プロワイズ75号から表紙を飾るのは、アーティスト・GAKU氏の作品だ。国内外で注目される人気画家で自閉症という面も持つ。GAKU氏の創作の姿勢と活動の広がりから、多様性の実現に真に必要なものは何かヒントを得られるはずだ。
GAKU(佐藤 楽音)
アーティスト
さとう・がくと
3歳で自閉症と診断され、療育を受けるために両親と渡米。14歳で帰国。中学卒業後、父親が運営するフリースクールに通う中、16歳で絵を描き始め、一躍、人気アーティストに。GAKU氏を描いた書籍に『GAKU, Paint!』(CCCメディアハウス)がある。
神奈川県川崎市のアトリエで、色彩豊かな作品を見せてくれるのが、アーティストのGAKU氏だ。まだ23歳という若さで、バッグブランドのレスポートサックや化粧品ブランドのザボディショップ、チョコレートのゴディバ、靴やバッグのDIANAなど、国内外の有名ブランドとのコラボレーション実績を持つ。ニューヨークの個展や香港でのインスタレーションでは多くの来場者を魅了し、画集制作のためのクラウドファンディングには返礼品に原画をつけたことが奏功し、実に1200万円が集まった。2024年に東京都世田谷区で10日間行われた個展でも多くの作品が購入されたという。
「プロのクリエイターから高い評価をいただいています。特に色使いが自由で素晴らしいと言われます」
GAKU氏に代わって説明してくれるのは、プロデューサーでもあり父親の佐藤典雅(さとうのりまさ)さんだ。
実はGAKU氏は重度の知的障がいと多動症を持つ自閉症だ。16歳で創作活動を開始した当初は、自閉症の画家として紹介されることが多かった。6年がたち、今は純粋に作品が評価されている。
本名は佐藤楽音。生まれた時からパワー全開で、他の子と異なる行動が目立ち、3歳児で自閉症と診断された。
自閉症とは、発達障がいの一つで、興味の幅の狭さとこだわりの強さ、コミュニケーションのとりにくさなどが特性として挙げられる。
「例えばGAKUなら、幼い頃積み木を一列に積み上げて、崩れるとパニックを起こすといった行動を繰り返していました。CDをシュレッダーにかけることにこだわっていた時期もあった。今は飲みかけのペットボトルを捨てることにこだわっていて、目につく場所だけでなく、人のカバンを探ってペットボトルを回収します。それを止めるとパニックを起こします」
自閉症という診断を受け、父・典雅さんは、家族で米国に渡ることを決めた。米国の方が進んだ療育を受けられると考えたからだ。転職先を定め、GAKU氏が4歳の時にロサンゼルスに移り住んだ。
「当時は、自閉症は病気であり、療育によって治ると思っていました。でも結果的に療育の効果は感じられなかったのです。自治体からセラピストが週に4日来てくれたのですが、1年かけて2単語が3単語に増えただけ。自然成長の範疇を出ないのではと気づきました」
自閉症は生まれ持った脳の構造によるもので、治るものではない。治そうとするより、いかに本人や家族がラクに暮らせるか考え、環境整備に注力すべきだ。そう考えるに至り、14歳の時に家族で帰国した。
日本でGAKU氏の受け入れ先を探している時に、知人から「自分で施設をつくってはどうか」と勧められ、典雅さんは川崎市に福祉事業会社アイムを設立した。発達障がい児を預かる「アインシュタイン放課後」や「ノーベル高等学院」、生活介護を提供する「ピカソ・カレッジ」などを次々に立ちあげ、GAKU氏もここに通うことになった。
絵を描き始めたのは、ノーベル高等学院の2年生の時のこと。遠足で川崎市岡本太郎美術館に訪れたところ、多動で1分とじっとしていられないGAKU氏が、同氏の絵の前で5分間も立ち尽くしたのだという。その翌日、突如「Gaku,paint!」(絵を描く)と言って、手元にあったトレーシングペーパーに描き始めた。米国育ちなので、GAKU氏の母語は英語だ。
そうして描き上げたのは、黒地に色とりどりの球体が7個描かれた、「太陽」だ。
GAKU氏の絵をひと目見て、典雅さんは才能を感じたという。アイムにいた絵画に詳しいスタッフも、可能性があると太鼓判を押した。それなら賭けてみようと、本格的な画材を買い渡すと、GAKU氏は次々に作品を仕上げていった。
翌年、本人の希望で個展を開いたところ、無名にもかかわらず5日間で10枚の絵が売れ、アーティストGAKUの名が知られるに至った。
絵を描き始めて、GAKU氏には大きな変化があったという。
