実用化されれば世界を大きく変える可能性があるといわれる量子コンピュータ。さまざまな方式がある中で「光」に着目し、光量子コンピュータの研究開発に情熱を注ぐ東京大学の武田俊太郎氏に、量子コンピュータ開発の現状や未来に向けた思いなどを聞いた。
武田 俊太郎
東京大学大学院 工学系研究科 准教授
たけだ・しゅんたろう
2010年東京大学工学部物理工学科卒業。2014年同大学院工学系研究科博士課程修了後、分子科学研究所での職を経て、2019年より現職。専門は量子光学・量子情報科学。OptQC株式会社顧問も務める。主な著書に『量子コンピュータが本当にわかる! ― 第一線開発者がやさしく明かすしくみと可能性』(技術評論社、2020年)。
―従来のコンピュータと量子コンピュータは何が違うのでしょうか。
今使っているコンピュータには、スマートフォンやパソコン、スーパーコンピュータなどいろいろなデバイスがありますが、基本的には同じ仕組みで、半導体を使った電気スイッチにより「0」と「1」を使って計算しています。
対して量子コンピュータは、そもそもの計算の仕組みが従来のコンピュータとは違います。私たちの身のまわりの物質は、すべて原子という粒からできています。原子はさらに細かく言うと、電子、陽子、中性子から構成され、これらは量子力学の法則に従って振る舞うため、量子力学的な粒子と呼ばれます。これら量子の世界は、目に見える世界とは異なる、量子特有の物理法則(量子力学)があり、量子コンピュータはその法則を情報処理のルールの中に取り込んで計算します。
―量子の物理法則で情報処理をするとはどういうことですか。
量子の世界には2つ以上の状態が同時に存在する「重ね合わせ」という性質があり、量子コンピュータはこの性質を使います。従来のコンピュータが「0」と「1」というビットで情報を処理するのに対し、「0と1の重ね合わせ」を情報の単位とする「量子ビット」によって情報処理を行います。そして、量子の重ね具合を制御することで計算を行います。
―量子コンピュータには、どのような特性がありますか。
誤解されがちですが、量子コンピュータだからといってなんでも高速で計算できるわけではありません。
量子コンピュータが得意とするのは、新しい材料設計や創薬のための化合物探索などのシミュレーションです。これらの分野では現在もコンピュータシミュレーションが行われていますが、量子コンピュータを使うことで高速かつ高精度でのシミュレーションができるのではないかと期待されています。
―今世界中で量子コンピュータ研究が進められていますが、先行しているのはどういうものですか。
量子コンピュータは、超伝導、光、原子、イオン、半導体などを用いて量子の状態を制御して情報処理を行います。その中でも一番伸びているのが超伝導量子コンピュータで、GoogleやIBMなどのアメリカ企業が牽引しています。最近では、国を挙げて研究開発を進めている中国も勢いを増しています。
―現在、量子コンピュータ開発はどのような段階にあるのでしょうか。
今は多くの企業が自社で開発した量子コンピュータを利用できるサービスを提供しています。ユーザーがインターネットを介して「こういう計算をしてほしい」というプログラムを送ると、開発企業が持っている量子コンピュータでそれを実行して答えを返してくれるサービスです。
ただ、これらは量子コンピュータの計算方法を用いていますが、ほとんど使い物になりません。例えるなら、F1カーをつくりたいのに、おもちゃでF1カーのようなものをつくって走らせている状態で、普通の車で走った方が速いのです。
―武田先生が研究開発を進めている光量子コンピュータについて教えてください。
光は扱いやすい量子として、かなり古くから研究されてきた歴史があります。1980年代に量子コンピュータというアイデアが提唱されるより前から、離れていても影響し合うような振る舞いをする「量子もつれ」という現象の実験が行われてきました。また、イオンや超伝導、半導体では極低温や真空の装置が必要になりますが、光は通常の室温で動作できるというメリットがあります。
しかし、光は扱いやすい反面、量子の数を増やして制御しようとするとかなり難しくなることが分かりました。光には粒の性質と波の性質があり、典型的な方法では一個一個の光子(光の粒)に「0」と「1」を当てはめて処理しようとしてきましたが、装置の中を進むうちに光子の量子ビットがなくなってしまうのです。そこで私たちは光の波の性質に着目し、波の振幅に「0」と「1」を当てはめることにしました。そうすることで、エラーに強く、効率良く計算しやすいマシンができると考えています。
―光量子コンピュータには、どのような利点がありますか。
量子コンピュータであれば、光でも超伝導でもできることはそれほど変わりませんが、光の量子コンピュータは、他の方式に比べて処理速度が速いというメリットがあります。それに、データ通信をするなら光が最適です。もしも超伝導量子コンピュータを量子インターネットでつなぐことになれば、超伝導量子を光に変換する必要がありますが、光なら変換せずに、そのまま光ファイバーなどで通信できます。
―今注力しているのはどのようなことですか。
光の波の性質を使うことで、光量子コンピュータの研究開発はかなり進展しました。しかし、現在の光量子コンピュータにできる計算はかなり限定的で、足し算と引き算のような簡単な計算しかできません。それでは量子ビット数が増えたとしても意味がないので、掛け算もできて、より複雑な問題を解けるような仕組みの構築に取り組んでいます。
