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コネクテックジャパン株式会社 代表取締役 CEO

平田 勝則

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40代半ばにして大手メーカーを退職し、たった3人で半導体受託生産ベンチャーを立ち上げた平田勝則氏。かつて日本の産業を牽引した半導体ビジネスを復活させるために戦ってきた彼が見据える日本のものづくりの未来とは──。テレビドラマ『下町ロケット』(TBS系)が描く技術者魂を体現する平田氏が、自らの哲学を語る。

※本記事は2019年5月に掲載されたものです

IoTが半導体市場を大きく成長させる

平田勝則(ひらた・かつのり)プロフィール

1964年新潟県生まれ。高校卒業後に大学進学をめざすも、家庭の事情により医薬品販売会社に就職。その後、松下電子工業に入社し、半導体生産ラインの責任者となる。2009年の自主退社後、2人の元同僚とともにコネクテックジャパンを創設。従来の半導体製造の常識を覆す低温低圧の実装技術の開発に成功する。2015年にテレビ放映され大ヒットとなったドラマ『下町ロケット』(TBS系)への技術協力も行った。

※黒字= 平田勝則 氏

──1990年代初頭に世界の半分ほどを占めていた日本製半導体のシェアは、近年では1割に満たなくなっています。日本の半導体製造は斜陽産業であると見ている人も少なくありません。

その原因は、日本の産業界が半導体に対する見通しを失っていることにあると思います。日本には60年を超える半導体の歴史があります。自動車産業のように米国を手本とした歴史ではありません。全く独自に積み重ねた歴史です。しかし、大手メーカー各社でその歴史を築いてきた有能な技術者たちが、ある時期に一斉に定年で辞めてしまった。そこから各社の半導体部門縮小の流れが始まりました。その流れが現在に至るまで続いています。

しかし、世界の半導体市場は今なお成長領域であり続けています。成長率はこの20年間一度も下がっていません。成長をコンスタントに続けている産業分野が他にありますか? しかし、日本の産業界にはその成長領域に挑んでいくビジョンがない。非常に残念なことだと思います。

透明フィルムに実装したICチップ。熱や圧力に弱い素材にも半導体を実装できるのがコネクテックジャパンの技術だ
透明フィルムに実装したICチップ。熱や圧力に弱い素材にも半導体を実装できるのがコネクテックジャパンの技術だ

──今後も半導体市場の成長は続きそうですか。

むしろ加速するでしょう。世界のIoT市場は2025年に数百兆円規模になると予測されています。人間を取り巻くあらゆるモノからデータを取得し、それを集約しビッグデータ化してディープラーニングによって価値に変えていく──。それがIoTの構造です。その構造をつくり出すために必要なのは大量のセンサーであり、モノに装着するICチップです。そのすべてに半導体が搭載されます。僕は、数百兆円のIoT市場の6割を半導体が占めると試算しています。IoTがもたらす経済ビッグバンによって、半導体市場はものすごい速さで成長する。これは間違いありません。

未来に必要とされる技術を一から作り出す

回転寿司店のシャリを握るロボット技術を転用して開発したデスクトップファクトリー。他分野の技術の応用がブレークスルーを生んだ
回転寿司店のシャリを握るロボット技術を転用して開発したデスクトップファクトリー。他分野の技術の応用がブレークスルーを生んだ

──半導体の世界で働き始めた経緯をお聞かせいただけますか。

もともとは医薬品のバイヤーをやっていたのですが、仕事で海外を飛び回りたいという夢をかなえるために商社への転職をめざしました。しかしそれはかなわず、次にめざしたのが半導体の世界でした。グローバルビジネスである半導体事業に関わることで夢に近づけると考えたからです。

23歳で大手半導体メーカーに入社して、30歳で工場長代理を任せられるまでになりました。ものづくりをやりながら新規事業を企画できる仕事で、パリ、ニューヨーク、ボストン、シリコンバレーと、世界のいろいろな都市に行かせてもらえました。

──早々に夢をかなえたわけですね。

ええ。40代に入ると数千億円規模の事業を任される立場になりましたが、2008年のリーマンショックによる業績悪化後に半導体部門が大幅に縮小されて、自ら会社を辞めることにしました。

左が従来の技術、右がコネクテックジャパンの技術で実装したもの。左は熱でフィルムが湾曲してしまっていることが分かる
左が従来の技術、右がコネクテックジャパンの技術で実装したもの。左は熱でフィルムが湾曲してしまっていることが分かる

──半導体に見切りをつけたのですか。

逆です。半導体の未来を見極め、自分の力で新しい事業を始めようと思ったのです。退職後、世界中の800社を超える企業を見て回り、数多くの経営者や技術者と話をしました。それによって、今でいうIoTが世界規模で広がるという未来が見えてきました。

僕には演繹(えんえき)法、つまり「こういう技術があるから、それをビジネスにする」という発想はありません。必要なのは「未来の世界はこうなっているから、そこで求められる技術を開発していく」という帰納法の発想です。新しい技術は世に出すまでに3年から5年はかかります。10年先、20年先からバックキャストして考えなければ、未来に通用する新しい技術を生み出すことはできないんです。

──ということは、創業時点ではまだ独自の技術はなかったのですか。

そういうことです。しかし、戦う領域は決まっていました。ICチップを基板に装着する「実装」です。半導体製造において実装はいわば日本のお家芸です。そこに大きな可能性があると考えました。

半導体の実装技術は60年以上前に生み出されたものです。端子を高熱で溶かし、高圧力で基板に装着する。それが基本的な方法で、260℃以上の熱と500ニュートン以上の力を要します。しかし、その技術ではこれからのIoTを支えることができません。なぜなら、その高熱高圧の方法では、ペットボトルのような柔軟性のある素材や、洋服のタグのような伸び縮みする素材には実装できないからです。あらゆるモノにICチップが付けられなければIoTは普及しません。

