※本記事は2020年9月に掲載されたものです
競争戦略の大家はなぜ社会価値に注目したのか
1957年生まれ。東京大学法学部卒業後、三菱商事に入社。90年、ハーバード・ビジネス・スクールでMBA(経営学修士)を取得後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。企業の成長戦略づくりや経営変革支援に取り組む。2010年から一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授。現在は一橋ビジネススクールの客員教授を務める。 |
※黒字= 名和高司 氏
──『CSV経営戦略』をお書きになったのは2015年でした。CSV(Creating Shared Value)とは、「社会共通の価値をつくり出すことが、企業に経済的利益をもたらす」といった考え方ですね。この考え方に出合ったきっかけを教えていただけますか。
CSVという言葉の生みの親であるマイケル・ポーター教授は、私がハーバード・ビジネス・スクールに留学している頃から経営学の重鎮でした。競争戦略の専門家で、競合を蹴落とすための理論を説いていた彼が「社会共通の価値」ということを言い出したのが2011年のことです。これは経営の世界に大変な衝撃を与えました。私も衝撃を受けた1人です。いわば儲け一辺倒の理論家だった彼が、なぜCSVということを言い出したのか。そこに強い興味を持ったのが最初でした。
──なぜ、ポーター教授は社会価値に着目したのでしょうか。
2012年に彼が来日した時、焼き鳥店でお酒を飲みながら直接聞きました。「競争がすべてと言ってきたあなたが社会価値などと言うのはどう考えてもおかしい」と。彼は、ニヤッと笑って言いましたね。「分かっとらんな、高司。それが一番儲かるねん」──。もちろん、関西弁で言ったわけではありませんが(笑)。
つまり、こういうことです。世界には様々な社会問題に直面して困っている人たちがたくさんいる。ということは、そこに需要があるということです。需要があるなら、それに対して価値を供給する仕組みさえつくれば、ビジネスは成立します。もちろんそのためには、テクノロジー、ビジネスモデル、マーケティングのイノベーションが必要です。そのイノベーションに成功すれば、必ず儲かる。それが彼の見立てだったわけです。「なんだ、やっぱり儲け主義か」と思いましたね(笑)。
もちろん企業ですから、儲けを求めるのは当然のことです。ポーター教授はリーマンショック後、「資本主義は限界を迎えている」という多くの主張に対し、資本主義の正しい道を改めて示さなければならないと考えました。そこから生まれたのが、資本主義の力をもって社会の課題を解決するというCSVだったのです。
──一方、「ESG投資」という考え方もこの10年ほどの間によく知られるようになっています。
環境(Environment)、社会(Social)、企業統治(Governance)に力を入れている企業に投資すべきであるという考え方ですよね。これは、一種のリスク対応のコンセプトです。環境をないがしろにし、社会とのつながりを軽んじ、コンプライアンスを徹底していない企業はビジネスに失敗する可能性が高いので、投資のリスクがあるということです。これはあくまで投資家の視点なので、経営者が「ESG経営」と言うのはちょっと違うかな、というのが私の立場です。
SDGsをいかに企業活動に組み込んでいくか
──2015年の国連サミットで「SDGs(持続可能な開発目標)」が採択されました。この目標を企業活動に組み込んでいこうという動きも活発になっていますね。
SDGsで掲げられている17の目標と169のターゲットは、どれも素晴らしいと思います。企業もその達成に参画すべきですが、単に理念だけでSDGsを取り入れようとすると、企業活動を圧迫してしまいます。SDGsに真剣に取り組めば取り組むほどコストがかかるからです。従って、それを事業につなげ、利益を生み出していく視点、つまりCSVの視点がどうしても必要になります。
──SDGsの視点を事業に組み込んでいく方向性のほかに、企業ブランディングに活かしていくという方向性もありそうですね。
それは非常に大切なポイントです。ポーター教授にはブランディングという視点はほとんどありません。しかし、SDGsに真剣に取り組む姿勢を見せることは、いくつかの点でとても大きなブランディング効果をもたらすと考えられます。
まず、社会課題にしっかりと向き合う企業は、顧客から信用され、地域コミュニティからも信頼されます。また、社会に貢献しようという姿勢は従業員の誇りやモチベーションにつながり、結果としてES(従業員満足度)の向上をもたらします。さらに最近では、学生や求職者も、より社会意識の高い企業を選ぶ傾向があります。つまり優れた人材が集まってくるということです。SDGsブランディングは、長期的に見れば、顧客獲得、従業員の生産性向上、人材獲得につながり、結果として企業の価値を高めることになる。そう言っていいと思います。