最新の研究成果では、掛け算を可能にするプロトタイプマシンの開発に成功しました。これは光量子コンピュータ開発において大きな一歩になると思っています。
レーザー光発生装置から出た光を反射させる鏡などを500個以上、すべて手作業で並べて光回路をつくる
―どのような経緯で量子コンピュータの研究をすることになったのでしょうか。
高校時代から物理が大好きで、大学では物理学科に進もうと思っていました。ところが、いざ入学してみると自分が好きなのは物理そのものではなく、物理のルールを応用して価値につなげることだと分かりました。高校生の時からテーマパークが好きだった理由も、どのアトラクションの仕組みも高校で習う物理で説明できるものばかりで、物理法則を楽しい体験に利用しているからでした。同じように、自分も物理を応用して人をワクワクさせるようなものをつくりたいと思い、物理工学科を専攻することに決めたのです。
その後、大学4年生の時に恩師である古澤明教授の研究室を見学させてもらい、量子の振る舞いと、それを人がつくった装置で制御できることにロマンを感じ、量子コンピュータの世界に足を踏み入れました。
―この研究の面白さやモチベーションはなんでしょうか。
自分で光や電気の回路を設計してつくったものを組み合わせると光子ができて、光子の変化を計測できる、そんな実験が楽しいのです。そうして最後に出てきた結果が理論予想とぴったり合った時には、量子の世界の美しさを感じます。結局のところ、実験が楽しいという気持ちが学生の頃から変わらず、今も自分のモチベーションになっていますね。
―研究者としての自分の強みはなんだと思いますか。
研究では、技術的な強みに加えて、将来像からバックキャスティングして今必要とするものを考えられるアイデア、マーケティング力も必要です。そもそも今の量子コンピュータは未解決の課題も多く、資金や人手があれば実現できるという段階ではないので、光の波を利用したループ型量子コンピュータというニッチなアイデアと技術が十分強みになります。
もちろん、その技術で世界のスタンダードになることをめざしていますが、今は光方式だけを見ても様々なアプローチが乱立していて、主流がどこになるかも分からない状況です。量子コンピュータには超伝導やイオンなど様々なアプローチがありますが、それぞれが実用的な量子コンピュータの実現という同じゴールをめざしています。誰が一番乗りできるのか分かりませんが、私たちは独自のルートを先陣を切って進んでいるところです。私たちのような光の波の性質を使うアプローチは、近年世界的にも一気に伸びており、最近はさらに独自のアイデアや技術的進展によって先の道が少しずつ見えてきています。
―科学の専門家ではないビジネスパーソンは、量子コンピュータをどう意識するといいでしょうか。
量子コンピュータには、専門外の人にも様々なチャンスが眠っていると思います。ハードウェア的に量子コンピュータをつくるとなると簡単には手を出せないでしょうが、ハードウェアを構成する個々のコンポーネントは量子とは関係ないものがほとんどで、その中には日本の小さな会社でしかつくれない部品も含まれているそうです。自社の強みを活かして、戦略的にサプライチェーンに参画するチャンスはあるかもしれません。
量子コンピュータの利用については、メディアによって様々な憶測が流れていますが、プログラミングが可能で様々な問題に適応できる実用的な量子コンピュータの開発となると、まだ数十年はかかるでしょう。その前に、特定の問題のみを高速で解くことができる量子コンピュータが登場する可能性はあります。その時に備えて量子コンピュータについて知っておくことは大切だと思います。
―光量子コンピュータが実現した時、どのように未来社会に役立ってほしいですか。
量子コンピュータは未来社会を大きく変える可能性を秘めています。クリーンエネルギーや循環型社会との結びつきも強く、実現すれば地球環境にも良い影響を及ぼすと考えています。量子コンピュータはかなり速度が速いので、普通のスパコンよりもエネルギーコストが減るという利点もありますし、さらに低エネルギーでできる新しい材料やプロセスを見つけることもできるでしょう。
例えば、まだ解き明かされていない光合成のメカニズムには量子力学が関わっていると言われているので、量子コンピュータによってその仕組みが分かるかもしれません。そうすれば、人工での光合成や、超高効率なソーラーパネルなどのクリーンエネルギー開発につながる可能性があります。他にも少ないエネルギーでアンモニア合成を行う細菌の合成メカニズムの解明や室温超伝導の実現など、量子コンピュータに期待されていることはたくさんあります。
私自身はつくるのが楽しくて取り組んでいますが、様々な応用分野が実現して、世界に大きな変革をもたらすことも楽しみにしています。
目に見えない量子の物理法則を利用し、従来のコンピュータにはできない計算を実現しようというのが量子コンピュータです。世界中で研究開発が激化する中、東京大学の武田俊太郎氏は、日本の研究室から世界初の光量子コンピュータをつくり出そうと奔走しています。普通の人には難しそうな量子の話ですが、身近なトピックと絡めながら、わかりやすく話してくれました。