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パルクール選手

泉 ひかり

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街角や公園の障害物を華麗な動きで乗り越え、ビルからビルへと飛び移る──。そんなパルクールの映像を見たことがある人は少なくないだろう。自分の体の動きをイメージし、動きを創造していくのがパルクールの本質なのだと泉ひかり氏は話す。日本ではまだ少ない女性パルクール選手として活躍する泉氏に、自身の活動とパルクールの魅力について聞いた。

※本記事は2020年3月に掲載されたものです

風のように走り抜けていく感じが好き

泉ひかり(いずみ・ひかり)プロフィール

パルクール選手
1995年大阪府生まれ。テレビCMでパルクールに出合い、講習会に参加。18年4月に広島で開催された「FIGパルクールワールドカップ」のスピードラン競技で2位に入賞。19年には同中国大会、広島大会で優勝を果たしている。テレビCMやミュージックビデオなどへの出演多数。

公園で遊ぶのが好きな子どもだった。高校生でパルクールの講習会に初めて参加した時、その子どもの頃の感覚がよみがえったという。
「遊びのように楽しく練習ができることがこのスポーツの一番の魅力。そう感じました」
パルクール選手の泉ひかり氏は、パルクールを始めた8年前をそう振り返る。
フランス軍の軍事訓練から発展したといわれるパルクールは、走る、跳ぶ、登る、回転するといった運動によって障害物をスピーディーに越えていくスポーツである。パフォーマンス性が高いこともあって、動画がインターネットで拡散し、この数年競技人口が世界中で増えている。
障害物のあるコースを走り抜ける「スピードラン」。技の完成度や流れ、動きの創造性などを点数で競う「フリースタイル」。その2つがパルクールの主な種目で、他に基本動作の速さや高さを競う「スキル」、対戦者に触れる時間を競う「タグ」がある。

相手に勝つことを目的としないスポーツ

相手に勝つことを目的としないスポーツ

泉氏がパルクールを知ったのは17歳の時だった。どれだけ激しく動き回ってもメガネが落ちないという趣向のテレビCMが最初の出合いだった。

「初めに見た時は、ワイヤーアクションかCGだと思ったんです。でも、実は生身の人間の動きだと後から知って、一気に興味が湧きました」

もともと体を動かすことが好きで、中学時代はスタントウーマンをめざしてアクロバットの教室に通っていた。

「スタントウーマンになることを諦めたのは、演技をしなければならないと言われたからです。人前で演技をしたり、写真を撮られたりすることが苦手だったんです」

スポーツも好きだった。ソフトボール、卓球、空手、硬式テニス、水泳。しかし、どれも長続きはしなかった。

「普通のスポーツって、"この動作ができないと次のステップに進めない"ということが多いじゃないですか。自分がやりたいことを自由にできないのが嫌だったんですよね」

長続きしなかったもう一つの理由は、「誰かに勝つために練習する」というスポーツの根本にある決まりごとになじめなかったからだ。人と争うのではない。勝つことを目的としない──。彼女が初めて出合ったそんなスポーツがパルクールだった。
パルクールには特定の「型」があるわけではない。跳び方、受け身の取り方、壁の登り方など、基礎的な動作を練習した後は、誰もが自由に動き回ることができる。

「もちろんパルクールも競技で勝敗がつくのですが、勝ち負けよりも、"このコースをどう走り抜けようか"とか、"この障害物をどういう技で越えようか"と考えるところに本質があると私は考えています。誰かと戦うのではなく、自分がやりたいことを実現するために練習したり工夫したりする。それがパルクールの醍醐味だと思います」

パルクール選手 泉ひかり

パルクールを始めて2年ほどたった頃に大手清涼飲料水メーカーの長尺CM「忍者女子高生」に出演し、大きな話題を呼んだ。人の目にさらされることの苦手意識を克服できたのは、その経験によってだった。その後、米ロサンゼルスのカレッジに2年間留学し、映像制作を学んだ。
「海外に行こうと思った目的は、いろいろな国のパルクールカルチャーを知りたかったことと、英語を身につけたかったこと。その2つの理由からでした。映像制作の学科を選んだのは、パルクールが映像によって広まったスポーツだからです」

パルクールに打ち込む人は、選手であってもそうでなくても、皆「トレーサー」と呼ばれる。トレーサーの多くは、自分の動きを撮影し編集して、一種の作品にして公開している。映像制作のノウハウがあれば、そのような作品づくりに活かすことができる。そう泉氏は考えたという。
世界の映像ビジネスの中心地であるハリウッドのお膝元であるロスの大学で、スタジオ撮影、ロケ撮影、編集、予算の組み方などを2年間学んだ。パルクールの大会に初めて出場したのは、その留学中である。

