※本記事は2019年11月に掲載されたものです
人生を変えたのは、一本のワインだった。
プレミアムワイン株式会社 代表取締役。 |
1990年代の半ば。渡辺順子氏は20代の頃から憧れていたニューヨークでの生活を楽しんでいた。米国でナイキのシューズを購入して日本に送る一種のバイヤーのような仕事をしていた渡辺氏は、ある時、米国最大のワイン産地であるカリフォルニアのナパで開催されたパーティーに招待された。
「友だちの友だちの誕生パーティーでした。そこでナパのぶどう畑の風景とワインのおいしさを体験して、ワインの魅力のとりこになってしまったんです」
ワインとの出合いを渡辺氏はそう振り返る。ニューヨークに戻ってすぐにソムリエスクールに通い始め、ワインオークションにも足を運んだ。富裕層が集い、ドン・ペリニヨンとキャビアが振る舞われるそのオークションで出合ったのが、フランス、ボルドーの名ワイン「ペトリュス」の90年ヴィンテージだった。ブルゴーニュのロマネ・コンティなどと並んで世界で最も高値で取引される銘柄として知られるが、この頃は価格はそこまで高騰していなかったという。
「私でも手が出せる値段だったので、そのワインを買って、家に帰って飲んだんです。驚きましたね。これほどに素晴らしい飲み物があるんだって」
渡辺順子氏
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本場フランスでワインを学びたいと考えるようになった渡辺氏は、株を売った資金を元手にフランスに渡り、半年の間、パリとボルドーのワインスクールでワインを学んだ。米国に帰る段になって次のキャリアのターゲットに定めたのが、彼女をワインの世界にいざなったオークションの世界だった。
入社したいと考えたのはサザビーズとともに世界で最も有名なオークションハウスの一つ、クリスティーズである。しかし、250年を超える歴史を誇る名門の扉は簡単には開かなかった。幾度となく書類やメールを送って採用を希望する旨を伝えたが、全くの梨のつぶて。知り合いのコネクションをたどって、ようやくワイン部門の責任者にアプローチすることができた。ワイン取引の世界でその名を知らぬ人はいないマイケル・ブロードベント氏だった。週2回のインターンとしてクリスティーズに居場所を確保することができたのは、彼の導きがあったからである。
当初の日給はわずか6ドル。それでも渡辺氏は、上司からたしなめられるほどに必死に働いた。夢に見ていた世界で仕事ができることが楽しくて仕方がなかったからだ。努力する者には運が味方をするということなのだろう。まもなく正社員に欠員が出て、晴れてクリスティーズの正式スタッフの座を得ることになった。クリスティーズのワイン部門の社員はワインスペシャリストと呼ばれる。その職に日本人が就いたのは、クリスティーズの長い歴史の中で初めてのことだった。
ロマネ・コンティを一番飲んだ日本人
ワインスペシャリストの仕事は、オークションに出品されるワインの価値を決めることである。
「出品されるワインの銘柄、ヴィンテージ、状態などを見て、基準となる価格を決めるのがワインスペシャリストの役割です。ワインセラーに行って大量のワインを一本一本チェックしていく地味で体力勝負の仕事でした」
テイスティングをして、保存状態を確認することもワインスペシャリストの役目だ。10年近いその仕事の中で口にしたワインは膨大な数に上るという。「日本人でロマネ・コンティを一番飲んでいるのは私だと思います」と笑う。
地道な努力はオークションの華やかな場で報われることになる。自分が値踏みしたワインに多くの入札が集まり、当初の価格から3倍、4倍の値で落札される。それがオークショニア(競売人)の醍醐味だと渡辺氏は言う。
「単においしいというだけでなく、価値が数字として明確に表れる。それがワインオークションの面白さです」