「それまで彼は成長することに不安を抱えていました。成長すると子どもではなくなり、学校にずっといることができない、今までとは同じでいられないことを本人なりに感じていたんでしょうね。しきりに『ガク、背伸びない。大きくなりたくない』と言っていました。でも絵を描き始め、画家という生きる軸がはっきりしたことで、自信がついたようです。『がっちゃんの仕事は?』と尋ねると、『Painter!』とはっきり返事をします」
(左)作品を描く際には青のつなぎを着用
(右)アクリル絵の具を1色使用するたびに筆を洗う
展示会でカメラを向けられると笑顔を見せ、打ち上げでは多動にもかかわらず終始席に着いているそうだ。
GAKU氏のIQは30だという。しかし、これらの様子から、将来を見通していること、周囲の反応、求められている役割を理解していることがうかがえる。
「知性を1つの尺度では測れないなと、彼から教わりました」と、典雅さんが話す。「創作の様子を見ていてもそうです。GAKUはよく動物の絵を描くのですが、動物の姿は図鑑で学んでいます。インプットしたものを自分なりにデフォルメして作品にしているのです。表参道のハイブランドの店に連れて行った翌日は、黒と金を使った、イタリアのブランドを思わせる抽象画を描きました。雰囲気や印象を咀嚼しアウトプットしていると感じます。確かに彼は言葉でのコミュニケーションはできません。でもそこには知性がある。普通の人と尺度が違うだけです」
(左)有名ブランドとのコラボレーションも多い
(右)動物の姿は図鑑から学ぶ。GAKU氏が描く動物はみんな笑顔で、見る人をハッピーな気持ちにさせる
だから障がい者に関わる人は、彼らが分かっていないと決めつけず、インプットし続けてほしいと典雅さんは話す。それがどう表出するかはそれぞれだが、何らかの形で本人の心に響いていると考えられるからだ。
「障がい者は、社会の問題を顕在化させる存在だと思います」
とは、福祉施設を運営する立場からの典雅さんの意見だ。例えば、障がいがある従業員を受け入れたことで現場が混乱したという会社は、もともと社内の業務フローが円滑でなかったのかもしれない。障がい者の受け入れ態勢を整えられない組織は、状況に対応する柔軟性が不足しているのかもしれない。
「障がい者と関わることで、イマジネーションとクリエーティビティが磨かれる」とも、典雅さんは続ける。
「障がい者の気持ちは、私たちには分からない。想像するしかないのです。昨今、多くの組織がSDGsやDEIに取り組んでいますが、その実現も想像力と創造力がカギになると私は思います。SDGsやDEIは、要するにマジョリティーがマイノリティーをどう受け入れるかという話で、マイノリティーの本当の気持ちは、マジョリティーには想像するしかないからです」
業種を問わず、想像力や創造力が必要なのはいうまでもない。この点からも、多様性の確保は組織の成長に寄与するといえるわけだ。
「ただし、障がい者は整合性がとれないことも多い。理屈で突き詰めず、どこかで"まあ、いいか"とアバウトになることも必要です」
日本人が異質な人にオープンになれないのは、単純に慣れていないだけだろうとも典雅さんは話す。
「街中でGAKUが突飛な行動をとった時、GAKUを知らない人は怪訝な顔で通り過ぎます。でも知っているは、GAKUに会えたと喜ぶし、"がっちゃんがあっちで飛び跳ねているよ"と教えてくれる」
その人や特性を知れば受け入れられるのだ。
「GAKUの活動に二次的な意義があるとしたら、自閉症への認識を促すことだと思います。GAKUを通じて自閉症の特性を知ったら、実際に自閉症の人が変な行動をとった時も冷ややかな目を向けない。みんなの目が優しくなり、自閉症の人が住みやすくなると思います」
自閉症だけではない。誰かを受け入れる経験をしたら、他の誰かも受け入れやすくなるはずだ。
創作を通し、多くの人と一緒に価値を生み出すGAKU氏。その筆が形づくるのは、カラフルなGAKUワールドと、真に多様性に富む世界といえそうだ。
場面を変えての撮影にも笑顔で対応してくれたGAKU氏。アーティストとしての自覚を感じます。この笑顔が見たくて、展示会で声をかけてくるファンも増えているのだそうです。GAKU氏の作品は、数百万円のものもありますが、25万~50万円の比較的手ごろなラインも揃っています。1枚欲しいと、本気で物色した取材でした。