※本記事は2021年3月に掲載されたものです
飛行機が無事に帰ってくると本当に安心します
航空自衛官 3等空曹/ドルフィンキーパー |
初夏の晴れ渡った東京の空に6本の真っ白な航跡が描かれたのは2020年5月29日のことだった。この日正午すぎに埼玉県の入間基地を飛び立った6機のブルーインパルスは、東京スカイツリー、東京駅、東京タワー、東京都庁などの上空をおよそ20分間飛行し、地上から見上げる人々の目を楽しませた。猛威を振るう新型コロナウイルス感染症に昼夜なく対応する医療従事者らに敬意と感謝を示すこと。それがこの異例の飛行の目的だった。ブルーインパルスが都心の空を飛ぶのは、1964年の東京五輪開会式、2014年の旧国立競技場ファイナルイベントに次いで3回目だった。
青と白にペイントされた6機の飛行機と整備員らが、ブルーインパルスの拠点である宮城県・松島基地から入間基地に到着したのは飛行前日の28日である。輸送機に乗って現地入りした整備員らの中に鈴木里穂3等空曹はいた。ブルーインパルスの整備などを担う「ドルフィンキーパーズ」に属する3人の女性整備員のうちの1人である。
飛行前後に飛行機の機体を点検し、異常の有無のチェック、燃料補給、タイヤ交換などを行う「列線整備員」が彼女の役割の名称である。「列線」とは、飛行前後の飛行機が待機する場所を意味する。整備員の中にはエンジンや計器類を専門で担当する隊員もいるが、彼女は1機の飛行機全体に責任をもつ「機付長」と呼ばれる整備員である。彼女が担当する機体には「R.SUZUKI」という文字がレタリングされている。
こんな飛行機の整備をいつかしてみたいと思っていた
全国の基地で開催される航空祭などでアクロバット飛行を行い、航空自衛隊の活動を国民に広くアピールすることがブルーインパルスのミッションである。その歴史は1960年までさかのぼる。静岡県・浜松基地で結成された「空中機動研究班」を第1期ブルーインパルスとすると、82年に松島基地に拠点を変えて結成された「戦技研究班」が第2期、95年に同じく松島基地で発足した「第4航空団飛行群第11飛行隊」が現在の第3期ということになる。機体も初代の米F-86から、国産のT-2、現在のT-4へと変わっている。
ブルーインパルスは展示飛行に特化した飛行隊だが、イベントがない時でも、松島基地では訓練のための飛行が平日にはほぼ毎日行われている。午前中2回、午後1回。悪天候でなければ1回40分程度の飛行をするのがブルーインパルスチームの日課である。1日3回の飛行に対し、列線整備員は前後計6回の整備を行うことになる。
飛行を終えたパイロットから機体を引き継ぎ、次の飛行までの間に計器担当やエンジン担当の整備員とともに迅速に整備を行う。離陸前にエンジンの調子を確認したり航空機を誘導したりするグランドハンドリングや、その日の訓練を終えた機体を格納庫に格納する際のけん引なども整備員の重要な仕事である。
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迅速かつ確実に整備を行い、絶対に事故を起こさないこと。それが整備員に課せられた使命だ。酷暑の夏にも凍てつく冬にも変わらぬ精度で整備を行わなければならない。体力と精神をともに酷使するタフな仕事である。
鈴木氏が航空関連の仕事に関わりたいと考えるようになったのは、福島県いわき市の高校に通っていた頃だった。特に興味があったのは、飛行機を地上で誘導したり、けん引車で運搬したりするグランドハンドリングと呼ばれる仕事だった。卒業後、埼玉県所沢市にある国際航空専門学校のエアロサポート科に2年間通い、航空機整備やグランドハンドリングの基礎を学んだ。入間基地の航空祭でブルーインパルスの飛行を初めて見たのはその頃のことだ。「いつか、こういう飛行機の整備がしてみたい」──。そんな夢が芽生えた。
専門学校卒業後に民間の航空会社への入社をめざしたが叶わず、航空自衛隊という選択肢があると知人から聞いて入隊の道を選んだ。入隊後は山口県・防府南基地で小銃射撃や匍匐前進など自衛官の基礎訓練を受け、静岡県・浜松基地でさらに整備員としての訓練に従事した。現場への初配属は青森県・三沢基地である。戦闘機部隊に所属し、スクランブル発進などの実任務を初めて体験した。その後、福岡県・築城基地に勤務していた時にブルーインパルスチームに自ら志願し、松島基地に配属された。2020年1月のことである。
ドルフィンキーパーズの一員として関わった初めてのイベントは、3月20日に松島基地で開催された東京五輪の聖火到着式だった。特別輸送機でアテネから運ばれてきた聖火が基地に到着し、地上でセレモニーが行われている間、ブルーインパルス機が5色のカラースモークで大空に5つの輪を描いたのち編隊長を先頭に残りの5機が横一列に並んだ体形(リーダーズ・ベネフィット)で会場上空を通過し、日本中の注目を集めた。