毎日がとても充実していたというその仕事を辞めて活動の場を日本に移したのは、「日本にワイン文化を伝えていく」という新たな目標が見えたからだ。きっかけは、2007年頃に韓国で起こった高級ワインブームだった。個人のワイン愛好家が当たり前のようにオークションでワインを競り落とすのを見て、日本でも多くの人が適正な価格でワインを手に入れられるようになってほしい、そしてワインの素晴らしさをもっと多くの日本人に知ってほしいと考えるようになった。
「ワインの文化は日本人の生活やビジネスの中にもっと根づいていいはず。そう思いました」
「歴史」を軸にワインを理解する
ワインは世界最強のビジネスツール──。渡辺氏はそう言う。人と人の間には、社会的地位の差があり、出自、年齢、性別、思想などの違いがある。そのような隔たりを乗り越えて親しい関係になることは容易ではないが、そこにワインがあれば、誰もがつながり合うことができる。そんな場面を欧米で彼女は何度となく経験してきた。
「ワインは世界中の人が飲んでいる飲み物だし、特にビジネス界にはたくさんのワイン愛好家がいます。ワインが共通の話題となり、それを一緒に味わうことで、見知らぬ人同士の距離が一気に縮まるんです。ワインは単なる飲みものではなく、人と人を結ぶ"道具"であり、"情報"であり、時に"通貨"にもなります。そんな存在が他にあるでしょうか」
日本に帰国してプレミアムワイン株式会社を設立したのは2010年のことだ。以後、ワインオークションの情報を提供したり、数多くのセミナーを開催したりしながら、ワインの伝道師としての活動を続けている。
日本では80年代以降、何度かワインブームがあったが、現在でも「ビジネスツールとしてのワイン」という考え方が根づいているとは言い難い。これまでワインにそれほど親しんでこなかったビジネスパーソンがワインの世界に足を踏み入れていくにはどうすればいいのだろうか。
「いろいろなやり方があると思いますが、"歴史"を軸にして理解していくのが一つの方法だと思います」
ワインづくりは文明の発達とともに世界各地に広がっていった。ぶどう栽培を一気に拡大し、ワインづくりに拍車をかけたのはローマ帝国である。さらにキリスト教においてワインが「キリストの血」とされるに至って、ワインは聖なる飲み物として欧州中に広まっていくことになった。もちろん、それぞれの産地やつくり手にも独自の歴史がある。それらの多彩なストーリーとともに味わうことでワインの世界はいっそう豊かになっていくと渡辺氏は話す。
「このような歴史を知っておくことは、海外のエグゼクティブクラスの方々とのビジネスにおいても必ず役に立つはずです」
ワインづくりの長い歴史を持つフランス、イタリア、ドイツ、スペインなどの国は、ぶどう栽培や醸造に関する細かなルールを決め、ワインの品質を守り続けてきた。わが国でも2018年になってそのようなルールが施行され、「日本産ワイン」のブランド管理がようやく行われるようになった。
「日本は雨が多く、夏には台風が来るので、気候的にワインづくりに適しているとはいえません。味わいも、海外のワインと比べると力強さに欠けると指摘されます。それでも、丁寧につくられた日本の繊細なワインは、和食の好きな外国人にはきっと気に入ってもらえるはずです」
これからの目標は、日本を含む銘醸地以外のワインのおいしさを広め、ワインの裾野を広げていくことだ。
「高級ワインを飲むことだけがワインの楽しみではありません。手頃な価格のワインにもおいしいものがたくさんあるんです。日常的に楽しめるワインを紹介して、ワインの素晴らしさを一人でも多くの人に伝えていきたい。そんなふうに思っています」
渡辺さんの著書『教養としてのワイン』(ダイヤモンド社)はとてもわかりやすく、これまでワインに親しんでこなかった人にもワインの歴史や魅力が理解できる本当に面白い本です。この日の取材では、この本ではあまり触れられていない渡辺さんのこれまでの歩みやワインとの出合いについて詳しくお聞きすることができました。撮影では「日本産ワインを応援したい」と国内最古のワイナリーである「まるき葡萄酒」のワインをセレクトした渡辺さん。「ワインの美しき伝道師」として、これからもワインの魅力を広めていってください。