※本記事は2020年8月に掲載されたものです
次世代のために自分の命を捧げる
国立大学法人 静岡大学 農学部附属地域フィールド科学教育研究センター 教授 |
──雑草研究が専門だそうですね。
大学院から雑草の研究に取り組んでいます。雑草は比較的メジャーな研究分野で、主に防除を目的とした研究が多いのですが、他にも砂漠の緑地化や環境浄化に雑草を利用する研究も進んでいます。
──2019年に出版されて話題となった『生き物の死にざま』では、植物ではなく虫や魚、動物を取り上げています。
子どもの頃から好きだったのは、動物と虫でした。現在の研究対象は植物ですが、「命」という点では、植物と動物に差はないと考えています。生き物の長い歴史の中でたくさんの生命が生まれ、生きてきたということは、それと同じ数だけの死もあったということです。生物多様性の世界には命とともに死が溢れていて、死は特別なことではない。そんなことに気づいて、あの本を2週間くらいで一気に書いてしまいました。
──生き物の生と死にまつわる事実を淡々と書いている点が多くの読者の胸を打っているように思います。
虫や魚は人間からすればつまらない存在かもしれませんが、与えられた命をしっかり生ききるという点では、虫や魚の方が人間よりも立派なのではないか。そんな思いがありました。読み手を感動させたいとか、お説教をしたいという考えはみじんもなくて、生きて死ぬことの本質をただシンプルに書きたいと考えました。
──30種類くらいの生き物を取り上げています。反響が一番大きかったのはどの生き物ですか。
ハサミムシとタコでしょうか。どちらも母親の話です。
──ハサミムシの母親は卵を守った末に、ふ化した子どもに食べられてしまう。タコも卵を外敵から守って、子どもが生まれると間もなく死んでしまう──。そんな話ですね。
もっとも、僕自身の最初の執筆の動機はセミでした。夏の終わりになるとセミがあちこちにひっくり返っていますよね。死んでいるわけではなくて、つつくと動いたりします。でも、もう飛ぶこともできないし、歩くこともできない。ただ死ぬのを待っている状態です。精いっぱい生きて、じたばたせずに淡々と死を迎える。その潔さのようなものを書きたかったんです。
──「死ぬ」という事実だけでなく、親という存在の本質が表現されていると感じられます。
次の世代のために、未来のために自分の命を捧げる。それがすべての生き物の基本的な生き方です。だから、父親も母親も子どものために生き、子どものために死んでいくわけです。書き終えてみて、それが命の本質であることを改めて感じました。子どもたちを犠牲にしたり、未来を犠牲にしたりすることは生き物の世界ではあり得ないんですよね。
オンリーワンの方法でナンバーワンになる
──生死のメカニズムはすべての生物に共通していても、生存戦略は種によって異なりますよね。戦略の違いが生まれるのはなぜなのですか。
生物の世界では、ナンバーワンでなければ生き残れません。ナンバーツーは淘汰されて滅びてしまう。それが生物界の鉄則です。しかし、だとすると最終的に最も強い種だけが地球上に生き残ることになるはずですが、自然界はそうなってはいません。たくさんの生物で溢れています。なぜか。ナンバーワンになる方法がたくさんあるからです。
現在の自然界にいる生物は、ナンバーワンになれる戦略を選んで、特定の場所でナンバーワンになった存在です。ナンバーワンになる方法は生物の数だけある。「ナンバーワンになる方法」はすべてオンリーワンということです。逆にいえば、他の生物の戦略を模倣しては生き残れないということです。オンリーワンの戦略によってナンバーワンになった場所。それが「ニッチ」です。
──ビジネスでも「ニッチ戦略」という言葉がしばしば使われます。
ビジネスでは「隙間」という意味で使われていますが、ニッチとは本来「生態的地位」を意味する言葉です。すべての生物がその種だけのニッチを持っています。ただし、ニッチは安定的なものではありません。そのニッチに挑んでくる他の生物がいるからです。そこで生存をかけた争いが起きてしまう場合、生物は周辺で新たにナンバーワンになれるところを探します。それが「ニッチシフト」です。私はそれを「ずらし戦略」と呼んでいます。ニッチシフトは絶えず起こるので、生態系は長い目で見ればダイナミックな変化を続けていることになります。
──生物は同じニッチで競い合うことをしないのですね。
生物にとって最大のリスクは競争することです。競争して破れてしまったら、地球上に存在できなくなってしまうからです。だから、正しい戦略は「競争しない」ことです。しかし、有限な空間の中で争いから逃げ続けることはできません。どこかで勝負しなければならない局面は必ずあります。その場合は、絶対に勝てる場所で、絶対に勝てる方法で勝負しなければなりません。それがオンリーワンの戦略ということです。
