない。劉備には関羽、張飛に加え、趙雲という、めっぽう強い武将がいた。また麋竺(びじく)という財政面で支援を行う豊かな経済力をもつ豪商が味方にいた。だが、この先、組織をどう運営するかという戦略を立てる人材がいなかった。その不利益は経営トップの劉備がもっとも痛感していたことだろう。

諸葛亮肖像
諸葛亮肖像
(Pen 2019年8月1日号
CCCメディアハウス イラスト:阿部伸二)

そこで招き入れたのが諸葛亮である。最初は諸葛亮を自分の元へ呼ぼうとしたが、彼は呼びつけて来てもらうような人ではないという側近の助言に従い、劉備は三度、彼の元へ足を運び、誠意をもって話をし、参謀役として迎え入れることに成功した。

トップみずからが腰を低くして礼を尽くし、賢者を招くというできごとは、各地の名士たちの共感を呼び、劉備に仕官したいという多くの才能を集める効果もあったという。崖っぷちだった劉備の陣営は、諸葛亮を得たことで一気に攻めの姿勢に転じる。

二方向から曹操を圧迫

魏・呉・蜀の三国で天下を治めるという諸葛亮の提言「天下三分の計」によって、今まで流浪を繰り返していた劉備の組織がはじめて明確なビジョンを獲得し、劉備たちは荊州(けいしゅう)を手に入れ、蜀を建国する基盤とするのである。

ひとりの人材の加入で状況がまるっきり一変する。まさに「人財戦略」が経営戦略たる所以だろう。

三顧の礼

かつてのビジネス社会では成果主義を進めるあまり「勝ち抜いたものだけが昇進するべき」という企業文化が横行していたこともあった。しかし、そうした人材登用によって事業の衰退を招いた企業も少なくない。現代ではそうした反省もあり、HRテクノロジーと呼ばれる人事システムを駆使し、「人の心」を尊重した人事施策に注目が集まっている。

最近、企業がグローバルリーダーの採用基準として重視するのが「志」だという。過去の実績や能力は表層的なものであるが、どんな価値観をもって仕事をしているのか、人生において何を重要と考えているのかを知ることで、根源的なリーダーの資質が見えてくるという。「三顧の礼」は「劉備が仕えるに値する人物か」を諸葛亮が判断する逆面接のようなものであり、その志に共鳴したからこそ諸葛亮は仕官を決めたのである。

人を動かすのは人。「三顧の礼」の時代から、その事実は変わっていないように思える。

第1回まとめ第1回まとめ

曹操
魏の人材獲得法

特徴:才能を重視。既成の登用制度をうまく利用して全国から有能な人材を大量に獲得。人材コレクターといわれる曹操が自らヘッドハンティング。有能であれば人間性は問わない。

評価:現代のグローバル企業にも通じる合理的な人材獲得方法。環境変化に素早く対応できる強いリーダーシップのある人材が集まりやすい。

曹操
魏の人材獲得法

特徴:地縁を重視。先代からの重臣、地元の名士を積極的に活用する。関係が悪化していた氏族からも登用することで、地域の有力者たちとの関係を修復し、良好に保つ狙いもあった。

評価:ローカルに根ざした地元密着の人材獲得法。縁故採用が多く確実に良い人材が集まるが、ルートが限られ、優秀な人材が枯渇する可能性も。

曹操
魏の人材獲得法

特徴:情義と志を重視。最初は劉備と関羽、張飛らの人柄に魅了された者が集まってきたが、諸葛亮を迎えてからは蜀の志に共感した名士たちが自ら志願。多くの優秀な人材を得る。

評価:経営トップの人徳やカリスマ性を強みにした人材獲得法。この経営者のために尽くそうという意欲や忠誠心の高い人材が集まりやすい。

まさに三者三様であり、それぞれに長所短所がある。現代の人材マネジメントの重要なテーマであるモチベーション向上やリテンション対策、リカレント教育にもつながる要素があり、やはり三国志は懐が深い。

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