※本記事は2021年11月に掲載されたものです
パティシエになったのは人を幸せにしたいから
1985年生まれ。辻調グループフランス校卒業。フランス・ラナプール「L'OASIS」、カンヌ「Villa des Lys」にて修業。「BEIGE Alain Ducasse TOKYO」にて経験を積み、「DOMINIQUE BOUCHET TOKYO」「SUGALABO」「THIERRY MARX」など数々の名店でシェフパティシエを歴任し、2020年「unis」のシェフパティシエ、「Social Kitchen」プロデューサーに就任。同時にスイーツブランド「PAYSAGE」を立ち上げた。2021年サロンデュショコラに出店、5月には伊勢丹新宿本店で2週間のPOPUPショップを開催。 |
※黒字= 江藤英樹 氏
──江藤さんがパティシエをめざしたきっかけをお聞かせください。
実をいうと子どもの時になりたかった職業はバイオリニストなのですが、当時から人を幸せにする仕事がしたいと思っていました。
そんな僕にとって幸せを感じさせるものがケーキでした。子どもの頃、誕生日などのお祝いの日に両親が買ってきてくれたケーキが本当にうれしかった。自分自身がケーキのおかげでとても幸せな気持ちになれたので、その思いをたくさんの人に伝えたくて、今こうしてパティシエの仕事をしています。
──「PAYSAGE(ペイサージュ)」というご自身のブランドのお菓子も販売していますね。
僕は、フランス修業時代からガストロノミーと呼ばれる美食文化を追求する高級スイーツを作ってきました。もちろん、そういうスイーツも素晴らしいのですが、懐かしさや優しさをイメージして、親しみやすいスイーツブランド「ペイサージュ」を作りました。
良質な食材でシンプルに、できるだけ添加物を使わず、子どもの頃に母親が作ってくれたような素朴なクッキーを僕なりにアレンジして作ったのがペイサージュのサブレです。
──ペイサージュは「風景」「景色」を意味するフランス語だそうですね。
はい。誰の心の中にもある風景や景色をイメージして、すてきで優しいフランス語のこの名前をつけました。僕の場合は、子どもの頃に遊んだ田舎の野山、その時に描いた風景画など、いつも身近に感じていた自然の風景ですね。そんな思いに寄り添うお菓子があればという思いから、食べた瞬間にほっとする素材のおいしさを感じて、また食べたいと思ってもらえるような味を追求しました。
──そんな江藤さんが、カカオの廃材を使ったチョコレートを作られたと伺いました。
正直、それまではカカオの問題をそれほど認識していませんでした。しかし、LIFULL※2さんに声をかけていただき「地球料理 -Earth Cuisine- 」というプロジェクトに参加したことがきっかけです。その時、チョコレートの原材料であるカカオが危機状態にあると知りました。「Earth Cuisine」は、食べることが地球のためになり、新たな食材の可能性を探るためのサステナブルなプロジェクトです。その第3弾として「チョコレート危機」と向き合うことになり、サステナブルスイーツ「ECOLATE(エコレート)」を発売することになりました。
※2 LIFULL...これまでの食の「枠」を超えた新たな食の可能性を追求し、より多様な暮らし方や価値観に気づく機会を提供する事業を行っている会社
──今、チョコレートが危機的な状況にあるとは知りませんでした。
普段食べているチョコレートの原料は「カカオの種子」です。それらの種子は本来カカオの木として繁栄していくために残すべきものなのですが、その大切な種子だけを使ってチョコレートは作られます。一方で、カカオ豆をたくさん収穫できるよう品種改良された種類ばかりが育苗され、カカオ豆の多様性が失われていく。それらはすべてチョコレートの未来を途絶えさせようとしているように見えます。
もう少し広い視野で見てみれば、カカオ農家の貧困や児童労働などの社会的問題、近年の世界的な需要急増を受けて生産地を拡大するために森林伐採が進む環境問題も存在しています。加えて、カカオ樹の高齢化や気候変動などの影響により、2050年までにカカオが絶滅し、チョコレートが食べられなくなるかもしれないといわれているのです。
カカオの廃材で社会課題に挑む
──カカオの廃材を材料にするというのは、どこから発想されたのでしょうか。
僕自身、チョコレートやカカオを使うことは多く、サロン・デュ・ショコラにも毎年出ています。しかし、カカオ豆を使わずにチョコレートを作るのはとても難しいチャレンジでした。カカオ豆を使わなければチョコレートではありません。カカオ豆を守るために、カカオ豆以外の素材を主役にして、味や香り、食感のバランスをどう取るか。また、それらをチョコレートに近づけ、その先にある社会課題を考えるきっかけにし、意味のあるものにするにはどうするかといったことも考えました。そこで、僕はカカオ豆ができるまでの植物の生命力、豆以外の素材に着目しました。
イメージしたのは、今まで使われていない部位を食材に変えることで『カカオの新しい生態系』をつくることでした。具体的には、チョコレートを作る時に70%も廃棄されるというカカオの廃材に
"食材"としての価値を与えようと考えました。
エコレート・カレ。写真左から順に、カカオ豆の殻の含有量50 %/ 枝の含有量20%/カカオ豆の殻・枝・葉の含有量30%
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──カカオ廃材からどんなスイーツが作られたのでしょうか。
僕が考案したのは「ECOLATE CARRE(エコレート・カレ)」という3種類のひと口チョコレートです。茶色のチョコレートはカカオ豆の殻を50%使用したもので、あえて殻を粗めに残してさっくりした食感を味わえるようにしました。キャメル色のものはカカオの枝を20%使って木の質感を感じられるようにしたもの、モスグリーンのものはカカオ豆の殻、枝、葉を30%混ぜて作ったものです。
