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「消えもの」に命を宿らせる技~飴細工~|手塚 新理

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飴細工師への道を志し、単身で道なき道を切り開いてきた手塚新理氏。いずれ消えてなくなってしまうことを前提につくられる飴細工に、躍動する命を宿らせ、魂を吹き込む技に日本的な美意識が充溢する。手塚氏が考える飴細工の、そしてものづくりの真髄とは─。

※本記事は2025年1月に掲載されたものです。
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    手塚 新理

    飴細工師

    てづか・しんり
    千葉県生まれ。幼少時より造形や彫刻に勤しみ、2009年頃に飴細工職人を志す。 13年、東京・浅草に「浅草 飴細工 アメシン」を設立。以後、クリスタルアートのような飴細工を生み出し、高い評価を得てきた。 現在は、浅草寺雷門から徒歩数分の花川戸と東京ソラマチ内に店舗を構える。

ごまかしが効かず短時間で結果が出る。それが飴細工の面白さ

飴細工は「時間の芸術」である。

熱を加えて半固体の状態になった飴は、常温の環境下では5分間ほどで完全な固体となる。飴細工師の技は、その5分間に凝縮される。熱い飴の塊を手に取って、すかさず大まかなフォルムをつくる。指で背びれ、尾びれ、腹びれの形を整え、握りばさみでひれに筋をつけていく。この時点で、どうやら金魚がつくられるらしいことがわかってくる。飴は厚みのないところから固まっていくから、ひれなどのディテールを先んじてつくり込まなければならない。

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ここまでがおよそ3分。残りの2分ほどで再び全体の形を整え、完成形に近づけていく。数分前まで、それはたんなる飴の塊だった。そこにわずかな時間で生命が吹き込まれ、今まさに水中に放たれたように躍動する金魚が目の前にあらわれる。

夏目漱石の『夢十夜』に、運慶が仁王像を彫り出す話がある。鑿(のみ)を無造作に使いながらも正確な仁王像が表現されるのは、もともと木の中に埋め込まれていた姿かたちを掘り出しているからで、それは土の中に埋まっている石を掘り出すようなものだ――。登場人物の1人がそう語る。

飴細工の金魚をつくるプロセスを間近で見ていると、まさしく常人には見えぬ金魚の姿かたちがすでにそこにあって、それを見ることができる特殊な能力を持った飴細工師が、その姿かたちに合わせて金魚を造形しているかのように思えてくる。飴細工づくりとは、それほどに淀みがなく、迅速で、正確な作業である。

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90℃に熱して半固体となった飴を手に取る。
常人には掴み難い熱さだが、慣れによって耐えられるようになるという

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素早く形を整え、握りばさみで細部をつくり込んでいく

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細工の途中で表面は濁るが、ヒートガンで熱することで透明感が甦る

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江戸時代に盛んになった飴細工は、元来、道端などで実演販売をする一種のパフォーマンスアートだったという。大勢の客の目にさらされながら、短時間で細工を造作する。それが飴細工師の仕事だった。東京・浅草の飴細工店アメシンの代表であり、およそ14年前に単身で飴細工の世界に飛び込んだ手塚新理氏のキャリアもまた、イベント会場などでの実演販売から始まった。

「人前でつくるから、一切ごまかしが効かず、結果が短時間で出る。それが飴細工の面白さと難しさだと思います」

手塚氏はそう語る。客前での飴細工づくりは現在も行っていて、客のリクエストに応えて即興でつくることも多い。リクエストを聞き、姿かたちをイメージし、手と握りばさみを猛スピードで動かし、数分でイメージどおりの細工を生み出す――。手塚氏には現在9人の弟子がいるが、その即興造形ができる人はまだ1人もいない。それだけ高度な作業ということだ。

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最後が着色のプロセス。飴は湿気を吸うと溶けてしまうので、この工程にも迅速さが求められる

なくなってしまうものに魂を吹き込む

手塚氏が前職の花火師の仕事を辞めて、飴細工師を志したのは2009年、20歳の頃だった。

「飴細工を学べる環境は全くなかったので、すべて独学でした。インターネットの動画や文献を参考にしながら飴づくりを学び、1人で研究と練習を重ねて造形の技を身につけていきました」

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13年に浅草の今戸神社前に最初の店舗を構え、15年には東京スカイツリーに併設されているショッピングモール、東京ソラマチにも出店した。現在は、浅草・花川戸店を商品販売と体験教室の拠点とし、最初の店舗は工場として使っている。

手塚氏が得意とするのが、透明な飴細工だ。飴はもとより透明だが、混ぜたり練ったりする作業によって空気が混入して白濁する。そうして白くなった飴の形を整え、着色して動物などを表現するのが一般的な飴細工である。

