
加齢による脳の機能低下は誰しも避けられないが、「日々の工夫で長持ちさせることはできる」と語る理化学研究所の大武美保子氏。新しいことほど記憶しづらくなる脳のメカニズムに着目して考案した会話支援手法「共想法」。その更なる進化をめざして研究を続ける大武さんに、脳を健やかに保つ秘訣を訊く。

大武 美保子
理化学研究所革新知能統合研究センター認知行動支援技術チームチームリーダー/NPO法人ほのぼの研究所代表理事・所長
おおたけ・みほこ
東京大学にて博士(工学)号取得。ロボット工学者・認知症予防研究者として、情報学の観点から会話による認知行動支援技術の開発に取り組み、会話支援手法「共想法」では発話量制御や笑い促進に関する特許を申請・取得。また、自ら設立したNPO法人では研究と社会実装を同時並行で行う新たな研究スタイルを実践中。
―知能ロボティクスや人間情報学の研究者であり、会話支援手法「共想法」を実践研究するNPO法人の代表や、2024年末発行の著書『脳が長持ちする会話』が話題を集めるなど、幅広く活躍していらっしゃいます。多彩なご活動の原点はどこにあるのでしょうか。
子どもの頃から「世の中にない新しいものを生み出したい」と思っていました。もの作りを学びたいと工学部に進学し、さらに、「ロボットの作り方を学べば、新しいものを作ることができるようになるだろう」と考えて、ロボット工学の研究室に参加しました。当時はソフトロボティクスという単語も、それに該当する専門分野もありませんでしたが、高分子材料の性能が向上しつつある時期だったので、学位論文では人工筋肉を使った柔らかいロボットをテーマに、そのためのシステムや設計、制御などを研究しました。
その後、関心が徐々に「人」にシフトします。背景としては祖母が認知症を発症したことが大きく、認知症によって人間の賢さが危機に瀕する様を目の当たりにし、科学の力で何とかならないものかと思っていました。ただ、その頃は自分の研究テーマのロボットが人につながっているとは考えていませんでした。

―ご自身の研究と結びついたのはいつ頃ですか。
研究実践の場としてNPO法人ほのぼの研究所を設立するのと並行して、人工知能学会で「近未来チャレンジ」という企画に参加したことが転機になりました。当時はAI冬の時代でしたが、人間情報学の観点から人間の知能を研究として扱えるのではと思い始めていた時で、「認知症予防回復支援サービスの開発と忘却の科学」をテーマに、2007年から11年までチャレンジしました。ここから関係者とのネットワークが広がっていきました。
―その研究の核が「共想法」ですね。
その通りです。写真を見ながら会話することで脳を良い状態に持っていくという共想法のアイデアは祖母との会話に着想を得ました。私たちは日々必死に生きているものの、自分のことは案外詳しく覚えていないものです。私自身も「共想法を思いついた時はどうだったか」「柔らかいロボットを作った時はどう考えたのか」と振り返ろうとしても、詳しく思い出せません。でも、写真を見ると、忘れていた記憶の一部が呼び起こされます。祖母も同じで、そのことが共想法につながりました。

―認知症に至らずとも、年齢を重ねるほどに「覚えられない」「思い出せない」ことが増えていくのは、なぜでしょうか。
記憶は「記銘・保持・想起」という3段階で構成されます。記銘とは覚えること、保持とはその情報を持ち続けること、想起はその情報を適宜取り出せること。このうち最初に衰えるのが記銘なので、加齢により新しいことを記憶するのが難しくなるのです。
使わない機能は衰えますから、特に記銘を意識して考案したのが共想法です。共想法はグループで実施し、決められたテーマに基づいて写真を撮ってもらいます。後日その写真を持ち寄って撮影の意図などを発表し、他の参加者は質問をします。写真を見ながら「話す・見る・聴く・考える」を行うことで、脳の認知機能を総合的に使うことができます。
―過去に撮った写真ではダメなのでしょうか。
過去に注目する会話法としては、1960年代に開発された「回想法」が知られています。本来は高齢期のうつ治療が目的で、とらわれている過去を回想して解決することで自由になるという考え方です。平均寿命70歳の時代ならばリタイア後に過去を振り返るのも良かったでしょうけれども、今は人生100年時代。リタイアしてから30年も40年も人生が続くわけですから、過去ではなく今に目を向ける方が良いと考えています。
共想法でその都度、写真を撮っていただくのは、発表を前提に何を撮ろうかと考え、日常生活のいろいろなことに目を向けるプロセスが大切だからです。例えば、「筋肉を使ってみる」というテーマに対し、ある人はダンベルを、別の人はつま先立ちの足元を、それぞれ撮影していました。その工夫がとても興味深かったです。
―なるほど、テーマをもとに考えて行動することも含めて脳に良い影響があるのですね。
その通りです。研究では、会話中に使用される語彙が多い人ほど総合的な認知機能が高い、という相関も見出すことができました。語彙は生きていれば増やせますが、増えるような行動をしているかに左右されます。総合的な認知機能とは、物事への興味や面白がる感性なども足し合わせたものですから、まずは行動を起こしてみることが重要です。分からない言葉があったら人に聞いたり調べたりするだけでも変わってくると思います。
私は共想法を考案してから、よく写真を撮影するようになりました。SNSで公開するためではなく、自分のためです。撮った写真は1週間ごとにフォルダにまとめ、その週を象徴する出来事の名前を付けて保存しています。写真を見返すと「新しい店を開拓した時だ」「移動中の写真ばかり、忙しい週だった」などの記憶が想起されます。