重要なのは、その「ストーリー」を明確に描くことです。現在の取り組みが、将来の企業価値向上にどのようにつながっていくのか。その道筋は必ずしも直線的なものではないし、因果関係も単純ではないでしょう。しかし、そのストーリーを上手に描くことができれば、社内外の多様なステークホルダーと成長のイメージを共有できるはずです。
──最近、「新SDGs」という考え方を提唱されていますね。
SDGsを事業モデルに組み込んでいくための具体的な方法が「新SDGs」で、これに取り組むことによって資本主義は「志本主義」へとシフトしていく。それが、私が最近提唱している考え方です。
SDGsは「Sustainable Development Goals」の略ですが、私が提唱している「新SDGs」は、「Sustainability」「Digital」「Globals」の頭文字を取ったものです。S、つまり国連のSDGsを前提としながら、D、すなわちデジタルをツールとして上手に活用することで、SDGsの事業化が可能になるという見方です。Gはグローバルな視野をもって事業拡大をめざしていくということですが、「グローバルズ」と複数形になっているのは、世界が多極化していることを含意しています。従来のグローバリズムの根底には、世界がボーダーレスになっていくという考え方があります。しかし現実を見れば、世界中には多種多様な国があり、いろいろな文化があり、いろいろな宗教があります。世界はむしろ「ボーダーフル」になっているわけです。従って、企業のグローバル戦略も多角的でなければなりません。それが「グローバルズ」に込めた考え方であり、新SDGsに「s」がついている意味でもあります。
「志本主義」というのは、その3つの要素の中心にその企業独自の「志」がなければならないということです。その志が企業活動を推進させる。それが志本主義です。
──その志はSDGsとリンクさせるべきものなのでしょうか。
重要なのは、志が自分たちのオリジナルであることです。それがたまたまSDGsの目標と一致することもあるし、全く別ものになることもあるでしょう。私は「規定演技」と「自由演技」という言葉でよく説明しています。SDGsの17の目標に基づいて活動しようとするのが「規定演技」、18番目の独自の目標を掲げて活動するのが「自由演技」です。私は、企業は自由演技をめざすべきだと考えています。用意された17枚のカードで勝負するのではなく、18枚目のカードを切りましょうということです。
「志」を定義するための3つのキーワード
──新型コロナウイルスの影響によって今後が見通せない企業も増えています。この危機を企業はどう乗り切っていけばいいのでしょうか。
私は、3つの時間軸で物事を捉えることが必要であると考えています。すなわち、超短期、中期、超長期です。これまで、日本企業の多くは、中期経営計画に代表されるように、3年あるいは5年くらいの中期的な見通しを重視してきました。しかし、このコロナショック下にあっては、3年後、5年後を正確に見通すことは誰にもできないと思います。重要なのは、今をどう生き延びるかという超短期の視点と、2050年くらいまでの未来を見据えた超長期の視点です。まずは現状を乗り切ることに注力しながら、30年くらいのスパンで、社会、経済、人々の生活のニューノーマルがどのような形になっていくかを見極め、そこに向けて会社の新しい形をつくり上げていく。そのような構えが必要だと思います。
──志の重要性もさらに増していきそうですね。
そう思います。今までそんなことを考えたこともないという経営者もいらっしゃるかもしれません。そんな経営者には、3つのキーワードで志を定義することを私はお勧めしています。「ワクワク」「ならでは」「できる」です。
まず志は、経営者も従業員も「それ、いいね!」と思えるものでなければなりません。そして、誰かのまねではなく、自分たちだけのものでなければなりません。しかし、それが夢物語であっては意味がありません。実現可能であることが大切です。
みんながワクワクできて、オリジナリティのある志があれば、それを実現しようというモチベーションは自然と生まれるでしょう。ですから、より大事なのは最初の2つのキーワードといえますね。
──今後、世界全体の人口は増加していき、それに伴って地球規模の様々な問題が顕在化していくとみられています。CSV、SDGs、あるいは志などは、これからの企業活動に必須の要素かもしれませんね。
間違いなくそう言えると思います。企業活動を通じて、社会価値と経済価値をともに実現させていく具体的な方法を、世界中の経営者の皆さんとともに模索していきたい。そう考えています。
名和先生のオフィスのある東京・港区でインタビューと撮影をさせていただきました。商社マンとして10年弱、コンサルタントとして20年働いたご経験があることもあって、話がとてもわかりやすく、面白く、かつこちらの質問の意図を漏らさず汲み取ってくださる気配りに感銘を受けました。何より素晴らしかったのは、たいへんに腰が低く応対が丁寧でいらっしゃることでした。一流の人物ほど謙虚である──。その法則をあらためて確認させていただいた取材でした。現在、次のご著書を準備していらっしゃるとのこと。出版を楽しみにしております。