飴を透明なまま飴細工にするには、すべてのプロセスにおいて空気が混入しないよう細心の注意を払う必要がある。そうして生み出される透明な飴細工には、スワロフスキーのクリスタル工芸のような高級感があり、魚やカエルなどの水生生物の造形の繊細さをよく際立たせる。商品のほとんどは着色して販売するが、実演販売では透明な状態を完成形とすることも多いという。

「例えば虎の飴細工をつくる場合、黄色い飴でつくった造形に黒で縞を描けば、形が多少不格好でも誰の目にも虎とわかります。しかし透明な虎は、色に頼れないぶん、特徴やディテールを正確に表現しなければなりません。そこでつくり手の技量が試されることになります」

優れた飴細工をつくるには「インプット」が大事だと手塚氏は言う。自分の手がつくり出した造形の良し悪しを判断するのは、自分の感性である。その判断力や審美眼を鍛えるために、日々自分の中にいろいろなものをインプットしていく訓練を怠ってはならないのだと。

一方、造形は感性のみによって生み出されるものではなく、数字的な正確さも求められると話す。

「金魚の胴体と尾びれの長さの比率はどのくらいなのか。動物の顔の目と鼻と口の間にはどのくらいの距離があって、どのくらいの角度で配置されるべきなのか。そういったことを正確に把握できなければ、本物と同等の生命感のある立体物をつくることはできません」

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手塚氏の手による飴細工の作品。
タコ、アマガエル、ヒラメのそれぞれに、実物と見まがうばかりの生命感が宿る

飴細工は「消えもの」、つまり作品であると同時に、食べれば消え失せてしまう食品である。いずれなくなってしまうものに、工夫に工夫を重ねて姿かたちを与え、命を宿らせ、魂を吹き込む。消え去ってしまうものを愛しみ、もてる力のすべてを費やして作品とする。それが飴細工師の仕事だ。外国人にとってはあるいは虚しく見えるかもしれないそのような営みに価値を見出すところに、日本人独特の美意識がある。そう手塚氏は言う。

ものづくりに必要なのは危機感と謙虚さ

伝統工芸の世界には、後継者不足という共通の課題がある。師匠に弟子入りすることなく、独力で飴細工師としての道を切り開いてきた手塚氏から見て、その課題の本質はシンプルである。

「一番重要なことは、職人が飯を食えることです。伝統工芸が職業として成立し、それによって生活することができなければ、若者が伝統工芸を志すことはないと思います。需要があるものをつくり、商売を成り立たせ、対価を得られる仕事にできること。そこをめざさない限り、日本の伝統工芸は先細っていくだけではないでしょうか」

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職人を志してから5年、10年は修行の時期が続き、一人前になるまでは歯を食いしばって苦しい生活に耐えなければならない。そのような伝統工芸の風習こそが問題なのだと手塚氏は言う。アメシンで働く9人は、全員が店に入った時から何かしらの仕事をこなすことで給料を得てきた。商品の梱包、発送作業、店での接客、体験教室の講師――。そういった多様な仕事によって飴細工の商売は成り立っている。全員が日常の様々な仕事をこなし、生活の確かな糧を得ながら、職人としての技量を絶えず磨いていくこと。それが手塚氏の後継者育成の方針だ。

近年、日本の伝統のものづくりは、アニメやマンガなどとともに「クールジャパン」の名で海外でもてはやされるようになっている。しかし手塚氏は、その華美なフレーズによって危機感が失われてしまうことを危惧している。

「日本文化の素晴らしさを強調しようとするあまり、日本のものづくりが衰退しつつあるという現実が見えなくなってしまってはいけないと思います。必要なのは謙虚さです。ものづくりに携わる一人ひとりが現実に対して謙虚になって、本当に誇れるものを生み出す努力を続けていくことです。私自身、その気持ちを決して忘れないようにしたい。そう思っています」

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着色の工程を経て完成した金魚。透明な飴細工ならではの造形美を実現している。
今にも泳ぎ出しそうな躍動感に満ちる

編集後記

浅草駅から徒歩7分ほどにある「浅草 飴細工 アメシン」花川戸店にて取材と撮影をさせていただきました。先達に師事せずに独力で飴細工師としての地歩を固めてきただけあって、手塚氏の言葉の端々には、自信とこだわり、そして自分自身に対する厳しさが満ちていました。「これからの目標は?」という問いに対する答えは「あるけれど、言えない」。語らずして成し遂げる──。そのスタイルを、これからも貫いていただきたいと思います。

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