日立ソリューションズグループのシンボルスポーツ、"夜明け"を意味するチーム「AURORA(アウローラ)」。チームを代表して、ママアスリートでもあるスキー部の阿部友里香選手と、競技と会社員生活を両立する車いす陸上競技部の馬場達也選手にチームのこと、会社のこと、パラスポーツの魅力、そして多様な人が、それぞれのペースで活躍できるインクルーシブな社会について語ってもらった。
阿部 友里香
チーム「AURORA」
スキー部
あべ・ゆりか
岩手県出身。競技はクロスカントリースキーとバイアスロン。2011年、チーム「AURORA」スキー部下部組織ジュニアスキークラブ入部。18年より現所属。ソチ、平昌、北京と3大会連続パラリンピック出場。各種ワールドカップでも受賞歴あり。23年に出産。一児の母。
馬場 達也
チーム「AURORA」
車いす陸上競技部
ばば・たつや
北海道出身。競技は車いす陸上。2003年にアイススレッジホッケーを始め、全日本強化指定選手にも選出される。13年には並行してクロスカントリースキーも開始。15年に車いす陸上に転向。17年に入社し、現チームに所属。
阿部:私は2021年の結婚を機に、今は福岡に住んでリモートワークで勤務しています。とはいえ、月の半分は都内や地方に合宿で出かけています。馬場さんは東京勤務ですね。
馬場:はい。午前中は所属している安全衛生部門の仕事、午後はトレーニングという毎日です。
阿部:私がスキーを始めたのは、中学2年生の時にテレビでバンクーバーパラリンピックのスキー競技を見たことがきっかけです。私は出産事故による左腕の機能障がいがあります。障がいのある人が活躍できる世界があると知り、やってみたいと思いました。そこで、高校、大学とスキー部で活動するのと並行して、AURORAのジュニアスキークラブにも所属しました。その後、18年に入社し、AURORAスキー部に入ったという流れです。23年には娘を出産し、今はトレーニングと育児がメインの日々です。
子連れの遠征では託児所を利用したり、親を帯同したりする。こうした体制も整備され始めている
馬場:私は北海道の真ん中に位置する深川市の出身です。脳性麻痺のため生まれつき下肢や腕に障がいがあります。中学1年生でアイススレッジホッケーを始め、強化指定選手にも選ばれました。一方で、当時の勤務先の上司の勧めで13年からクロスカントリースキーも始め、15年には旭川で開催されたクロスカントリーのワールドカップに出場できました。その大会で知り合ったのが、AURORAの久保恒造選手です。久保選手は車いす陸上の選手でもあり、私も当時ちょうど陸上競技にも関心があったので、アドバイスをもらうようになりました。やがてAURORAが陸上競技部の強化を図ることになったと久保選手に誘っていただき、本格的に車いす陸上に転向し、17年に当社へ入社、AURORAへ入部しました。
アイススレッジホッケーは障がいの特性ごとのクラス分けがないんです。脳性麻痺の私と下肢切断の選手では、どうしても動きが異なるんですが、同じチームでプレーしなくてはいけない。それが難しいと感じていました。その点、陸上競技は脳性麻痺というカテゴリーの中で競えて、障がいの特性に合っている。それに車いす陸上は、レーサー(車いす)を使うことで、健常者が走るより速いスピードで走れる。その爽快感や充足感も大きな魅力です。
馬場:大会の時、社員の皆さんが応援団を組んで現地に来てくれますね。他のチームからうらやましいといわれます。走っていても声援が聞こえて大きな力になる。AURORAの魅力ですね。
馬場選手の試合の際に、多くの社員が現地へ駆けつけ熱い応援を送っている様子
阿部:AURORAは日本で初めての、障がい者スキーの実業団チームです。パラスポーツがマイナーだった時期から、選手が競技に集中できる環境を整えてくれたと聞きます。他のチームから、そこも「すごいね」といわれます。
馬場:仕事とトレーニングの両立が大変だと思ったことはありません。以前の勤務先では、フルタイムで働きながら競技を行っていました。今は大会の時には職場の皆さんが「頑張ってこいよ」と送り出してくれて、ときには応援にも駆けつけてくれる。自己ベストが出たら一緒に喜んでもくれます。恵まれていると感じます。
阿部:ときどき新人研修で登壇したり、壮行会や報告会に行きますが、当社ではそうした集会の時、会場に車いすの方や聴覚障がいのある方も多く来るので、会社が手話通訳さんを用意していますよね。多様性を大切にするインクルーシブな会社だと感じます。
馬場:確かに、業務上のオンライン会議でも、聴覚障がいの方がいたら、当然、文字化して表示します。いろいろな障がいのある人が、必要な配慮を得ながら、業務の中で自分の役割を果たしていると感じます。
