AI主導の未来で、人間の価値はどう変わる?5月にカナダで開催された「Web Summit Vancouver 2025」を振り返るとともに、人のビジネス価値とは何か考えました。
※本記事は2025年10月に掲載されたものです。
田中 秀治
株式会社日立ソリューションズ
グローバルビジネス推進本部 戦略アライアンス部
イノベーションストラテジスト
日立ソリューションズ入社後、サービス事業開発、グローバル情報通信基盤更改案件などのプロジェクトを担当。2018年より、海外アライアンス事業における事業開発を担い、21年よりシリコンバレーに赴任。スタートアップ協業、日系企業との新規事業協創活動に従事。23年7月よりシリコンバレーのサンマテオオフィス責任者。25年8月に帰任後、現職。
2025年5月27日から30日に、カナダのバンクーバーでテックカンファレンス「Web Summit Vancouver 2025」が開催されました。昨年までトロントで開催していた「Collision」の後継で、今年からポルトガル・リスボンなどで開催している「Web Summit」ブランドに統一されました。昨今のテックイベントに引き続き、AIが中心的なテーマとして大きく取り上げられていました。
開催国カナダは世界トップクラスのイノベーション国家で、AI、クリーンテック、ライフサイエンスの分野で高い研究開発能力を有しています。投資も堅調でスタートアップ企業が育つ土壌もありますが、資金力は隣国の米国にかなわず、アーリーステージの資金獲得と事業拡大で米国資本に依存するという構造的な弱点を抱えています。また、テック人財の獲得競争が激化する中で、カナダは米国ほどの好条件を提示できず、人財が定着しないという課題もあります。AIは世界をリードする分野だけに、国としてもスタートアップビザや税金の控除などのプログラム、国立研究機構による資金援助など、様々な施策を講じています。
「Web Summit Vancouver」は27年まで3カ年の開催が決まっています。これまで、カナダでAIといえばトロントが中心でしたが、グローバルイベントのバンクーバーへの誘致を通じて世界中の投資家や業界関係者を集めることで、エコシステムの形成に一石を投じたいのだと考えます。実際、会期中は1100以上のスタートアップ企業、600人の投資家、250人の講演者が集結。100カ国以上から1万5000人以上の来場者があり、連日活気に満ち溢れていました。
PITCHコンペティションのファイナリスト3社はすべて女性が共同創業者
今回の議論は、①人間ならではのビジネス価値、②バーティカルAIの展望、③AIエージェントのセキュリティ対策という3点に集約されます。
これまでは「AIに何ができるか」というAI中心の議論でしたが、ほとんどの仕事をAIに任せられる世界が現実味を帯びてきたことで、主軸AIから人間にシフトし、「人間は何をすべきか」との議論が多く交わされていました。確実に言えるのはAIで新たに生まれる仕事があるにもかかわらず、失われる仕事の方が圧倒的に多いということです。
ある調査では米国企業のソフトウェア開発における生成AIの導入率は約91%(※1)に上り、約97%(※2)の開発者が何かしらのAIコーディングツールを利用していることがわかりました。23年以降は非IT企業にも生成AIによるソフトウェア開発が広がり、ソフトウェア開発者の求人が減っています。昨今、マイクロソフト社やグーグル社などでもソフトウェア開発者のレイオフ(一時解雇)が盛んに行われる結果となっています。そのような状況の中、昨今は「AI主導の世界における人間への影響の議論を優先するリーダーの存在が、生き残れる組織の条件」との言説が出てきました。米国やカナダではジョブディスクリプション(職務記述書)が重視されるので、ジョブを書き換えるリーダーの手腕が問われているのです。あるスタートアップ企業は、人財の在り方を含めAIによる事業変革を推進する役職として、CAITO(最高AI変革責任者)を新設して話題になりました。日本はジョブディスクリプションに縛られず、本来の自分の仕事以外でも助け合う、柔軟な働き方が定着していますから、海外に比べてそこが強みになると考えています。
AIには、ChatGPT のように多能なホリゾンタル(水平型)AIと、特定の分野に特化したバーティカル(垂直型)AIがあり、法律事務所向けのサービスを提供するユニコーン企業であるクリオ社のCEOは「今後はバーティカルAIの市場規模が拡大する」と指摘しました。クリオ社は業界特有の業務や慣行をAIエージェントに学習させることで、顧客により精度の高いサービスを提供できるとして「本当にやりたいことはバーティカルAIがないと実現できない」と言っています。
実は以前から、それぞれの仕事には専門性があるので、AIエージェントを本格的に普及させるには垂直型であるべきとの議論があり、実際にその流れになってきました。今後、バーティカルAIと垂直型SaaSの市場が拡大するとなると、SaaS企業は単なるソフトウェアの提供を脱し、AIやAPI連携を組み込んだ複合的なサービスに進化させなければ生き残れないでしょう。給与計算1つとっても財務のAIエージェントと人事のAIエージェントが連携しなければなりませんし、業務によっては外部連携も必須ですから、AIエージェント同士の自由な連携を実現するだけでなく、AIエージェントを監視してマネジメントする仕組みも必要になります。
クリオ社は、バンクーバーを拠点とするリーガルテック企業。創業以来17年間で1500人規模の企業に成長
AIエージェントの普及に伴って、セキュリティの課題も大きくなっていきます。データやシステムへのアクセス権限はどこまで付与すべきか。与え過ぎれば情報漏洩などのリスクが高まり、少な過ぎれば仕事に支障が出ます。このことは人間でも同様ですが、AIエージェントは人間以上に高速でシステムをヒットするので、ある登壇者は「高エネルギーだが世間知らずなインターン」と表現していました。AIエージェントは誤って指示を解釈し、機密情報の漏洩や予期せぬ連鎖反応を引き起こす可能性があるためです。最終的には上司がインターンを監督するように、AIが他のAIを監督することになるでしょう。
米国では現状、権限を与え過ぎる傾向にあり、セキュリティの議論は後回しになっています。米国のようにスピード重視で問題が起きてから考えるか、時間がかかっても問題が起こらないように熟慮して進めるか。日本企業の多くは恐らく後者を選ぶでしょう。セキュリティの問題はすでに無視できない段階にありますから、ここが商機とも言えます。
AI主導の世界において「人間は何をすべきか」という問いへの答えは出ていませんが、人間を満足させる領域には希望がありそうです。仕事はやはり人と人がなすもの。その人だと安心できる、その人のホスピタリティが良いといった価値は普遍です。ビジネスの構造が変わっても、最終的には人間の確認・判断が必要ですから、来たるAI主導世界に備えて、自分の価値を再定義しなければならないと感じました。