「基地の柵の外にも一般の方々がたくさん集まって、空を見上げていました。ブルーインパルスって、こんなに注目されるんだと思いました」
担当する機体に「R.SUZUKI」の文字がレタリングされているのが見える。「S/SGT」は「staff sergeant=3等空曹」を意味する。一つの機体全体を担当する「機付長」が鈴木氏の役職である。
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鈴木氏はそう話す。しかし、彼女のブルーインパルスデビューの年となった2020年は、いつもの年とは違った。ブルーインパルスが多くの人々の注目を集めて空を舞ったのは、3月の聖火到着式と5月の都心上空飛行の2回のみである。通常ならば全国の基地で毎月のように開催されていた航空祭は、新型コロナウイルスの影響で軒並み中止となった。「航空自衛隊をアピールするという本来の役割が果たせないので、パイロットにも整備員にももどかしさがあったと思います」と鈴木氏は言う。
もっとも、展示飛行であっても訓練飛行であっても、万全の整備を常に行うという整備員の仕事自体に変わりはない。
「自分が整備した飛行機が勢いよく空へ飛んでいって、無事に帰ってきた時にこの仕事のやりがいを感じます。アクロバット飛行を地上から見ているとひやひやして胸がキュッとなることもあります。事故なく戻ってくると本当に安心しますね」
多くの人たちに勇気を与え続けたい
列線整備員の仕事には、機体の整備だけではなく、エンジン起動の指示や離陸準備の支援なども含まれる。10代の頃の彼女が思い描いていたグランドハンドリングの仕事である。整備を終えた機体の前に立ち、手信号でエンジンの回転数を示し、離陸に向けて誘導する。整備員の立ち居振る舞いもまた「展示」の一部である。観客に見られることを前提として身につけた動きは、訓練中にも崩されることはない。
その日の訓練飛行が終われば、飛行機を格納庫にけん引し、所定の場所に整列させなければならない。それもまた整備員の仕事だ。けん引車の扱いがあまり得意ではないと鈴木氏は話すが、その仕事ぶりは堂々たるものである。
上は格納庫の様子。その日の飛行訓練を終えるとここにすべての機体が格納される。パイロットたちは飛行の前に地上スタッフたちに手を振るのが慣例。基地内にある見学スペースにいる見学者たちにも手を振ることを欠かさない
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整備もグランドハンドリングも、彼女が以前からやりたいと願っていた仕事だ。整備は男性の仕事と一般には思われているが、細かな気遣いと目配りができるという点ではむしろ女性向きの仕事であるという意見もある。ブルーインパルスに在籍している女性整備員は、現在鈴木氏を含めて3人いる。一方、女性パイロットはまだいないが、航空自衛隊全体を見れば、女性のパイロットもすでに誕生している。今後、女性の航空自衛官はさらに増えていくだろう。その先頭に立って活躍する1人が鈴木氏だ。
ブルーインパルスの隊員には、一律3年という任期がある。任期が終われば、パイロットも整備員も別部隊に配属されることになる。鈴木氏も2年後にはチームを去らなければならないが、できるなら松島基地に所属する部隊に配属されたいと話す。故郷に近いこと、そして地元の人々との結びつきを失いたくないこと。その2つが松島基地に残りたい理由だ。
2011年の東日本大震災で、故郷いわき市も大きな被害を受けた。しかし、松島基地の被害はそれの数倍する甚大なものだった。基地全体が津波に飲み込まれ、復興まで長い時間を要した。もちろん、松島基地の人々もみな災害の犠牲者だった。
「松島基地に来て、ブルーインパルスが地元の皆さんに支えられているということがよく分かりました。この力を日本全国に届けて、多くの人たちに少しでも勇気を与えられたらと、そう思っています」
1回目の訓練飛行が行われるのは午前8時。整備の仕事はその1時間半前にスタートします。取材陣は7時半に松島基地に到着し、最初の飛行に間に合いました。飛行の前後は整備員が最も忙しい時間で、飛行中に休憩をとることになります。その貴重な休憩時間に鈴木里穂さんに何度か時間をとっていただいてお話をうかがいました。気持ちのいい秋晴れの中、素晴らしい写真をたくさん撮ることもできました。一機の飛行機の全体をチェックする責任の大きな仕事に20代にして従事している鈴木さんですが、気負いも驕りもなく、自分の任務にただただ真剣に向き合っている姿が印象的でした。笑顔がとても素敵な鈴木さん。これからも飛行機の安全と安心を守り続けてください。