「21歳の時にスウェーデンで開催された大会に出ました。試合というよりもイベントのような雰囲気で、何よりも世界中のトレーサーに会えるのが楽しみでした。アリーナのような会場で、客席にお客さんもたくさんいるのですが、特に気負いはなかったですね」

「成績を意識はしていなかった」というその大会で4位となり、彼女のパルクール人生に拍車がかかった。翌年のスウェーデン大会、ワールドカップ、アジアカップ、オーストラリア大会と次々に大舞台に挑戦した。スピードラン競技でこれまで2度の優勝を果たしている。

「大会に出るたびに、新しいセットに出合って技の新しい組み合わせ方を考えたり、他の出場者の動きを見て"こんなやり方があるんだ"と気づいたりしています。出場するごとにどんどんモチベーションが上がっていくことを感じています」

それぞれの大会でどんなセットが設営されるかは、会場に到着するまで分からない。セットを見て、その場でオリジナルのコースを組み立てていく。まず、自分が使いたいと思ういくつかの技をコースの各ポイントに当てはめて、その間をどのような動きでつなぐかを考える。それが彼女の方法だ。

「競技相手と戦っているように見えても、私が向かい合っているのはいつも自分自身です。どこでどのような技を使えば早くゴールまで着けるか。よりスムーズに動くにはどうすればいいか──。会場ではそんなことばかりを考えています。他の選手の技を見て"すごいなあ"と思うことはありますが、それに対抗しようとは思いません」

パルクールの動画を見ると、跳躍や回転など派手な動きを組み合わせて見る人を魅了するトレーサーが少なくない。その中にあって、派手さを求めるのではなく、止まらずに、滑らかにコースを走るのが自分のスタイルであると泉氏は言う。

「いろいろな障害物を滑らかに越えて、風のように走り抜けていく感じ。それが一番好きなんです」

おばあちゃんになっても動き続けていたい

おばあちゃんになっても動き続けていたい

ビルからビルに飛び移ったり、高層ビルの屋上で逆立ちをしたりする。そんな「危険さ」こそがパルクールの醍醐味であると考える人も多い。しかし、スリルを求めることがパルクールの本質ではないと泉氏は話す。

「自分の体を上手にコントロールして、自分がイメージする動きを実現することがパルクールにとって一番大切なことだと私は考えています。トレーサーの中には危険に挑む人もいますが、その人たちは皆自分の体の動かし方や、失敗した時にどのように対処すればいいかをすべて緻密に考えた上でやっているんです」

同じように、パルクールはけがが多いスポーツというイメージがあるが、それも事実ではない。泉氏がこれまで大きなけがをしたのは1度だけだ。競技中に脛をレールにぶつけ、皮膚を切って5針縫った。それでも、次の日の競技には普通に出場したという。

「自分の体の動きをしっかり把握していれば、そうそうけがをすることはありません」

最近、公園から遊具が撤去されるケースが増えている。子どものけがを防ぐためだ。しかし、遊具で遊ぶ経験を子どもから奪うことは、体の適切な動かし方を学ぶ機会を奪うことだと泉氏は言う。

「子どもの頃に体の使い方を身につけないと、むしろけがをするリスクは高まります。外で遊べる環境が少なくなっている中で、子どもが体の動かし方を知るのにパルクールはとても適したスポーツだと思うんです」

今の目標は、パルクールの魅力を広め、まだ少ない女性トレーサーを増やしていくことだ。さらにその先の目標もある。

「一番の目標は、おばあちゃんになってもパルクールを続けていることです。年を取ったからといって引退したりしないで、いくつになっても体を動かすことができると世の中に伝えたい。そう思っています」

パルクール選手 泉ひかり「風のように走り抜ける――それがパルクールの魅力」
〈取材後記〉

東京・江戸川区にあるパルクールの練習スタジオ「ミッションパルクールパーク東京」にお邪魔してインタビューと撮影を行いました。撮影では、町工場を改装したというスタジオ内を小さな体で動き回る泉さんの躍動感を捉えることを目指しました。インタビューで泉さんは、自身のこれまでの歩みやパルクールの魅力について淀みなく語ってくださいました。「クレバーな女性」というのが話を伺っての一番の印象です。まだ25歳とのことですが、誠実に、正確に自分の考えを述べる姿には大人の女性の落ち着いた雰囲気が漂っていました。けがに気をつけて、これからもパルクールの魅力を多くの人に伝えていってください。

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