―写真を発表する場面や参加者による質問の際に、逸脱した発言などで進行が妨げられることはないのでしょうか。
共想法では発表や質問の時間を定めているので、誰か1人だけが長く話すことがありません。また、参加者は発表者のエピソードを引き出す質問を心がけ、感想をなるべく言わないルールとしました。時にはファシリテーターが軌道修正する場面もありますが、ファシリテーターの力量よりも、参加者がルールを意識することの方が重要です。
ルールを守れば、初対面や世代が異なるメンバーでも会話が成立します。大学の教員だった時に自由参加のワークショップを開催したところ、好きな食べ物が同じ仲間が見つかったという学生もいましたし、情報共有できる友達ができたことで留年を免れたという学生もいました。着想は認知症でしたが、それとは関係なく、コミュニケーション手法としても一定の効果があると分かりました。
―これからの時代、コミュニケーションの相手は人間と限らず、ロボットになる可能性もありますよね。
共想法ではファシリテーター役として、ロボットの「ぼのちゃん」を開発しました。以前、見守りロボットを開発した際に「大きな目で見られているとリラックスできない」との声が寄せられたことを踏まえ、表情は目を閉じているような穏やかな顔立ちにし、外見は全体に柔らかいデザインを採用しました。「ぼのちゃん」の使用目的は円滑な進行です。話が長い場合に次のアクションを提案したり、極端に発話が少ない人に質問を促したりと、人同士だと角が立ってしまう要素を埋め込んでいます。
実際に使ってみたところ、「ロボットに言われたら仕方ない」という雰囲気になりました。

共想法を行うための会話支援ロボット「ぼのちゃん」
また、新型コロナウイルス感染拡大の中で対面のワークショップができなかった時に、共想法の「話す・見る・聴く・考える」の中でも認知的な負荷が高い「聴く」に着目し、「ぼのちゃん」が話すことに対して人間が質問するプログラムを試したこともあります。質問は認知機能で最初に衰える記銘が関係するので、ChatGPTなどの生成AIに質問することも脳に良いのかもしれません。生成AIはゼロから考える機能を損なう可能性もあるので、時には自分で素案から考えることも必要だと思っています。
―大武さんも普段から脳の機能を維持する工夫をしておられるのですね。
加齢による機能低下は機械でいう経年劣化に近く、致し方ないことですが、メンテナンス次第で機械が長持ちするように、人間の脳や体も使い方次第で長持ちさせることができます。例えば、将来も歩ける体でいるためには平坦な道を歩くだけでなく、坂道を交えるなど、歩くよりも負荷をかけなければいけません。
―これから日本ではますます高齢化が進みます。今後はどういったことにチャレンジしていきたいですか。
認知症を発症する仕組みは徐々に明らかになっていますし、脳の状態を調べる技術も進化していますから、今後も研究を通して認知症を減らすことに貢献したいと思っています。
認知機能の低下は高齢者だけではなく、早ければ40歳代から始まります。仕事に加え、育児や介護などプライベートも忙しい中高年世代が、脳に良い行動習慣を、どうやって日常生活の中に取り入れるか、行動変容の支援をする仕組みを作っていきたいです。私自身、そういった事業を展開したいので、脳を長持ちさせることに興味関心がある方と一緒に取り組みたいと思っています。

筋力の維持に運動が必要であるように、脳の機能維持にもトレーニングが有効というお話に目から鱗が落ちました。大武さんご自身も何気ない日常を写真に残すなどの工夫をしておられ、その前向きな生き方に学ぶところは多いと感じます。まずは記憶にとどめることを意識して、日常の写真を撮ってみてはいかがでしょうか。