※本記事は2021年4月に掲載されたものです
「幸せ」の要素を設計論に組み込んでいく
慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授 |
※黒字= 前野隆司 氏
──もともとロボティクスの研究をされていたとのことですが、どのような研究内容だったのですか。
ロボットと人が接するとき、人はどう感じるか。また、ロボットがAI、つまり知能を搭載したときにどのような「心」を持つことになるか。簡単に言えばそんな研究です。工学と心理学を掛け合わせたような研究ですね。
──ロボット工学と心理学を結びつける研究は一般に行われているのでしょうか。
ロボットの研究はもともと非常に学際的で、工学、心理学、脳神経科学、認知科学、哲学、倫理学といった学問分野が結びついていて、さらに応用分野も多様です。例えば、ロボットの知能をプログラミングする場合は、人間の脳や心の働きを知らなければなりませんよね。ですから、脳神経科学や心理学の知見はロボット研究には必須です。逆にロボットの知能をつくることから人間の脳の仕組みが見えてくることもあります。互いにヒントを与え合えるような研究領域と言っていいと思います。
──そこから幸福学という新しい分野をめざされた理由をお聞かせください。
心の探究を深めていく中で、「幸せ」とは何かをもっと深く知りたいと思ったことが一つ。もう一つは、その「幸せ」の要素を機械工学の設計論に組み込んでいきたいと考えたからです。
工学は社会実装をめざす学問です。例えば、心理学において「感謝できる人は幸せである」という発見があったとします。心理学の役割はそこで完結しますが、工学の研究者は、「感謝できる人が幸せなら、感謝しやすくなる仕組みをつくろう」、あるいは「その考え方を製品やサービスの設計に活かしていこう」と考えます。「幸せ」を設計論に組み込むとはそういうことです。使えば使うほど幸せになる製品、暮らせば暮らすほど幸せになる住宅、働けば働くほど幸せになるオフィス──。それを実現していくのが、僕の幸福学の目標です。そのためには、「幸せ」を定量化し、分解して、設計パラメーターの中に入れやすくしなければなりません。そんな活動にこの12年ほど取り組んできました。
すべての人を幸福にする「幸せの4つの因子」
──幸福学の概要を説明していただけますか。
幸せには長続きしないものと長続きするものがある。それが基本的な考え方です。長続きしない幸せとは、お金、モノ、社会的ポジションなど他人と比較できるものを得ることで実感される幸せです。そのお金やモノのことを「地位財」といいます。地位財を増やすことで獲得された幸せは長くは続きません。
一方、長続きする幸せは「非地位財」を充実させることによって得られるものです。非地位財には、身体、心、社会などが含まれます。それらが良い状態であれば、人は幸せであるということです。身体が良い状態とはすなわち「健康」であり、社会が良い状態とはすなわち「安心・安全」です。では、心が良い状態とは何か。それを分析した結果、4つの因子に整理できることが分かりました。それが「幸せの4つの因子」です。
──どうやって因子を特定したのですか。
統計学のオーソドックスな方法を用いています。幸せに影響する心的要因の研究は世界中で行われています。その研究結果を基にアンケートを作成し、1500人の日本人に対してアンケートを実施しました。その結果をコンピューターで分析すると、傾向が因子として抽出されます。いわゆる多変量解析と呼ばれるもので、ビッグデータの基本的な解析手法です。
──4つの因子の具体的な内容を教えていただけますか。
1つ目は「自己実現と成長に関わる因子」で、私はこれを「やってみよう!因子」と名づけました。目標を持ち主体的にやりがいを持って生きる人は成長し続けることができます。成長すれば自分の強みが明確になり、幸せを感じることができます。端的に言えば、夢を持って生きる人は幸せということです。
2つ目は、「つながりと感謝の因子」です。別名「ありがとう!因子」で、他人に感謝したり、他人への思いやりを持ったりすることができる人は、孤独に陥らず、幸せに生きることができる。それを示す因子です。
3つ目は「前向きと楽観の因子」で、別名「なんとかなる!因子」です。楽観的な人は、悲観的でくよくよしがちな人よりも幸福ということです。
そして4つ目が「独立と自分らしさの因子」です。これは「ありのままに!因子」と呼んでいます。いわば、ゴーイングマイウェーということです。しかし、わがままとありのままは違います。ありのままに個性を発揮しながら、かつ周囲の人から愛される。そんな人が幸せであることを示す因子です。
──その因子を製品やサービスなどに組み込んでいくわけですね。
そうです。幸福学はすでに社会実装の段階に入っていて、ハウスメーカーや食品メーカー、自治体、教育など広範な領域からご相談をいただいています。