馬場:個人的には、昔は障がい者に対する理解や受け入れが今ほど進んでいなかったように感じました。私が当たり前にできていることも「大変だね、手伝うよ」と言われ、子どものころは傷つきました。今はそのような思いをすることはほとんどありません。障がい者に対して、社会の理解が進んできているのだと思います。パラスポーツに関しては、東京パラリンピックが決まったころから、流れが変わった気がします。
阿部:そうですね。以前は"パラオリンピック選手"と呼ばれることもあったのですが(笑)、"パラリンピック""パラスポーツ"が浸透しました。
馬場:私は国内のレースがメインなのですが、たまに海外に行くと、さらに隔たりなく、障がい者と障がいのない人が一緒に働いているように感じます。
阿部:海外の人のオープンでナチュラルな関わり方を見ると、日本でも少しずつ変化は見られるものの、障がいのある人に対して「支援が必要な存在」として見る傾向が、まだ残っているように思います。必要以上に先回りしなくても、手伝ってほしいときには「手伝って」と声を上げますよね。
馬場:そう。基本的には普通に生活ができていて、支援が必要なら自分で伝えます。善意からであっても、障がいのある人を一くくりにして「支援が必要な存在」として捉えてしまうと、対等な関係性を築くことや、多様性を認め合うことが難しくなると思います。
阿部:日本で車いすの人が飛行機に乗る時、一律のサポートが提供されがちですが、海外では車いすであっても自分で動ける人にはどんどん任せる。それでいいと思います。
馬場:"歩けない人""聞こえない人"など障がいがあることを見るのではなく、一人の人として見ることが大切なのではないでしょうか。障がいがあっても、自分なりに適応してその場にいるのだから、同じ立場にいる一個人として見てほしいです。
オフィスワークと選手としての活動を両立する馬場選手。職場の応援が励みになっている
阿部:一方で、困っている時は、手を貸してほしい。ベビーカーを押してエレベーターに乗ろうとすると、先を譲ってくれる人もいますが、何台も逃すこともあります。障がい者に限らず、困っている人を手助けすることが、日本社会ではまだ十分に根付いていない部分があるように思います。
馬場:明らかに困っているとき、手伝ってほしいといわれたときは手を貸すし、そうでなければ本人に任せる――。これができるようになるには、慣れが必要かもしれませんね。
馬場:大人になる前に障がいのある人と接する機会を持つかどうかで、違いが生じると思います。障がい者のことを「勉強」しようとするより、身近にいることが理解を促すのではないでしょうか。
阿部:以前在籍していた部署に、私も含めてAURORAの選手が2人いました。その部署で働いていた社員から、「2人が障がい者であると意識することはほとんどない。むしろ世界をめざしてモチベーション高く挑戦している人が身近にいるという印象で、いい刺激を受けている」と言ってもらいました。実は私も、オリンピアンではなくパラリンピアンである点に引け目を感じたことがあったんです。でも高校の後輩であるオリンピック選手に、「アスリートとして友里香さんを尊敬している」と言われて、細かいことは気にせず、私は私として挑戦すればいいんだと気づきました。
馬場:あるとき、障がいのある子が、私の走っている姿を見て、「自分も陸上を始めたい」と、目標を見つけたという話をしてくれたことがあります。これもパラアスリートの存在意義なのかなと思います。
阿部:私はママアスリートでもあります。海外では出産して復帰するのが当たり前で、私もそうしようと、妊娠前から決めていました。日本ではまだママアスリートは少数派です。私が産後も活躍している姿を見せれば、妊娠しても競技を続けられると思う人が増えると考えています。
現在、国が女性アスリート支援策として助成金を出し、母親やベビーシッターを帯同して子連れで合宿に参加できるようになっています。これはママアスリートが少しずつ増えて、そうい支援の必要性を社会が認識したからです。誰かがモデルを示すことで、誰かの選択肢が増え、可能性が広がる。障がい者でも母親であっても、やりたいことを諦めずに続けられる社会につながると思うのです。
阿部選手は海外遠征へも子どもを同伴することが多い。海外ではよくある光景だという
馬場:障がいがあっても、ここまでのパフォーマンスができるんだと、身をもって示すことがパラアスリートとしての役目かなと、私も思っています。
私は、まずは目標タイムをしっかり出し、レースで結果を残して強化選手になれるよう頑張ります。
阿部:私もアスリートとして常に最高のパフォーマンスを発揮できるよう頑張ります。