
手編みのニットのイメージをくつがえす斬新な作品をつくり続けているニット作家・蓮沼千紘氏。自身のブランド「an/eddy」だけでなく、アーティストのステージ衣装や空間装飾など幅広い仕事を手がける蓮沼氏が、ニットづくりにかける思いと、「編む」ことの本質を語った。

蓮沼 千紘
ニット作家
はすぬま・ちひろ
神奈川県横浜市生まれ。2008年、文化服装学院ニットデザイン科卒業。卒業後、大手アパレルメーカーにデザイナーとして入社する。11年に独立。専門学校の非常勤講師などを経て、学生の頃に立ち上げたハンドニットブランド「an/eddy(アン/エディ)」を本格的にスタートさせる。14年に東京コレクションに参加。企業やブランドとのコラボレーションやワークショップなど多彩な活動を続けている。
ニット作家としてのはじめの一歩を踏み出したのは、ちょっとしたアクシデントからだった。高校卒業後に入学した文化服装学院。専門学科を決める試験の際に体調を崩して、第1志望のアパレルデザイン科に進むことがかなわず、第2志望のニットデザイン科に進級することになった。
モチベーションを保つために、毎年卒業時に各学科1人だけに贈られる学院長賞をめざし、それからの2年間、ニット技術の鍛錬に励んだ。当時、ニットを専門に教える学校は文化服装学院だけだった。手編みの基礎をすべて学び、それにオリジナリティを加える工夫を重ねた。
「ニットには、"お母さんの手編み"といったイメージがあります。私も学校でニットづくりを学ぶまで、エッジの効いたファッションをニットで表現することはできないという意識がありました。どうすれば、ニットをファッションにできるだろう。そう考えて、試行錯誤を繰り返しました」

ニット作家・蓮沼千紘氏はそう振り返る。見事学院長賞を受賞したその卒業制作の試行錯誤から生まれたのが、現在につながる蓮沼氏の独自の表現だった。素材の多様な色彩。曲線を多用した柄。ダイナミックなフォルム──。
「ニットを学ぶ中で、素材も柄も形もサイズもすべてつくり手が決められるのがニットの魅力だと気づきました。そこで自分の感性を十分に発揮できるということも」
望まずして進んだ専門課程だったが、結果的にニットの世界に深く入り込むことになった。ニットが蓮沼氏を呼んだ。あるいはそういうことだったかもしれない。

リズムに乗ってテンポよく編むことを何より大切にしていると蓮沼氏は語る
一般的なニットには毛糸や綿糸が使われるが、長くて細いものであれば何でも素材にできると蓮沼氏は説明する。ループの連なりによって面をつくっていくのが「編む」ということで、「編める素材」なら何でもニットになりうるのだと。
だから、糸だけではなく、割いた布も、金属製のワイヤーも、場合によっては食材も素材になりうる。これまで使った素材の中で最も特殊だったのは、光を当てなければ見えないような直径数ミクロンの金属繊維だったという。

ワイヤーと布で編んだ花瓶のカバー。ワイヤーを曲げることで着脱できる
手がける作品は、自分のインスピレーションに基づいてつくる創作と、依頼者からの発注によってつくるクライアントワークに大別されるが、つくり方や意識が大きく変わるわけではない。発注者も、蓮沼氏の作風を求めて依頼しているからだ。
もちろんクライアントワークにはいくつかの制約がともなう。最も大きな制約はスケジュールだ。納期はおおむねタイトで、時には24時間以内に納品しなければならないケースもある。ミュージシャンのステージ衣装をつくる際は、試着後にわずかな時間でつくり直しを依頼されたりもする。
「そういう仕事に必要とされるのは、作業の速さと精神力と体力です。それをすべて備えているのが私の強みだと思っています」
作品のクオリティやオリジナリティがあってのスピードであることは言うまでもないが、衣装には加えて耐久性も求められる。
「見た目が美しくても、一度着たら着られなくなってしまうものをつくるのは、プロとして恥ずかしいことです。クオリティと耐久性を両立させた作品をつくりたいといつも思っています」

人気グループ、King Gnuの「泡」のミュージックビデオで使用されたニットドレス
作品は、洋服、アクセサリー、タペストリー、ラグなど多岐にわたる。いずれの場合も、完成図や編み図は描かない。頭の中のイメージを手に伝え、ゼロから編んでいく。
「私はイラストレーターではないので、自分で完成図を描いたとしても、頭にあるイメージの劣化版になってしまいます。自分の中にクリアなイメージがあるので、それに従って直接編んでいくのが一番確かな方法だと考えています」
「ニットはリズム」と蓮沼氏は言う。リズムに乗って編んでいく中で、手が思ってもみなかった動きをすることもある。編み図や完成図はない。だから、偶然性もまた作品の一部となる。はっきりした完成のイメージを持ちながら、手の自由な動きも尊重する。それが蓮沼氏のニットづくりの流儀だ。