ではどうすればいいか。まずは資金を集めて、いろいろな技術を試さなければならないと考えました。そこで2009年にコネクテックジャパンを設立し、銀行やベンチャーキャピタルなど240以上の金融機関を回ったのです。しかし、資金融資はすべて断られました。仕方なく、友人やかつての仕事仲間に融資を頼み、貯金をすべて下ろし、家の電気やガスも4カ月間止めて、何とか資金を融通しました。技術開発にはクリーンルームが必要です。費用を抑えるために、廃材や閉鎖された工場からただでもらった設備を使って、家族や創業メンバーとともに手作業でクリーンルームを作りました。

美術印刷の技術を応用。これによって機械のサイズを格段に小さくすることに成功した
美術印刷の技術を応用。これによって機械のサイズを格段に小さくすることに成功した

──新しい技術開発には成功したのですか。

苦労のかいあって、従来と比べて格段に低い温度と圧力で実装できる技術の開発に成功しました。技術は現在も進化中で、最終的に80℃、8ニュートンでの実装が可能になる見通しです。

──温度は従来の3分の1以下、圧力は60分の1以下ですね。なぜこのような画期的な技術が実現したのでしょうか。

絵や写真の印刷に使われる高精度の美術印刷や、回転寿司のシャリ握りロボットなど、他分野の技術に目を向け、応用することに成功したからです。これによって、生産設備の最小化も実現しました。従来の5000分の1以下のスペースで半導体の組み立てができる設備です。それを僕たちは「デスクトップファクトリー」と呼んでいます。

──異なる技術の融合が鍵だったのですね。

イノベーション論の創始者であるシュンペーターは、イノベーションを「既存のもの同士の新しい結合」と呼んでいます。その意味で、僕たちの技術はまさしくイノベーションといえると思います。

それだけではありません。この設備は、長野県と新潟県の中小企業16社に分割して部品を作ってもらい、2社に組み上げてもらっています。現在の取引先は250社超で、4000人を超える専門家とのつながりがあります。つまり、数多くの人たちとの結び付きによって僕たちのビジネスは成立しているのです。社名である「コネクテック」も「コネクテッド・テクノロジー」、すなわち「結合された技術」を意味しています。

イノベーションを導いたボランティアスピリット

平田勝則 氏

──テレビドラマ『下町ロケット』に技術協力をされたとのことです。社員にはあのドラマのような熟練の技術者が多いのでしょうか。

3人の創業メンバーをはじめ、約30人の社員の半分がメーカーを辞めた50代、60代の技術者です。彼らは、大企業の半導体部門で数百億円の予算を任され、数千人の部下を動かしてきた人たちです。こういう人材が再び能力を発揮することができなければ、日本のものづくりの復活はありません。

──そのような社員をまとめ上げて一つの方向をめざす方法をお聞かせください。

ベンチャー企業が成功する要諦は3つあると僕は考えています。「パッション」、それを維持するための「フィロソフィー」、そして「ボランティアスピリット」です。例えば、僕はフィロソフィーの共有のために、山崎豊子、城山三郎、高杉良の3作家の作品をすべて強制的に全社員に読ませるようにしています。

──ボランティアスピリットが必要な理由は。

デスクトップファクトリーの稼働に必要なのは100V程度の電力で、年齢、性別、スキルを問わず誰でも使うことができます。さらにコンビニエンスストア程度のスペースがあれば稼働させることが可能です。この設備の開発に成功したのは、東日本大震災後でした。僕は震災後に東北の町々を訪れて、失業者が溢れている現実を目の当たりにしました。復興のためには仕事をつくらなければならない。工場を建設すれば雇用が生まれるが、そのためには莫大な資金が必要になる。しかし、小規模で誰もが使える設備であれば、少ない投資で雇用を生み出すことができる──。それが実は、デスクトップファクトリーのコンセプトの一つでもあるのです。

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──社会貢献の心が生んだ技術ということですね。

僕たちは、お金を稼いで派手な生活をするために仕事をしているわけではありません。イノベーションに成功して新しい製品を世に出した時のえも言われぬ感動。誰かの役に立ったと実感できた時の喜び。地域経済がみるみる活性化していく様──。それを見たり体験したりしたいから一生懸命働いているのです。

前の会社に勤めていた頃、僕は週刊誌で連載されていた『下町ロケット』を毎回自分のことのように読んでいました。小説には「二階建ての一階には現実があって、二階には夢がある」といったことを主人公が語る一節があります。それこそがまさしく産業人のモットーです。産業人の夢はものづくりによって人々を幸せにすることです。古臭いと言われても、その信条を僕は貫きたい。たとえ途中で倒れても、僕の戦い方を見て何かを感じ取った人が、僕を乗り越えて前に進んでいってくれるでしょう。僕はそれを信じています。

平田勝則 氏
〈取材後記〉

東京から北陸新幹線でおよそ2時間。スキーリゾートや温泉で知られる新潟県妙高市にコネクテックジャパンの本社はあります。たたき上げの技術者にして、三十数人の社員を率いるベンチャー経営者である平田社長。その一言一言には、戦後の経営者の著作や明治維新史から学んだという教養と、自ら体験してきた苦闘が刻み込まれていました。本社2階でテレビドラマ『下町ロケット』(TBS系)のロケに使われた小物を紹介する楽しそうな笑顔もとても印象的でした。これからも日本のものづくりを力強く牽引していってください。

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