──4つの因子をすべて満たしている人は幸せであると考えてよいのでしょうか。
統計の結果としてはそうです。4つの因子を満たしている人ほど幸福で、どれかの因子が足りないと幸福度も下がる傾向があります。難しいのは、4つの因子を満たすことを無理にめざそうとすると、逆に幸福度が下がってしまうことです。「4つの因子が満たされている状態が理想」くらいに考えて、ゆっくり楽しみながらその状態を目標としていくのがいいと思います。
──4つの因子を意識することで、誰もが幸せになれるということですか。
誰でも幸せになれると僕は考えています。4つの因子は、よく考えてみればごく当たり前のことを表現しているにすぎないんです。要するに、やりたいことをやって、仲間がいて、チャレンジ精神があって、自分の軸があるということですから。それがすべてできてなお幸せではないという人は、むしろ珍しいのではないでしょうか(笑)。
──日本人は、遺伝的に「幸せホルモン」が少ないという研究結果もあるそうですね。
セロトニンですね。これは心の安定や安らぎをもたらす脳内物質なのですが、それを伝達する遺伝子のタイプが「セロトニントランスポーターSS型」の人は悲観的で心配性であるとされています。日本人には、この遺伝子を持っている人がかなり多いのです。加えて、文化的にも他人の目を過度に気にする傾向があります。それらが相まって、自己肯定感の低さにつながっています。日本人の自己肯定感の低さは世界でもかなり上位に入っています。
ただし、性格は遺伝子によってすべて決定されるのではなく、生後の経験にも影響されます。また、心配性であるがゆえに細やかなモノづくりやおもてなしができるという強みもあります。心配すること自体は悪いことではありません。問題なのは「心配しすぎること」です。民族的特性を各人がそれぞれの人生の中で調整していくためにも、4つの因子は役に立つと思います。
コロナショック下で二極化した幸福度
──コロナショック下で、幸福な人とそうでない人の差が明確になってきているような気がします。
二極化していると言っていいでしょうね。全般に幸福度が下がっている印象もありますが、私が代表を務めている「みんなで幸せでい続ける経営研究会」が2020年5月に実施した調査では、コロナショック下で幸福度が下がったと答えた人は2割、上がった人は4割でした。コロナショックが新しいことにチャレンジするきっかけになったり、通勤時間が減って家族と過ごす時間が増えたりして、むしろ幸せになったという人が実は多いんですよ。
──幸福度の差は何に起因するとお考えですか。
総じて、新しい方向性を見つけた人は幸福になっています。災厄がじっと去ることをただ待っているだけの人は不幸になっているように思います。その差を生み出しているのは、やはり自己肯定感だと思います。「自分はできる」と思っている人は、能力に関係なく新しいことにどんどんチャレンジすることができます。
──ソーシャルディスタンシングによって、幸福の2つ目の因子にかかわる「つながり」が希薄になっているという事情もありそうです。
そこでも二極化が進んでいると思います。リモートワークやリモート講義には、メリットとデメリットがあります。メリットとして挙げられるのは、どこにいても仕事ができたり、どこからでも授業に出席したりできること、あるいは同時にたくさんの人とコミュニケーションができることなどです。一方デメリットとしては、相手の感情の細かな機微を汲み取るのが難しいことなどが挙げられるでしょう。幸福度が高い人たちは、リモートのメリットを最大限に活かし、新しいコミュニケーションのあり方を楽しんでいるように見えます。それに対し、「オンラインにはデメリットしかない」と考えている人は、人とのつながりを寸断してしまって、幸福度を自ら下げてしまっているような気がします。
──今後、幸福学はどのような役割を果たしていくのでしょうか。
先進国は成長期から成熟期に入っています。それは、経済中心の社会から幸福中心の社会に移行するしていることを意味します。あらゆる産業で「幸せ」を第一の価値として考えなければならない時代になった。そう言ってもいいでしょう。そのような時代に「幸せ」の社会実装をこれまで以上に推進していくことが、今後の幸福学の目標になると考えています。
神奈川・日吉の慶應義塾大学キャンパス近くのスタジオで撮影とインタビューを行いました。著書のプロフィールなどでお顔写真は何度も拝見していましたが、実際にお会いすると予想よりもすらりとした長身で、素敵な声と素晴らしい笑顔とが相まって、幸福学の提唱者ならではの「幸せオーラ」を感じさせてくださいました。幸福学の骨子を理路整然と解説してただき、「幸せ」に対する科学的アプローチとは何かということがすらすらと頭に入ってきました。幸福の達人はまたコミュニケーションの達人でもある。そんなことを実感できた楽しい取材でした。