手を動かし続けることは全く苦にならないと蓮沼氏は言う。
アーティストの衣装をつくる際は、そのアーティストの音楽を
何度も聴いて体に染み込ませながら、手を動かしていく
文化服装学院卒業後に3年間アパレルブランドで社員として働いた経験の中で、大量に生産して大量の廃棄物や廃棄衣料を生み出すアパレル業界のあり方に疑問を感じた。ニットにはそのようなアパレルのあり方を変える力があるのではないかと思った。そう蓮沼氏は話す。
「布帛(ふはく)(織物の生地)の場合、パターンに従って布を裁断していくので、余白の部分は捨てるしかありません。その点ニットは、ゼロから編んでいくので余分なものが出ません。それに一度編んだニットは、ほどいてもとの素材に戻すこともできます。そこに、サステナビリティを実現できるニットの可能性があると私は考えています」
サステナビリティに対する意識は、これまでのクライアントワークでも発揮されている。使わなくなった子どもの肌着、成人式で着た着物、メーカーの倉庫でデッドストックされている素材などを集め、作品づくりに活用した。従来は廃棄される他なかったものを作品の一部にすることで、不用品がいわば新たな命の一部となる。そんな物語を生み出す効果もそこにはあった。

色彩の豊かさが蓮沼氏の作品の特徴の一つ。
多彩な糸やビーズを用意し、感覚の命ずるままに色をチョイスしていく
これまで蓮沼氏が力を注いできた活動の1つにワークショップがある。多忙な日々の合間をぬって、3、4カ月に一度くらいのペースで一般の人々を対象にしたワークショップを各地で開催している。
「ワークショップに参加して、自分でニットをつくってみることで、お店に売っているニット製品がどのような工程を経て出来上がるかが分かるようになるし、商品のクオリティを見る目も養われます。ニットのことを深く理解した上で買う人が増えてほしい。それが私の願いです。もちろん、自分でつくったニットを販売したいと思う人が増えるのも、とても良いことだと思います」
ワークショップはまた、人と人の出会いの場でもある。互いの名や素性を知らない人たちがひととき同じ場所に集まって、その後はおそらく会うこともない。しかし、ニットづくりをともに楽しみ、話を交わした記憶は残る。そんな「さっぱりとした関係」が生まれるのがワークショップの良さだと蓮沼氏は言う。それはまた、「お互いを肯定できる関係」でもある。
「ニットの面白さは、同じ目数や段数で編んでも、編む人によって違った作品が編み上がるところにあります。手の大きさや性格や編むリズムによって、異なる作品が出来上がるわけです。どの作品が上手で、どの作品が下手ということはありません。正解はないので、みんなが他の人の作品を見て楽しむことができるし、自分の作品を褒めてもらう喜びを感じることもできます。そんなハッピーな空間をつくれるのが、ワークショップの醍醐味だと感じています」
自身のブランド「an/eddy」、クライアントワーク、ワークショップ。それぞれの活動を通じて、多くの人たちと出会ってきた。その出会いを海外まで広げていくことがこれからの目標だ。「"編む"という表現を使って、世界のいろいろな人と交わっていきたい」と蓮沼氏は話す。
ブランド名の「an/eddy」には、「小さな渦」という意味がある。はじめは小さかったその渦は、大きなうねりへの成長を続けている。

オリジナルのラグを編む蓮沼氏。頭の中に描いたイメージをもとにスピーディに編んでいく
蓮沼さんのアトリエでインタビューと撮影をさせていただきました。蓮沼さんは、たいへん頭の回転が速く、言葉選びが巧みな方で、現在の自分の活動の一つ一つにしっかりした理由があることをわかりやすく、かつ的確に話してくださいました。世の中ではしばしば「編む」ことと「織る」ことが混同されているなど鋭い指摘も多く、インタビューの1時間をまるで大学の講義を聴くように楽しませていただきました。一般に「感覚的」であることと「理論的」であることは相反すると考えられることが少なくありませんが、読書家でもある蓮沼さんにとって、言葉と感覚はコインの両面のように不即不離の関係にあるのだなと感じました。これからの活動に注目し続けたいと思います。