実際、枝や葉であってもほのかにチョコレートの風味を感じることができますし、さらに研究すればもっとおいしくできる可能性はあると思います。
──チョコレート危機を回避するため、今、何ができるでしょうか。
カカオの廃材を食べることで未来のカカオ生態系をつくろうとしているこのプロジェクトには、まだまだ秘めた可能性があると思います。例えば、カカオの木や葉に食材としての価値が生まれれば、カカオ農家も農薬を使わずに育てるようになるでしょう。そうすればカカオ豆自体の農薬問題の解決に向けて一歩前進することになります。これまで食品として流通させられていなかったものを流通させるには解決すべき課題が多くありますが、このプロジェクトをきっかけに「カカオの木を食べる文化」が発展することを期待しています。
──最良の素材を厳選してこそ最高級のスイーツが作られるというイメージでした。
もちろんそういった考えもあります。ですが、俯瞰で捉えることが大事だと思います。僕は最良の素材を求めて日本全国の生産者さんとお会いしてきました。日本の生産者さんは素材も本当に素晴らしい。こんなにも個性豊かで多彩なフルーツがあるからこそ、僕たちもバラエティ豊かなスイーツを作ることができるのです。
ただし、"最良の素材"の価値観や認識は表現者によって異なります。また、使用用途によって"最良"の判断はまるで違うでしょう。例えば、硬い桃が最良という人もいれば、熟した桃が最良という人もいる。甘くない桃を求める人もいるかもしれません。そして、そのような中で個性のある素材を作っている生産者さんがいます。人それぞれこだわりがある、ということはプライドを持っているということなのだと思います。
カカオ廃材を使ってサステナブルな生態系を構築
2050年までに絶滅の危機にあるというカカオ豆を守るとともに、カカオ農家の貧困問題や環境問題にも寄与する、循環型の新たな「カカオ生態系」を構築
Cacao Farmer
カカオ廃材も食材として販売できれば、貧困に苦しむ農家を支援することになる。枝や葉まで商品として扱うため、農薬を極力使わずに育てるようになる
Change to Food
今まで食べられないと考えられていたカカオの殻、枝や葉といった廃材が食材と見なされるようになり、バリエーション豊富な料理、スイーツが作られるようになる
Eating
カカオの廃材がおいしい料理、スイーツとして食べられることが消費者にも知られて、「カカオの木を食べる文化」へと発展
カカオ廃材を使って
サステナブルな生態系を構築
2050年までに絶滅の危機にあるというカカオ豆を守るとともに、カカオ農家の貧困問題や環境問題にも寄与する、循環型の新たな「カカオ生態系」を構築
SDGsを意識したスイーツ作り
スイーツを盛り付ける器もすべてここにしかないオリジナル。江藤氏自らが描いたスケッチ画をもとに3Dプリンターでデザインされた
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──カカオの廃材使用の他に、現在行っている取り組みがあれば教えてください。
いくつかありますが、最近の自信作は北海道産にこだわって作った「TSURUGA MILK MILK」というアイスクリームです。コロナ禍で行き場を失った生乳をたくさん使いたいと思い、アイスクリームの中にはミルクを煮詰めて作ったミルクジャムを入れ、パッケージにはミルクラフトという牛乳パックの再生紙を使いました。
また、長野の農園で、通常は商品価値がないとされている花粉を採取するための木に自然と実った果実を使ってスイーツを作り、商品化しました。
──世の中では、社会問題の解決やSDGsを意識したスイーツ作りが広まっているのでしょうか。
最近、メディアでも耳にしない日はないぐらいSDGsについて取り上げられていますから、これらの問題に関心を寄せているパティシエが増えてきたように感じます。僕自身も2021年からクリスマスケーキにプラスチックの飾りを使わないことに決めていますし、ケーキのオーナメントなどもプラスチックを使わず、包材はリサイクル紙を使うようにしているお店も出てきました。
──サステナブルな世の中にしていくために、スイーツにできることはなんだと思いますか。
僕が最近興味を持っているのが、フードロスの問題です。コロナ禍ということもあり、果実の市場では毎日たくさんの行き場をなくした果実があると聞きます。市場の視察に行くなどしてこの問題に取り組もうとしていますが、工夫次第でフードロスはもっと削減できるようです。僕はそんな思いをお皿の上で表現できたらいいなと思います。
──最後に、パティシエとして大切にしていること、めざしていることを教えてください。
何より大事なのは、寄り添うことです。それは生産者や素材に対してだけではなく、店のスタッフや身近にいる大切な人に対しても変わりません。全国で出会ってきた生産者さんたちは、皆さんとても真摯に素材と向き合っています。その出会いの中で僕が感じてきたことをしっかりとお客様にお伝えすることが、これからも僕の責務だと自負しています。
取材当日、撮影用のスイーツコースの製作行程を見学させてもらいましたが、新鮮なフルーツに季節の草花をそっと添える様子は盛り付けというよりも絵を描いているようでした。できあがりはアート作品のようで、味覚はもちろん五感の全てで幸せをかみしめるようなスイーツです。残念ながらこの日は江藤さんのスイーツをいただくことができなかったので、取材スタッフたちは後日インターネットで焼き菓子やアイスクリームを購入。そのおいしさを実際に体験して、江藤さんとそのスイーツの大ファンになってしまいました。