──「生き残るのは強い種ではなく、変化できる種である」というダーウィンの言葉があります。ニッチシフトも、そのような変化の一つといえそうですね。
他の生物との関係の変化や環境の変化は予測不能です。そこに柔軟に対応できる種が生き延びるということです。植物界で変化への対応力を最も発達させているのが、実は雑草です。人に踏まれたり、耕されたり、除草剤をまかれたりするところで生きる力を雑草は備えています。雑草が苦手なのはむしろ安定した環境です。安定した環境には必ずライバルが入り込んでくるからです。先行きの予測が難しい現代において、雑草の生存戦略は大いに参考になるのではないでしょうか。
「死」によって生命は永遠になった
──動物にも植物にも、短命の種と長命の種がありますよね。寿命の違いはなぜ生まれるのでしょうか。
大きな樹木に育つ植物は、場合によっては1000年くらい生きます。一方、雑草の多くは長くても1年くらいで枯れてしまいます。
生物は長生きしたいと考えているはずなのに、どうして短い命に進化しているのでしょうか。これは考えてみれば当たり前のことで、次の世代にどんどん命のバトンを渡していった方が、種全体としては長く生きられるからです。42.195kmを走ってから次の走者にバトンを渡そうとすると、走っている過程で事故に遭ったり病気になったりしてしまうかもしれません。それに対して、走る距離が50mであれば、全力で走って確実に次走者にバトンを渡せます。確実に命のバトンを渡すには、一人が長生きするよりも、次々にバトンを渡していった方がいいんです。その方が命は着実につながっていきます。
これが、生物界に「死」という現象が生じた理由でもあります。原初的な生命体である単細胞生物は死にません。ひたすら分裂を繰り返すだけです。しかし、外部からの妨害などによって分裂が途絶えれば、命の流れは途絶えてしまいます。それよりも、子孫を確実に残すことに全力をかけて、新しい命が生まれたら古い存在は消えていく。そのシステムの方が、命のリレーは確実に続いていきます。いわば、「死」によって生命のリレーは永遠のものになったということです。
──「人生100年時代」といわれるようになっています。長寿社会において、私たちは動物や植物の生きざまをどう参考にしていけばいいと思われますか。
他の生物と比較した時、人間の特徴の一つは想像力を際だって発達させたことだと私は考えています。ただし一方で、先を読む力を得たことによって、自分が死ぬことまで想像できるようになりました。そして、死への恐怖が芽生え、死を思う苦しみが生まれてしまったのです。しかし、死は生物にとって当たり前のことです。私は、その想像力を、自分の死ではなく、次の世代や未来を考えることに使うのがいいと思っています。残された人生を次の世代や未来のためにどう使うか。そんなことを考えるのが長生きした人の役割ではないでしょうか。
──企業もまた持続をめざす一種の生命体です。企業が長く活動を続けていくための視点を最後に教えていただけますか。
雑草には「踏まれても踏まれても立ち上がる」というイメージがありますが、それは誤りです。踏まれた雑草は立ち上がりません。踏みつぶされたままで種を残すのです。立ち上がるのは余計な労力であり、その力があるなら種を残すのに使った方がいい。それが雑草の戦略です。「種を残す」という目的がある。それが明確なら、踏まれたら踏まれたままでいいし、どの方向に伸びていったっていいんです。
つまり、目的やゴールさえ見失わなければ、自由自在に変化できるということです。多くの老舗企業が生き残ることができたのは、絶対に守るべきものを明確にし、それ以外は環境の変化に合わせて柔軟に変えていったからではないでしょうか。
状況は常に変化していくので、戦略に正解はありません。変えてはならない絶対的な目的さえ明らかであれば、どのような戦略を選択することも可能である。そんなふうに私は思います。
大学院卒業後、農林水産省での2年間の国家公務員生活を経て、故郷静岡に帰ってきたという稲垣栄洋先生。現在は静岡大学で研究と教育に打ち込んでいらっしゃいます。JR静岡駅からバスで25分ほどの同大学静岡キャンパスでインタビューと撮影をさせていただきました。生物の生存戦略は企業活動に通じるところも多く、最近は、ビジネスパーソンや経営者向けのセミナーでお話をする機会も増えているとのこと。ビジネスへのヒントが本当に盛りだくさんのインタビューでした。『生き物の死にざま』も素晴らしい本です。ぜひ多くの皆さんに手に取っていただきたいと思います。